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看護師の私が衝撃を受けた記事

今日登録したnote

noteのヒント!のようなnote側の初心者向けのページをふわーっと読んでいた。そこで「人気の記事」みたいな項目を選択してしまい、ずらーっとnoteベテラン勢の記事が出てきた。そこでふと目に止まった記事があった。

勝手にタイトル言っていいのかな・・・
コラムだけど「知ることには不可逆性がある」というような内容

知的好奇心旺盛な私は、このテーマだけで興味がそそられた

記事主へ許可をとっていないため内容は曖昧化させるが、看護師として医療関係で働いている私にとって、そのタイトルと内容の関係性には衝撃を受けたといっても過言ではない。

簡単に言うと「知る」ことは「知ってしまう」ことで知りたくなかったことまで知ることとなり不安や恐怖に繋がる。(私の解釈では)

看護師として働いていると、再発を繰り返す人、初発といわれる初めてその病気(疾患)になる人と数多くのいわゆる患者と接することとなる。

現在私は循環器内科で働いているが、必ず入院をする患者は医師から病名などを聞かされて初めて入院となる。そして初めて患者となるのだ。さっきまでは健康と思っていた一般人であったのにも関わらず。病名を告知されて、自分の気持ちも落ち着かないままに、患者として対応され、動けるのに(さっきまで何事もなく動いていたのに)動かないでと言われ、頭の中で理解が進まないままに入院生活を余儀なくされるのだ。

もちろんそれは、外来患者でも変わらない。

不安な思いに駆られ、恐怖心に打ち勝って病院へ来るのだ。

そして不安が的中するのだ、

自分の思い過ごしだ、と まさかそんなことはない、などと

知りたかったことなのに、途端に知りたくなくなるのだ。

急に恐怖に支配されてしまうのだ、知りたいと思った心は。

そして、日常生活でふとその恐怖が蘇るのだ

同様の症状が出ていても出ていなくても、きっかけさえあれば

むしろ自分からその恐怖の一端と共生することとなるのだ


そこで看護師はなにをするのか。

非常に難しい質問である。

きっと、答えは千差万別。

寄り添ってほしい人もいれば、話を聞いて欲しい人、理解できるように説明をして欲しい人、様々な需要がある。そこに適切に介入しなければならないのが看護師だと私は思っている。(実行できるかどうかは別)

やはり看護師にも医師寄りの知識が必要だと思い知らされる

なぜか

医師の説明で理解が追いつかない患者やその家族の手助けをしなければならないからだ。(ここらへんの話は別の記事にしよう)

「知ることへの不可逆性」

これは、すべての人、そして病気や病院関係以外の人にも当てはまるだろうと思う。(例えば自分の評価とか)

その恐怖による不可逆性は、なんとか乗り越えることで更なる高みのステージへ上がれるのではないかと思う。(こんなに簡単に言ってるけれど)

元記事主には感謝しかない。コラムだったが、とても心に響いた。
まだ現役看護師であるし、心情を察することは大事なスキルとも思っている。これもコラムか。

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