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吉田松陰と大国主命に初詣

2024年(令和6年)の元旦は『13の月の暦』のツォルキンでKIN73(8・空歩く者)だったが、今年も初詣は赤堤六所神社と松陰神社にお参りする事にした。KIN123(6・夜)が元旦に当たっていた2年前の2022年(令和4年)からこのパターンでお参りするようになって3年目になる。

赤堤六所神社

そのきっかけについては【六に導かれた初詣】に記してあるが、当時はまだ吉野ヶ里遺跡の謎の石棺(KIN123に開封)は発見されていなかったし、武内一忠先生(KIN123)のことも存じ上げていなかった。そもそも、パレンケから「赤の女王」(パカル王妃)が来日する事だって知らなかったのだ。

パカル王の石棺開封(KIN123)を含む、ひふみ(一二三)サインについては【123(開封)246(橋渡し)369(太陽意識)】を参照して頂くとして、年末年始に武内先生の『もう隠せない 真実の歴史』を読み進め、そこから繋がったTOLAND VLOGの動画を通じて古代巨石文明からの流れを俯瞰した上で今年の初詣を振り返ると、改めて興味深いものが見えて来る。

まず、東急世田谷線の松原駅から赤堤六所神社に向かうには、必ず赤堤2丁目41というエリアを通過する必要が出て来る事だ。この住所については初参拝時から気づいていたが、Lの道筋が私の誕生キンでもあるKIN241(赤い共振の竜)の状態(つまり2人ともKIN241)でここを通過できるのは、おそらく今生最後の機会だったのではないかと思う。令和六年辰年元旦に「赤」堤「六」所神社でこの事実に気づけたのが嬉しい。

KIN241のDと道筋がKIN241のL

「おみくじはもう卒業」というLに対して、数字を通じてのサインを読みたい私は、上記シンクロで数字的に満足していた六所神社でこそパスしたものの、結局、松陰神社ではLも巻き込んで数字のお告げを受け取る事にした。結果は私が13(小吉)-16(吉)、Lは18(末吉)-23(吉)。

前日、WBCを振り返る番組を見ていた私たちはこれを背番号に見立て、大谷(16)とヌートバー(23)を引いた所で楽しみが最高潮になったと感じて終了。D合計29、L合計41の総合計は70。KIN70はツタンカーメンの墓が発見された日付のキンとサイ時間であるとい形で記録しておく。

翌、G1/2(KIN74)は瀬田玉川神社へ。地元の商店街に沿って歩いた先にあるこの神社への初詣も、ここ10年くらいは元旦2日に参拝するのが常となっている。今年、並んでいる間に目についたのは『ペリー提督は吉田松陰を絶賛していた』という本の宣伝と、鯉のぼりのようなウナギのぼりがあった事、そして蛭子さんの奥様のお名前で絵馬の奉納があった事だ。

ウナギのぼり

お札を頂く時に神職の方に聞くと、ウナギのぼりは縁起物という事で(初めて見たが)、蛭子さんご夫妻は以前から様々な奉納をされていて、以前は絵馬を描いてもいたが(あの独特なタッチで)、今は寄付のみされているらしい。Time&Spaceでよく見かけた蛭子さんとも会わなくなって久しいが、地元の神社を通じて再会しているような気持ちになれるのは嬉しい。

結局、この日もおみぐじを引く事にして、Dは16(小吉)-16(小吉)-41(大吉)、Lは7(中吉)-45(中吉)-50(中吉)。2日連続で計3回も16を引くのも、3回連続中吉を引くのも、「お告げ」としては力を持つ出来事だが、私たちは一つの切り口だけでものごとを受取る習慣からは解放されているので、例えば以下のような読み取り方をする。

D合計73(=令和6年元旦キン)、L合計102(=Dの2日間合計=29+73)、総合計175。KIN175(6・鷲)は『13の月の暦』での「白い倍音の魔法使いの年」の元旦2日目(G7/27)で、カトマンズでいつもお世話になっている悟郎さん、かつてチベットサポートをご一緒していた久保さんの誕生キンでもある(G11月のカトマンズでは久保さんが写真集を下さったマチウ・リカールに偶然出会えた)。

そして、Dの2日間合計102、Lの2日間合計143、2日間総合計245。KIN245(11・蛇)と言えば吉田松陰である!

