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占いの神「櫛真智命」と「魔術の亀の日」

月日の「銀河の音」が「4」で重なっていた「魔術の亀の日」のKIN225(G11/9)、奥多摩の武蔵御嶽神社を何十年ぶりかで参拝した。お天気にも恵まれて最高の参拝になったが、その経緯とともに、背後に見え隠れする「櫛真智命」という謎めいた神について、記しておきたいと思う。

御嶽神社に行こうと決めたのは自己存在の月10日(G10/27)、KIN212(4・人)。つまり、実際に参拝した日から13日前の同じ「魔術の亀の日」であった。ちなみに、その日のサイ時間はKIN60で、古代マヤ暦でのパカル王誕生日に該当する日付でもあった。

その日は朝から「太陽と亀に関するシンクロ」があったり、何かと賑やかな1日だったのだが、各地の紅葉情報を目にして自然散策に出かけたい衝動に駆られ、リサーチをした日でもあった。

日帰りで軽くハイキングができる感じのコースをと考え、秩父、奥多摩、伊豆、箱根、富士山麓あたりを思い浮かべる。Lの脚力なども考慮しつつ調べる中、剣武道友Jさんが少し前に訪れたという話を思い出し、ケーブルカーで山頂近くまで行ける奥多摩の御嶽山が良いかもしれないと閃いた。

私自身は四半世紀以上前に何度か訪れた事があるのだが、山頂にある武蔵御嶽神社の御祭神については一切記憶が無かったので(当時は関心が無かったのかもしれない)、気になって調べてみると、何と「櫛真智命」と判明。更に住所は「青梅市御岳山176」であることが分かった。その瞬間、行き先は御嶽山に決まった。その理由を、以下、順を追って書いてみよう。

1年前の10/28(KIN108=4・星)、私は大和三山の1つ天香久山の麓にある天香山神社を初めて参拝した。その神社の御祭神が「櫛真智命」だったのだ。どのような神様なのかについては後述するが、その神様を初めて知った日も、その御神名を再び目にした日も「4(自己存在)の魔術の亀の日」であったのは、不思議としか言いようがない。

そもそも、天香山神社に参拝した経緯も、【GM108Xの導き(2)〜天上の虹から】にまとめてある通り「導き」であって、当初は参拝どころか10/28は既に帰宅している予定だったのだ。予定変更した理由はリンク先に譲るが、行き先を天香久山にした背景は以下の通りである。

直前に【「即位礼正殿の儀」に掛かった「天上の虹」】という記事を書いていて、持統天皇から天香具山を連想していたり、香りアーティストの芳美さん(KIN108)の事を思い出したりはしていたが、最初は「そういえば天香久山は登った事がなかったな、行ってみたいな」というシンプルな気持ち、閃きがあっただけだった。

ここに登場している並木芳美さんも今回の件にとても深く関係している人物だ。今年のG2/9(KIN212)に銀河に帰還されてからの次元を超えた交流については【ダライ・ラマ法王の夢とGM108Xの芳美さん】にまとめてあるが、櫛真智命とのシンクロがあまりに美しいので、時系列に整理して見ることにする。

2019.10.28(KIN108=4・星)芳美さん誕生キン、天香山神社に参拝し御祭神が「櫛真智命」と知る
2020. 2. 9(KIN212=4・人)芳美さん銀河へ帰還(獅子座生まれで獅子座満月に帰還)
2020.10.27(KIN212=4・人)芳美さんの旅立ちから260日、御嶽神社の御祭神が「櫛真智命」と知る

つまり、「櫛真智命」との出会いは、芳美さんの誕生と死の日付に完全にリンクして生じている事象なのだ。加えて、「4・星」で始まった365日の「時の輪」は「4・人」で終わる。仮にKIN108で始まる1年があるとしたら、その「時間をはずした日」はKIN212になるのだ。そういうサイクルで「櫛真智命」に出会う事も驚きだが、芳美さんの365日暦誕生日がまさに「時間をはずした日(G7/25)」である事を知っていると、その驚きはさらに倍増する。

もう一つ、武蔵御嶽神社の住所が「御岳山176」だった事も今回の参拝を決定付けた要素の1つであった。前掲【GM108Xの導き(2)〜天上の虹から】にある通り、KIN176(7・戦士)は漫画家・里中満智子さんの誕生キン。里中さんは第41代持統天皇の生涯を描いた『天上の虹』の作者で、365日暦誕生日はホゼ・アグエイアス氏と同じG1/24(共振の月15日)。

実は「櫛真智命」は「大嘗祭」とも関係のある神なのだが、その「大嘗祭」からの流れで『天上の虹』にも再注目していただけに、ここで再び「櫛真智命」と連動して里中さんの誕生キンと同期する数176が出てきたのは、私にとって驚き意外の何ものでもなかった。

