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「愛がなんだ」愛と執着の境目は本人にしかわからない

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角田光代さんの「愛がなんだ」
を読んだ。

自分が一人の人に執着しない
タイプなので、主人公の気持ちは
理解はできなかった。

この主人公にとっては
大きな岩が片思いの田中と時間を
過ごすことだったのだろう。

人間は自分を客観視できないし、
客観視できないからこそ幸せを
感じられる生き物なのかもしれない。

主人公の状況は客観的に見ると
1ミリも幸せな状況じゃない。
が本人はその不幸せな状況を
望んでいる。

主人公の親友はその状況を見て
不幸せだと思いつつ、自分が
その不幸せな状況を他者に対して
作っていることには気づいていない。

自分を客観視できたら、
面白くないし、みんな何も
できなくなってしまうんだろう。

だから自分を客観視する機能は
意図的に備わっていないんだと
思わせられる。

この記事のタイトルに書いた
「愛」も「執着」も主観的な
感情でしかありえない。

だから周囲が「愛」だ「執着」だ
といったところで本人の解釈以外
に真実となりうる可能性のある
ものはない。

久々にこういうタイプの
小説を読んだから哲学チックな話に
なってしまった…。

これも読書の醍醐味。

※書影は版元ドットコムから引用しました。

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