見出し画像

"フェルミのパラドックス"の答えが、今、地球で議論されている"脱成長"なのかもしれない

はじめに

最近、少し地球温暖化のお勉強をする機会があったのですが、今世界では地球温暖化に対して技術だけで対応するのではなく、成長主義をやめて"脱成長"を目指すべきだ、という議論があることを知りました。

この話を聞いたとき、僕は「もしかしたら、これがフェルミのパラドックスの答えなのでは?」と思いました。
このnoteでは地球温暖化に対してお硬いマジメな話をするつもりありません。SF的な謎である"フェルミのパラドックス"の答えが現実(今現在の地球)にあるかもしれない!?というワクワク感を共有したくて、一つ記事を書きたいと思います。気楽に楽しんでもらえれば幸いです。お酒の席の与太話程度に思ってもらえたら。


フェルミのパラドックスって?

まずは簡単に"フェルミのパラドックス"について説明します。
フェルミのパラドックスというのは、「宇宙の広さを考えれば、当然、宇宙人は無数にいるはずで、そのうちのいくつかは地球に到達しているはずだ。なのに現実には宇宙人は地球に来ていない」という矛盾のことです。フェルミさんが考えたパラドックス(矛盾)なので"フェルミのパラドックス"と呼ばれます。

このパラドックスに対する典型的な答えは以下のようなものです。
・宇宙人は実は到達しているが、政府が隠蔽している
・宇宙人は実は到達しているが、人間のふりをして隠れている
・宇宙人は地球を知っていて到達できるが、地球人を混乱させないためにあえて到達しない(動物園仮説)

のようなものがあります。興味のある方はwikipediaや、youtubeにも解説動画がたくさんあるので検索してみて下さい。


脱成長とは?

脱成長というのは、ちゃんと説明するとかなり難しい(事前に知っておかないといけないことが多い)ので、ここでは、ごく簡単にざっくり説明します。

現在、世界の主流な考え方・価値観は、常に経済的成長を目指す資本主義です。要するに、みんな必死に頑張ってお金を稼いで、常に新しいもの・サービスをどんどんたくさん作って、いっぱい売ったり買ったりしよう、という考え方です
これに対して「そんなに働く必要ある?そんなに新しいもの必要?そのせいで、温暖化ガス(CO2)も出すし、資源もどんどん使ってるし、金持ちと貧乏人の差も広がっているよ。もっと質素でよくない?もっと精神的な充実の方が大事じゃない?」というのが脱成長の考え方です。


フェルミのパラドックスの隠れた前提

さて、話をフェルミのパラドックスに戻したいと思います。フェルミのパラドックスでは、宇宙の広さを考えれば宇宙人がいる可能性が高く、しかも1種類じゃなくてたくさんいる可能性が高く、そのうちいくつかは地球に到達しているはず、としています。実はここに、隠れた前提があります。
その前提とは「宇宙人は、無限に冒険心があるはずだ」ということです。なぜ「宇宙に宇宙人が多いと、いくつかの宇宙人は地球に到達しているはず」といえるのでしょうか?それは宇宙人に冒険心があって、宇宙をどこまででも探索するはずという前提に立っているからです。

宇宙人がどんなに賢くても、宇宙旅行が軽々できるくらい技術力があっても、めちゃくちゃ陰キャで、他の星の人とは絶対に関わりたくないって思うかも知れないじゃないですか?でも、そんなことはないだろう、という前提に立っているんですね。

地球における生命や人類の歴史を振り返ってみると、一見すると確かにそんなことは無さそうです。生命は最初、海の底で生まれました。バクテリア(細菌)ですね。それがクラゲのような生き物に進化したりしながら、海全体に広がっていきます。やがて両生類のような生き物に進化して陸地に上がります。そうして人類は最初アフリカで生まれ、地球全体に広がりました。そして、それだけでは飽き足らず、飛行機を発明し空を自由に飛ぶようになって、ロケットを発明し月に到達するまでになりました。