さて、一連のシンクロを通じて私を導いている「櫛真智命」とは一体どんな神なのだろうか?まずは【GM108Xの導き(5)〜天香久山の聖なる時間トンネル】から、天香山神社に到着した時点の記述を引用してみよう。

人気の無い境内の案内板には以下のような記述が見られる。《御祭神:櫛真神(元名:大麻等地神):櫛は奇(不思議)真は兆(占い)の古語にて、神武天皇記に、天香山の社が見え創建古し》。御祭神は初めて耳にする「占いの神」だった。

この案内板を目にしてから365日目の10/27(KIN212)、Wikiで武蔵御嶽神社を調べると、主祭神が「櫛真智命」(神社公式サイトでは「櫛麻智命」)であると判明。と同時に、以下のような記述がなされている事に目が引きつけられた。

明治に入ると神仏分離によって、それまでの御嶽大権現から大麻止乃豆天神社に改称した。これは当社が延喜式に載せられている「大麻止乃豆天神社」に比定されたためであるが、同様に大麻止乃豆天神社であると比定される神社が他にもあったため(稲城市大丸の大麻止乃豆乃天神社)、御嶽神社と改称した。

そこで、そのまま「大麻止乃豆天神社」に飛んでみると、当然の事ながら主祭神は「櫛真智命」とあり、天香山神社との関係も以下のようにしっかり記されていた。

『延喜式神名帳』に記載されている大和国十市郡の天香山坐櫛眞命神社(現・天香山神社、奈良県橿原市の天香久山北麓に鎮座)に「元名 大麻等乃智神」との注記があることから、当社も天香山神社と同じ祭神であろうと考えられたものである。

かつて御嶽神社の呼称でもあった大麻止乃豆天神社の住所が、東京都稲城市大丸847。地図で検索してみると、何とJR南武線の南多摩駅から300mほどの距離にある。南多摩駅は、二子玉川から御嶽山に向かう最短経路上にある駅。櫛真智命というあまり目にする事のない神様を祀る神社が、そのような場所にある確率は一体どれくらいのものなのだろうか。

一瞬の間にこのような驚きを味わった10/27(KIN212)、いつ御嶽山に行くかもすぐに決まってしまった。紅葉が見頃となる11月上旬の平日で、Lも私も都合がつく日は11/9(KIN225)、つまり「自己存在の月」2回目の「魔術の亀の日」しかなかったからだ。どうやら「櫛真智命」は「魔術の亀」がお好きなようだ。

その気づきとシンクロするように、11/9当日、家を出る前にインスタを開くと、フォローしているbbcearthのウミガメ写真がトップに出てきた。その時はまだボケッとしていて気づいていなかったが、ウミガメは「櫛真智命」と関係があるのだ。

溝ノ口で南部線に乗り換え、スマホで再度「櫛真智命」を調べると、令和元年12月15日(KIN156=13・戦士)に発行された「青梅市文化財ニュース 第386号」がヒット。以下はそのニュースに掲載されていた「御嶽神社のご祭神」という文章からの部分引用である。

櫛真智命はどのような神様かというと、クシは「奇し」で 奇異な・すばらしいの意。マは美称・強調。チは知能・知識・知恵を表し、何とも奇異な知識を持った神様ということになります。神事・占いを司る神様で、御嶽神社で1月3日に「太占祭」が行われる由縁です。
『古事記』で天照大神が天岩屋に籠もった時、「天児屋命、布刀玉命を呼び、天香山の真男鹿の肩を内抜きに抜きて、天香山の天波波迦を取りて、占合まかなはしめて」とあり、神様たちが迷われた時に行う太占の方法が記されています。
太占は雄鹿や猪の右肩甲骨をハハカの木を燃していぶり、ひび割れ具合で占います。ハハカとは上溝桜のことで、大嘗祭で悠紀殿・主基殿選定の亀卜は、アオウミガメの甲羅を鹿と同じようにいぶるため、木は上溝桜が使われました。

何と、出掛けに見たウミガメ写真は「魔術の亀の日」だけではなく、ここにも繋がっていたのである。そして、ちょうど南多摩駅に近づいた頃、以下の文を読むことになったのであった。

天児屋命・布刀玉命・櫛真智命は、皆同じ神といえますが、櫛真智命として祀られる神社は少なく、度々出てきた奈良県の大和三山(畝傍山・耳成山・香具山)香具山の北麓「天香山神社」、長崎県対馬の「太祝詞神社」に稲城市の「大麻止乃豆乃天神社」くらいです。

