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思ったことや考えたこと

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日々暮らしていて、頭にふっと思いついた考えや、人から影響を受けて浮かんできた思考の断片などを書いたもの。
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#多様性を考える

今日も麦茶は冷蔵庫の中で私を待っている

「冷蔵庫に麦茶が入ってるから」 義理のお母さんは顔いっぱいに流した汗をタオルで丁寧に拭きとりながら、私に話しかけた。 お姑さんのリハに週2回入っている。 彼女は先月股関節の手術を行った。人工関節を入れて、順調にリハが進んでいたが、なんと退院2週間後の受診で「疲労骨折」の診断を受けた。 それが先週の話。 担当医師は「自宅で安静にして1ヶ月後に再診」と告げた。 お姑さんの入院中の担当リハスタッフは、私が以前病院に勤めていた時の同僚であるので、電話をしたらさっそくレント

「わかる」と「わからない」

土曜日の朝。 二度寝してしまって、夢と現実の間をシーソーみたいに行ったり来たりしている私の耳に、突然夫の声が鳴り響いた。 目をこすりながらぽやんとして起き上がると 「大変だ。つばめが落ちてる」 と告げながら、彼は私の顔も見ずにそそくさと部屋を出て行ってしまった。 私はのそのそとベッドから起き上がり、階段を重だるそうにとんとんと降りてパジャマのまま玄関に向かう。 玄関の扉を開けると夫がビニール手袋を手にはめようとしていた。 ふと足元を見ると丸い物体が玄関マットの上

切られた髪の毛から習慣について少し考えてみた

昨日、息子の散髪をしたかったので美容院に同行しました。 息子の髪がジョキジョキと切られている場面を見て、ふと思いだした事があります。 以前、私が勤めていた施設で関わらせてもらっていたある利用者さんのおばあさまは、年齢の割にはめずらしく長めに髪の毛を伸ばしている方でした。 年を重ねると女性でも髪の毛は徐々に短くなってくる傾向にあると思います。理由を尋ねると「髪が痛んでくるからみっともなくて」とか「手入れが大変」といったお話を何人かの方に聞いたことがあります。 髪の毛の手入

ことばがいらない場所

ことばは人を包み込んだり やわらかい気持ちにしたり ここにいていいんだって思えるような 羽根布団みたいな 軽くて ふわふわしてて あたたかな側面もあるけれども 一方で 時には人を傷つけたり 自信をなくさせたり もうここにはいたくないというような まるで水を含んだ衣服のように もがき苦しみながら うまく抗えずに 深く深く 海の底に 人を落とし込めてしまうような 孤独に陥らせる凶器にもなる。 そういう時に 私はある人たちを思い出す。 それは以前、施設に勤めていた時

「ただしさ」についての備忘録

この対談を、昨日急ぎ足で聞いた。 (アーカイブ配信が昨日で終わりだったため) 私は 正しい ということばが 近年 もっとも苦手になってしまっている。 さらに言えば 正しさを押し出してくる人が 苦手なのかもしれない。 けれどもそんな 「正しい」とも 私なりに何とか つきあっていけないかなぁと 悩んでいたので このイベントを視聴してみた。 「公正を乗りこなす」という本を書いた朱喜哲さんのことは初めて知った。(拝聴してみて頭のいい方なんだろうなぁと感じた) 対談相手の岸政

余白とクリーン【コメント欄再考】

さて、前回の続きのような話をまたします。 書きながら途中で薄々わかっていたんですけどね。 「あ、これコメント欄に関わらない話だな」 って思ったのです。 これは、私が人と関わる時に意識してることと、あんまり変わんないかもなと思いました。 前回の補足的な内容を今回も書いてみます。 1.クリーンにしたい?実はノイズでもない。 コメント欄。 多様性にあふれた場にしたいんです。 多様性とかっていうと「ああ、またそれ?」「口で言ってるだけでしょ」「聞き飽きたよ」みたいなこと

