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コンピュータの学習と忘却

以前に読んだ記事でコンピュータが記憶したものを忘れていくという研究。この見出しだけで物凄いインパクトがある。そもそもコンピュータは機械なので色々な情報を保存させる機能も消去させる機能も当然備わっている。が人間一人では無理な部分を補ってくれる存在として大規模なデータの蓄積と解析がある。子供の頃の学芸のセリフも短い文章ながら間違えずに役を演じながらかまずにスラスラと言えるのかドキドキした記憶がある。テスト勉強も然り。仕事に就いても色んな事を覚えないといけない。コンピュータは一度記憶したものは消去されたり部品が壊れない限り忘れることはないので人間のようにドキドキすることはないんだろうと思う。知っている、知らないの二択だけで失敗、成功という概念はまだ持ってないと思う。
そんな単純な記憶のベテランのコンピュータに「忘れる」要素を加えようという研究。あくまで人為的に削除するのではなく、自ら自然に記憶していたデータが抜け落ちていく、というのは完璧を求めようとしているコンピュータの能力とは真逆の考え方。そこには当然覚えていたはずのデータがなくなっていくのだから、失敗するという現象も起きてくるはずである。

昔から人間の生活が快適になるように様々な技術が開発されて色んなものが進化を遂げている。特に今のAIに関してはこの業界で最速の進化をしていると思うし、何となく人類の歴史を変えてしまう勢いを持つ技術が誕生してしまったのではないかと思う。そうした強力な敵にも味方にもなり得る技術と共に将来にわたっていかにうまく共存共栄していけるのかを考えていくときに、「自然に忘れていく技術」というものが大きな鍵になると考えられる。
ビッグデータというものの価値は、初めてその名前を聞いた当時の私が考えていた以上に高くなっている。データさえ揃えばコンピュータの解析能力の制度は高くなっていく。加えて処理能力も人間の手でどんどん進化していっているので、あらゆる答えを導き出すまでの時間も短くなっていっている。
際限なく進化し続ける能力を持つコンピュータは、人間が操作で来ていた範疇を超えた時点から「危険」として捉えるようになるだろうし、それについての抑止となる研究はほぼ無意味な研究としてしか扱われないかもしれない。そんな中、コンピュータが忘れていくという技術。これはとても重要な研究であると思うし、これから先欠かせない技術であろうと考える。

コンピュータが、というよりAIがいつの日か「暴走」した時の抑止につながる「弱点」として活かされる技術になれば良いのにな、と思う。

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