満ちていなかったり、満ちていたり
その日はお昼すぎに起きた。路上からはひっきりなしに救急車の音がきこえていて、部屋のそとからはだれかの大声がきこえる。ここは新宿、ねむらないまちだ。ベッドのうえでスマホを開き、友人からとどいているLINEを確認する。他愛のない会話。このせかいは他愛のない会話であふれているな、と思い、しばらくぼーっとしたあとにベッドからおきあがった。夕方から仲間うちでの会食がある。
それから、かるく散歩をしたり仕事をしたりして、あっというまに夕方をむかえた。この頃は日が落ちるのはやい。24時間ずっと真っ昼間か真夜中かと言われたら、真夜中をえらぶとは思う。暗闇はすべてをぼかしてくれるからだ。輪郭をなくす。しだいにあらゆるものが一体化していく。
順調に目的地につき、馬肉料理がはこばれてくると、「最近はどうですか?」と近況や調子をさぐる会話がはじまる。順調そうな人もいれば、今まで作ってきた事業上の仕組みをすべて破壊した人、そして今まさにぶっ壊そうとしている人もいた。スクラップアンドビルド。大きななにかをはじめるには、既存のものをすべてぶっ壊さなきゃいけないときもある。僕はなにかをそのままに保持しようと懸命になっている人も、創造的にぜんぶをぶっ壊そうとしている人も、どちらも応援できる人間でありたいな、とおもった。
ふと左後ろに目をむけると、カウンター席にすわっているカップルらしき二人がガラスごしに渋谷のまち並みを静かに眺めていた。ここは二階だ。声も表情もわからなかったが、一体なんの話をしてるのだろう、と耳をかたむけながらテーブルの上にならぶ馬肉を食した。まちの景色が見える飲食店っていいな、とおもう。東京のまち並みはどこかさびしい。そのさびしさを共有できる人とおいしいご飯をたべて、言語をこえた空間をつむぎだす。その瞬間こそ人生の財産だとおもう。このさびしい東京で唯一すきな点は、永遠を超えた一瞬に出くわす確率がたかいことだ。人も機会もおおいから。
それからぼくらは焚き火のあるバーで二次会をした。起業家の先輩が合流し、二時近くまで話しつづけた。店内はたしかに薄暗くて、イチゴのカクテルをちまちまと飲んだ。ところで、他愛のない会話とそうじゃない会話の違いがわからないときがある。線引きはどこなのだろう。それに、ここには何度も来ているのに、店名がわからない。毎回覚えようとするのだが、時間が経つとするりと抜けおちる。最初から存在していないんじゃないか、という気さえする。
一部のメンバーでシメのラーメンを食べたあと、僕と、後輩の起業家と二人で新宿にもどり、お風呂に入ることにした。タクシーの中ではかれがぶっ壊そうとしている事業についてはなし、最終的には「決意がかたまりました」と静かなトーンで言い放った。ぼくはどちらを選んでも正解だよな、とおもった。人生は短期で見ると悲劇だが、長期で見ると喜劇である。今の決断が正解だったかどうか、極論しぬ瞬間までわからないのかもしれない。
新宿の地下銭湯につくと、僕らは泡風呂につかり、一日のからだの疲れを癒した。「そういえば、本当にほしかったものってなんだったの?」とぼくはきいた。かれは、「愛かもしれません」とこたえた。愛。お金は手段でしかなく、かれが本当にほしかったものは愛だったという。「やっぱり愛に収束するのね」と返し、ぼくはそのまま、何も会話をすることなく、泡風呂で発生する刹那的な泡を手のひらで丁寧にすくおうとした。泡はぱちぱちと弾けた。ほんの1秒。泡が泡として生きている時間は1秒だなと感じた。大切に包み込もうとしても次の瞬間には弾けてしまう。大局から見たら僕らも泡のような存在なのかな、とおもうと途端に虚しくなり、その虚しさが伝播しないように、何か重要な真実から目を背けるかのように、壁の時計を見上げながら「もうこんな時間か」と独り言のように言った。ここは歌舞伎町。眠らないまちだ。
彼とバイバイした後、僕はホテルに戻るために歌舞伎町のまちを10分ほど練り歩いた。ネオンがちらついて思わず目を細める。「年間2億オーバー」と大きく書かれたホストの看板が目に飛び込んでくる。やはり経済の正体は寂しさだなとおもった。もうこんな時間だというのに四方八方から人がながれてくる。ほそい路地の奥から怒鳴り声がしたが、その方向をみずにまっすぐ歩いた。
翌日、同い年の知人に会い、夜の歌舞伎町とは真反対のような表情と性格を見据えて、おもわず、「あなたには闇が一切ないよね」「全てが真っ白。クリアな感じ」「僕の中にはハッキリと闇があるのに」と言ってしまった。彼はアハハと笑い、そうだね、闇なんてないかもね、と言った。本当の意味でこの人とわかりあえる瞬間は永遠にこないかもな、と思うと、ほんの5秒くらい、強烈な寂しさがおそってきた。
それから、奥さんの目を抜け出してやってきたという既婚者にも久々にあった。もう23時頃だったが、歩いていたら偶然見つけた、韓国系の居酒屋に入店した。軽めのおつまみと、お酒を注文。「奥さんとはその後どうですか?」と聞くと「順調だよ」と言い、続けて「奥さんのどこが好きなんですか?」と聞くと「一緒にいてラクなんだよね」と、テレビ画面を横目で見ながら返した。サッカーの試合が流れている。韓国語に変換されているせいか、実況もいまいちわからない。
彼とはもう会わないだろうな、と飲みながらかなりの精度で確信した。多分もう二度と会わないだろう。そのことに気づかれないように、グラスで表情を隠した。出会いもあれば別れもある。全てにおいてそうだ。
24時過ぎ、友人が新宿二丁目で飲んでいたので、少しだけ会いに行った。もうベロベロに酔ってるなか僕だけひどくシラフだったが、1時間くらい他愛のない話をした。何を話したかあまり覚えていないけど。小さな店内で、店員さんもだいぶ酔っていたのは覚えている。
と、これらのまた翌日、会いたいなと思っていた人にやっと会うことができ、細胞の隅々まで満たされた時間を過ごし、彼がいなくった後の部屋でこの文章を書いている。さっきまでそこにいたのに、もう誰もいない。体がまだあたたかい。外から救急車の音だけが聴こえてくる。
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