私の話を少し

今日書くことはためになることとか全く書いていないのでご了承ください。 (それはいつものことではあるのですが) タイトルにある通り、自分の話を少し書いてみようかなと思っています。 今日はそんな気分なのです。 私はある人にとっては付き合いやすい存在でもあるし、ある人にとっては付き合いにくい存在でもあると思います。 好きだと言ってもらえたり、憎まれたりもします。(この感情同士はかなり紙一重なんですよね。一番遠いのは認識もしてないことかなと思います。) 人間ってのは相性があ

平熱の人と高熱の人、そして多様性

平熱の人=息子のことだ、と思っている。 よく泣き、よく怒り、よく暴れて、全く寝かしつけもできなかった娘と比べると、2人目として生まれた息子はかなり大人しい乳幼児だった。 とにかくよく寝た。 寝かしつけなくても寝ていることもあった。 1人目の娘の時との違いがはげしく「私こんなに楽でいいのかな」と思うことすらあった。 ベビーカーにもきちんと大人しく座り続けることができた。娘とのこの雲泥の差はなんだろう?とも思っていた。 娘はとにかくベビーカーからおりたい子で、おろしたら

石膏アートにふれて【あえてアートからもはなれてみること】

前回の記事の続きです。 一個目の記事 二個目の記事 石膏アートのイベントに参加させてもらった私は、終了後に先生とお話させてもらう機会を頂きました。 前回のお話はそんな場面で終わっていたと思います。 先生は私を見つけるなり、まっすぐに笑顔で向かってきます。どちらともなく挨拶をして会話が始まりました。 先生からの話題の内容は、私が先程発言した「なにものでもないもの」についての話でした。 「くまさんが、石膏を垂らしている姿、わくわくした表情、なにものでもないという発言

石膏アートにふれて【なにものでもないものとなにものでもない私】

前回の続きです。 石膏アートのイベントに参加して感じたことを書いています。 私がイベント中に石膏で作った作品は、最終的に3つになりました。 1つは前回ご紹介したちょっとおいしそうなこの子たち。 あと2つはこの子たちです。 それで、この3つめのカラフルくんなのですが(勝手に名前をつけてみた)こいつは完全に偶然の産物でできた代物です。 と、いうのも、私は上記の2つを卵パックで作ってけっこう気持ちが満足しちゃっていたんです。 けれども、ふと手元を見ると、使いきれなかった

石膏アートにふれて【上手だねとそれなに?のお話】

先日 「アートとふれあおう」 というイベントに参加してきました。 石膏を扱ったアートイベントです。 石膏って初めてだわ〜と思いながら参加してきました。 皆さんは石膏にふれあった経験はありますか? 私は最近、石膏像をもとに絵を描いたりしましたが、石膏そのものを扱うのは初めてだったのです。 そして、感想をひとことで言うなら 非常に楽しかったのです。 今日は、参加中の時間を思い出しながらつらつらと感想や思ったことを書いていこうと思っています。 (いろいろあるのでたぶん記事は

私の中のいろいろな人

河合隼雄さんと鷲田清一さんの「臨床とことば」という本を再読している。 昔読んだ本だが、秩序だって読むわけではなく、家事などの隙間時間でちょこちょこ気になった章だけ読んでいる。 今読んでみると、以前は気にもとめなかった文章にひっかかったり立ち止まったりして面白い。本というのは読む年齢や環境や心境で、印象がだいぶ違うものである。見過ごしていた宝物を探し当てたみたいでこういうのはなんだかちょっと嬉しい。 ちなみに私はこのnoteでことばということばを 「ことば」 となぜかずっ

ノーサンキューの人

「お茶いる?」 本日3度目のお誘い。 「けっこうですよ。ありがとうございます。」 彼女は私が断ったのを忘れているだけだ。 『コロナで飲食禁止なのです』と毎回伝えるが、私のことばはするりと彼女を通り抜けてあの山のはるか彼方までいってしまった。 わたしの頭のなかに「にんちしょう」という文字が浮かび上がる。 よくわかりにくい名前だなーといつも思う。 断る。 断ったことは忘れる。 でも断った時の感情はきっと残る。 断られた方は、きっと少しだけ心のカタチがへこんでし