ここまでの流れを考えると、生命はどんどん活動領域を広げ続けるような冒険心に溢れた存在に見えます。その中でも特に人類は地球唯一の宇宙進出の可能性のある知的生命体です。でも、そんな人類の活動に待ったがかかりました。それが地球温暖化問題です。


"脱成長"の先にある世界

地球温暖化問題を解決するには脱成長が必要だという主張があります。今後、世界全体がどう動くか分かりませんが、欧米では本気で議論されていますし、一部の国・地域ではすでに脱成長の取り組みが始まっています。仮にこのまま脱成長が世界全体の当然の考え方になったとするとどんな世界になるでしょうか

脱成長は、モノを大量に作って消費するような現代社会の考え方でなく、もっと精神や人間、環境を大事にしよう、エネルギーや資源を使わないようにしようという考え方です。この考えを持ったまま科学技術が発展していけば、人類は基本的な活動をバーチャル空間で行うようになって、現実世界には人間にとって必要最低限のものしか維持しなくなるのではないでしょうか?必要最低限のもの、それはつまり脳ミソです。
要するに、映画"マトリックス"の世界ですね。現実世界には脳ミソだけあって、それにロボットが最低限の栄養を与え続ける。人類はバーチャル空間の中で自由にやりたいことをする。そんな世界です。

そんなマトリックスのような世界になったとして、人類は宇宙を無限に冒険する心を持ち続けることができるでしょうか?マトリックス化された(極限まで省エネ化された)世界では太陽がある限りエネルギーの心配はないでしょうし、太陽の終焉に際しても最も近い恒星系まで移動するだけでしょう。脳ミソだけであれば地球のような水と大気に恵まれた惑星を探す必要もありません。

(ちなみに太陽系外で、地球に似た惑星は最も近いもので300光年先です。一方で単なる恒星なら4光年先にあります。マトリックス化した人類なら太陽がなくなっても4光年移動するだけで済むってことですね。宇宙全体は900億光年以上の大きさがありますから、それと比べたら本当にミリ単位でしか移動しないことになります


宇宙人もそんな道を辿っているのでは?

宇宙人も、どこかの星で生まれて、どんどん賢く進化していくでしょう。そうして、やがて宇宙進出もできそうになるかもしれませんが、その過程でその星の資源を使い果たしそうになったり、その星の環境を壊しそうになるんじゃないでしょうか。そうなったとき、冒険心とは別の、違った価値観を持ち始めます。もっとその星の資源を大事にして、仲間たちとゆっくり生きよう、というような。
これがもしかしたら、フェルミのパラドックスの答え、地球に宇宙人がやってこない理由なのではないか?と僕は思っています。

ちなみに、フェルミのパラドックスの答えとして、僕のような考え方は既にあります。Wikipediaにも以下のような説が記載されています。

知的生命体は、高度に発達すると異星人の文明との接触を好まなくなる。特に精神転送の技術が発達し、シミュレーテッド・リアリティの中で生きることを選択する水準に到達した文明人は、基本的に自分たちが作り出した「理想的な仮想世界」の外部の出来事に関心を持たなくなる為。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9

ただ、こういう結末になる最初の一歩に、今の人類がいるのではないか?という予感がして、SF的な話と現実の話がリンクしているような気がしてワクワクしませんか?というのが今回のお話でした。


おしまい

いかがでしたか?飛躍しすぎですかね?(笑)でも、地球温暖化ってかなり深刻な問題で、人類の価値観が変わってもおかしくないレベルの、人類の試練であることは確かです。地球温暖化問題を乗り越えた先、人類が何を大事にするようになっているのか。まずはそれに注目ですね(とはいえ、それは50年先100年先の話になるので、残念ながら自分が生きているかは怪しいですが(笑))

明日とつぜん宇宙人が地球にやって来て、このnoteを台無しにしないことを祈りつつ、筆をおきたいと思います。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?