こうして見ると、元旦の松陰神社(御祭神:吉田松陰)からおみくじを引き始める事になったのも、2日目に瀬田玉川神社の参道で『ペリー提督は吉田松陰を絶賛していた』という本の宣伝を目にする事になったのにも、ある種の必然性が感じられて来る。つまり、私達二人が引いたおみくじは、全体(総合計)として吉田松陰へと繋がっていたのだ。これをダメ押しするかのように、瀬田玉川神社で参拝を終えて商店街の通りに出た瞬間、245ナンバーの車が坂を登って来たのを私達は目にしていた。

その思想や生き様に共鳴するからこそ松陰神社に初詣している所もある訳だが、それでも、これだけ多面的に松陰先生に着目させられる流れがあると、今年は改めてその生き様に意識を合わせて行こうという気持ちになる。ちなみに、瀬田玉川神社で目にした案内は神社の公式サイトにも出ていて、禰宜の高橋知明さんという方が書かれた本である事が判明した。

著者情報によると「昭和50年、岩手県陸前高田市生まれ。國學院大學卒業後、神社本庁に奉職。東日本大震災を契機に退職し、植樹活動を通して東北復興に尽力」とある。ここにも年末にWBC番組で目にしていた佐々木朗希選手(陸前高田出身)との繋がりがあった。その方が何故『ペリー提督は吉田松陰を絶賛していた』を書くに至ったのかに関心が湧く。

ところで、赤堤六所神社の御祭神は「大国魂命、伊弉冊尊、素戔嗚尊、布留大神、大宮売命」で、瀬田玉川神社の御祭神は「日本武尊、大己貴命、少彦名命」である。大国魂命は『古事記』だと素戔嗚尊の孫という形になっているが、大国主命と同一視される事もある。

一方、大己貴命もまた大国主命は青年期の名前とされるなど、複雑な背景を持つ訳だが、どちらも国津神を代表する大国主命と関係しているらしい所では共通していると言えよう。ここで、前掲の武内先生のご著書の冒頭にある一文を引用してみたい。

”フェニキアの海都ツールの王ヒラムは、ソロモン王の命を受けて日本に渡来した。出雲に着いて、ソロモンは大国主命となりフェニキアは事代主命となる。大黒様と恵比寿様でウガヤフキアエズともいわれた。”

学校で教わる歴史観からすると、かなりカッ飛んだ発想とスケールで、「俄かには信じられない」という事になると思うが、どういう文脈でこういう話になるのだろう?という素朴な疑問を抱きつつTOLANDの関連動画なども見て行くと、中々に面白くて「大まかな流れとしてはありかもしれない」と思えて来る。

そんな気分になったところで、改めて初詣した神社の御祭神やエビス(恵比寿、蛭子)さんの関わりなども見て行くと、壮大な物語が身近な所にリアリティを持って現象化しているようにも思えて面白い。

私が上記のような捉え方を可能性の一つとして楽しめるのは、時間の区切り方が多様で、全体との関係性も意識できるようデザインされている『13の月の暦』をベースにして生活している事と深く関係している。特定のおみくじの内容とか数字、御祭神の一柱だけに注目していたら、決して見えて来ない話なのだ。

ある事象に対して意味を一つだけに定めようとする所に行き詰まりの源がある。私達は本来、もっと自由で広々とした存在であることを知る必要がある。それも知識としてではなく体験として。クリカが提供している様々なクラスや稽古は、そこに向かう方向性を持っている。従って、どこからアクセスしても、実はやっている事の本質は同じなのだ。(D)

律動の月28日 3・竜(KIN81)

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