天香山神社の参拝体験をまとめた【GM108Xの導き(5)〜天香久山の聖なる時間トンネル】の中で、私は大嘗祭の「斎田点定の儀」の亀占について詳しく書かれた「日本神話.com」さんの記事を紹介しているが、その内容は上記引用文をより詳細に記したもので、「アオウミガメ」と「波波迦(ハハカ)の木」をどこから調達するのかまで書かれているのだ。

大嘗祭の中心的儀式は、その年に収穫された新穀で作った食事やお酒を「御饌」として天照大神にお供えし、五穀豊穣に感謝すると共に、新天皇自らも食する(嘗める=あじわう)「共食」にあるとされる。その「御饌」の中でも最も重要な「お米」は、神意を伺って選ぶ「特別なお米」である必要があるのだ。

ここで登場するのが「亀卜」という占いで、大嘗祭での「共食」にふさわしいお米が何処で穫れたお米なのかを亀卜で選ぶ儀式が「斎田点定の儀」という訳である。『古事記』の岩戸開きのシーンで「鹿の肩骨」と「天の波波迦の木」を用いて行われた亀卜は、昨年の大嘗祭では「東京都小笠原村のアオウミガメの甲羅」と「奈良県橿原市の天香山神社の波波迦の木」で行われたという。

”亀卜”が『古事記』の岩戸開きと直結する場面で登場したこと、2019.8.12(KIN31)に皇居東御苑を初訪問し、2019.10.28(KIN108)に天香久山北麓にある天香山神社でその占いを司る神「櫛真智命」を初めて知り、南麓にある天岩戸神社を初参拝したこと、更に2019.12.2(KIN143)に皇居東御苑の大嘗宮を参拝し、2020.6.20(KIN83)に高千穂の天岩戸神社(天安河原や天岩戸もある神話のままの土地)を初参拝した事などが想い起こされた。

神話の場面を想起させる土地のエネルギーを体で直接味わって来た私にとって、この流れは、今も日本という国に息づいている霊脈をありありと感じさせられる体験であった。何しろ神代の神話的事象と現代の天皇即位時の儀式との間に、全く切れ目のない形で神意を問う手続きが存在しているのだ。そして、そこに関わる神が「櫛真智命」だったのである。

2020.10.3(KIN188)の伊勢山皇大神宮での剣武天真流奉納演武が、「令和」の始まりである2019.5.1(KIN188)から正確に520キン後であった事や、「時のからだ塾」第8リズム(2020.9.20〜)から参加されたメンバーの一人が同じくKIN188で、小笠原さんというお名前であった事も、亀卜との関係を知ると偶然で片付けることはできなくなる。

そして、これらの繋がりは『13の月の暦』を本来の形で使用していなければ、気付くことが出来ないものでもある。「令和」にまつわる一連の流れには常に「黄色い星(紋章コード番号8)」(金星軌道)が関与しているが、閏日の扱いも含め『13の月の暦』本来の数え方をしてこそ見えてくる現象なのだ。

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話を11/9(KIN225)に戻そう。青海亀と音霊が似る青梅を経由してJR御嶽駅から乗ったバスのナンバーは「13-20」。このミニトリップが13:20の周波数と完全同期している事が示されている。天気はいよいよ晴れ渡り、見事な紅葉が青空に映えていた。武蔵御嶽神社の本殿、境内社を参拝した後で、おみくじを引く。

「占いの神」だけにちょっとドキドキしてしまったが、私は16番、Lは60番であった。KIN16は昭和天皇の誕生キンで、KIN60はパカル王の古代マヤ暦での誕生日、そして御嶽神社参拝を決めた日のサイ時間単位だ。天香山神社に参拝した日も御嶽神社に参拝した日も「4の魔術の亀の日」だったので、櫛真智命からのお告げが「16(4×4)」であったのには、16週目というタイミングや内容も含め、深く納得させられてしまった。

16+60=76は、チベット民族蜂起の1959.3.10(KIN76)に通じ、16×60=960はカーラチャクラの周期としてホゼが『マヤン・ファクター』の中で取り上げている周期でもある。カーラ・チャクラの教えがこの世界に伝えられた1027年は、チベット暦の起点でもあり、そこから960(=60×16)年経過した1987年がハーモニック・コンバージェンスだった。

前日11/8(KIN224)に行われた「立皇嗣の礼」も大嘗祭からの流れで行われたものであり、【新年のゲートを開く】に記されている通り、チベット関係の流れや、剣武天真流の丸山師範(1987年生まれ)との関係など、複雑かつ驚くべき完全さで繋がっているのだが、既に随分と長くなっていてとても書ききれないので、「櫛真智命」と「魔術の亀」に関する切り口としては、ひとまずここまでにしておきたいと思う。(D)

自己存在の月26日 7・星(KIN228)

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