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長崎原爆の情報場を癒すルルドの聖水

10/1(KIN86)はL(蘭禅)の誕生日である1/14から260日後に当たる。1/14の260日前が前年2023年の4/29(昭和の日)で、その更に260日前、つまり今年の10/1から780日(火星会合周期)前は、2022年の自分の誕生日8/12に当たる。その日、53歳となった私は【火星と日本のトータルリコール】の中で以下のようなことを記していた。

"今日から始まった新しい運命の道筋KIN86(8・世界の橋渡し)が、ホ・オポノポノを世界に広めたイハレアカラ・ヒューレン博士(KIN86)の誕生キンで、それが、52歳後半の一連の流れと深く関係していたことを記しておこう。1/15(KIN137=赤い共振の地球)、トンガ噴火が文字通り地球全体を共振させた日に、ヒューレン博士(KIN86)が旅立たれた事を、私はその数日後に知った。"

KIN86(8・世界の橋渡し)の道筋に入った私は、2022年8月12日〜2023年8月11日の1年間を、ヒューレン博士になったつもりでクリーニングし続けた。その影響もあってか、予想外の大激変が自分と関わる様々な領域でも起こったが、新刊制作に向けた新しい動きもあって、そこではまさにKIN86が驚くべき共鳴ポイントなっていた。

そんな背景があっただけに、長崎五島の旅は初日の10/1(KIN86)から密度の高い時間が流れていた(【海洋民族ラピュタが見た北緯33度の星空】参照)。出島ワーフでランチを済ませた武内先生と私は、miccoさん&kazさんと合流することになっている諏訪神社(鎮西大社)へ移動。お二人の到着までまだ少し時間があるようだったので、まずは境内探索へ。

1週間後に長崎くんちを控えた境内は、観覧用の桟敷席設営が行われている最中であったが、常に海洋民族の視点でフィールドワークをされる武内先生が真っ先に向かったのは、稲佐山が見える本殿左手の長崎公園方面であった。盃状穴が埋められたような跡のある石碑以外はめぼしい発見はなかったが、噴水の奥にある岩場がかつての水源だった可能性も見出しつつ本殿方面に移動。

亀を撮影したら盃状穴っぽいものも写っていた

参拝後、大門からの長い階段を降りて駐車場近くで待つことしばし、宮崎から4時間半も以上かけて運転して来たmiccoさん&kazさんと無事合流できた。ロスでハリウッドスター達に寿司を握っていた寿司職人kazさんとは初めましてだったが、挨拶もそこそこに次の目的地ルルドに向かうことになった。どうやら武内先生の頭の中には、巡るべきポイントが順番含めて浮かんでいるらしい。

諏訪神社から車で10分余りの場所にあるカトリック本河内教会の近くに車を停め、「ルルド➡︎」と書かれた看板を頼りに急な階段を登って行く。レインボー・iの技法「五芒星共鳴」等を試すのにはもってこいの条件と、最後尾で実験をしつつ登っていると、何と五芒星のマンホールを発見!更に進むと「聖母の騎士団学園」の体育館に、以下のような看板があった。

経営母体である修道会の創立者、アッシジの聖フランシスコが、すべての被造物に対して「兄弟よ、姉妹よ」とよびかけた” という一文から、私は映画『ブラザー・サン シスター・ムーン』を思い出しつつ、同時に、数年前に訪れたアッシジの情景も思い浮かべていた。

気になって過去記事を確認してみると、アッシジを訪れたのは2019.6.22(KIN240)で、その記録は何と【クリカのメルマガ Vol.86】に書かれていた!

KIN86に訪れたルルドで目にした看板から、鳥と話した聖人フランシスコを辿ってみたら、メルマガ86号の記事に至り、その中にはカーラチャクラ(時の輪)86代継承者でもあるダライ・ラマ法王のことや、33番テーブルでランチをしたこと、そして、大雨が降ったのはランチの時間帯だけだったことなどが記されていたのだ(これは今回の長崎五島の旅ともシンクロする)。

結構な長さの階段を登り続け、やっと明るい広場に出たと思ったら、そこがフランスのルルドを模して作られた屋外礼拝所であった。緑に囲まれた広場に白いベンチが並べられただけの素朴な感じが、アッシジのカルチェリ庵の辺りにも似ている気がする。

2つのルルドの水をひとつにする

ここで、ほんのひと月ほど前にフランスのルルドを訪れて来たばかりのmiccoさんが歌と祈りを捧げ、現地で汲んで来たルルドの水とこの長崎のルルドの水とをひとつにする儀式を行なった。そのタイミングに木漏れ日がマリア像が見守る水場に差し込んで来たのは、祝福のサインであろう。

miccoさんがルルドを訪れたばかりだったのは武内先生も存知だったと思うが、この長崎のルルドについては、今回、市内のどこを巡るかをリサーチしていて偶然発見されたらしい。その見つけ方も巡る順番も、直感的ながら流石という他ない。ひと息ついたところで、ふと気になってmiccoさんに「ルルドに行かれたのは何時ですか?」と聞くと、9/4(KIN59)とのこと。

この時は「惜しい」と思いながらそれ以上追求はしなかったのだが、後でどうしても確認したくなって「前日の9/3(KIN58)はどこに居ました?」と聞いてみたところ、9/3(KIN58)には既にルルド入りしていたことが判明。私は「それは素晴らしい!」と、長崎原爆との関係性について話し始めた。

新月の9/3は、「13の月の暦」の260日暦でKIN58(6・鏡)に当たっており、長崎に原爆が投下された1945年8月9日(KIN58)から「13の月の暦」のツォルキン(260日暦)がぴったり111回巡ったタイミングに当たっていたのだ! つまり、miccoさんがルルドにいた日は長崎原爆の日と4次元的に繋がっていたのである。

そういうタイミングにフランスのルルドに身を置いていたmiccoさんが現地で汲んで来た水を、原爆が投下された長崎の地に届けただけでなく、水を通じて長崎のルルドと接続させたのだから、この霊的意義は大きい。私は、時と場所に適ったこの儀式を通じて、長崎原爆によって歪められた多次元的な情報場がある面で整えられ、癒されたのではないかと思っている。

そして、これはこのメンバーでなければ出来ない仕事であったとも思う。実際にフランスのルルドを訪れたばかりで、五島行き&長崎前入りも決意されたmiccoさん&kazさんあっての話ではあるが、長崎ルルドを発見し、合流するなり真っ先にそこに向かわれた武内先生の直感と行動力がなければ、2つのルルドを繋ぐことは出来なかった。それに、日付のシンクロは「13の月の暦」だからこそ見えて来るもので、その暦があっても、私のように普段から周期を追っていなければこの一致に気づくことは出来ないのだ。

当初、先に長崎入りした場合の訪問地として、私は浦上天主堂や原爆資料館を考えていた。原爆の否定的効果を反転させる意図で開発された「倫理プロジェクト」の実践者として、その地に身を置き、祈ることで少しでも調和への貢献ができるのではないかと思ったからだ。しかし、この長崎ルルドでの儀式で、その目的は十分果たされたように私には感じられた。

ちなみに、miccoさんがフランスでルルドに入った9/3(KIN58)は、「13の月の暦」見ると、長崎ルルドを訪れた10/1(KIN86)の正確にひと月(28日)前にも当たっていて、私はその日、富山県の高岡城址にある射水神社を参拝した後、キリシタン大名・高山右近の像に出会い、県道58号を歩いて高岡駅に向かっていた。

富岡鉄斎没後100年を記念して富山県水墨美術館で行われていた展示を見るために、Lの発案で突如決まったミニトリップだったが、58という数字を通じて長崎とこのような形で繋がってくるとは思っていなかった。尚、「13の月の暦」の誕生に深く関わっているマヤのパカル王の死の日付「6エツナブ」も、「13の月の暦」的に表現するとKIN58に相当する日付となる。

さて、何か満たされたような心持ちで礼拝所を後にしようとした時、「コルベ神父のルルド案内」という案内板が目に留まり、またまた衝撃的な情報を知ってしまった。最初は ”ルルドとは、フランスの南にある町の名前です。今から140年ほど前、この町の少女ベルナテッタに、聖母マリアさまが19回にわたって、ご出現になりました。” という一文。

ルルドとベルナテッタの関係については知っていたものの、聖母マリアが19回にわたって出現されたというのは聞いたことがなかった。それをKIN19(6・嵐)から始まった「青い律動の嵐の年」に知るというのは、驚き以外の何ものでもない。しかし、この「19」の魔法は、この記事を書いている今日にも深く響いていることに、今、気づいてしまった!

今日、自己存在の月8日(G10/25)はサイ時間がKIN57(=19×3)で、『時間の法則の20の銘板』に基づく「ひと月=1キン」の見方では、今月「自己存在の月」全体がKIN95(=19×5)に対応し、長崎の直前に武内先生&miccoさんにお会いした「世界水まつりin阿蘇2024」はKIN76(=19×4)で、全て「19」の倍数が関係しているのである!

「13の月の暦」の文脈では『コーラン』を読み解く特別な数字として「19」が取り上げられているのだが、ルルドにも「19」が深く関わっていたことが、このタイミングで判明することに驚きを禁じ得ない。【畤(まつりのにわ)から霊畤へ】【桜井茶臼山古墳のハグロトンボ】にも記した通り、新年始まってすぐに訪れた茶臼山古墳は高さが19mあり、私はその時と最近、2度同じホテルで「19」の荷札を受け取っている。

案内板に話を戻そう。”コルベ神父は、ポーランド国を出て東洋へ向かう旅の途中、フランスのルルドへ参詣し、その時、東洋にもマリアさまのルルドを作ること決心しました。” ...どこかで聞いた名だと思っていたら、コルベ神父とは、あのアウシュビッツ収容所で死刑を宣告された人物の身代わりを申し出て殉教した聖人であった。

手元の写真を頼りに調べてみると、7年前のまさに今頃(10/26)、私はポーランドの古都クラクフを訪れているのだが、コルベ神父は、その古都クラクフにある神学校の教授を3年間勤めていたらしいことも判明。また、同国出身の教皇ヨハネ・パウロ2世が1981年に来日した折、ここ(長崎本河内ルルド)で祈りを捧げ、その翌年、コルベ神父を列聖したことも明らかになった。

最後にもう一つ、この案内板から引用したい。”永井隆博士は、原子爆弾で首の部分を怪我しました。その後、傷は化膿し、エソという病気になったため、原爆の丘で友人の外科教授に手術してもらいましたが治りません。博士は苦しんでいた時、聖母の騎士のルルドの水をいただいて快癒しました。” まさに「倫理プロジェクト」の目指す「原爆の否定的効果を反転させる働き」がこのルルドの水にはあるということを、このエピソードは示している。

様々な時間と次元が交差したような、何とも感慨深い印象を覚えつつ、本河内ルルドを後にした。その後、武内先生が目をつけていた稲佐山周辺の神社をいくつか巡ろうと試みるも、道が狭すぎたり、地図では見えない高低差があったりで、それ以上深入りしての探索は止めようということになった。何しろ、本番は明日からの五島である。

最後に稲佐山に登るロープウェイの麓にある淵神社で盃状穴を見つけて、この日の探索は終了。日中は日差しが暑いくらいだったが、徐々に曇り空になり、夜には湿気混じりの風も吹いて来た。明朝、五島に渡る高速船ジェットフォイルが無事運行してくれることを祈りつつ、眠りに就いた。(D)

自己存在の月8日 6・犬(KIN110) 

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