匿名特有の批判精神に対する推察

自覚出来ることに関して、限界まで自覚を突き詰めて行くタイプだけど 自覚とは縁のなさそうな人間って、開き直ってたり、演じたりしてるだけなの? 

例えば、人に迷惑を掛けてるかどうかなんて簡単に自覚出来そうだけど、長い間平気で同じような感じで人に迷惑掛ける奴がいるけど なんなんだろうなあれ

俺は、マジで自覚から逃げられない人間だからこそ、本気で動機が理解出来ないんだけど どうしたら理解出来るようになるんだ ああいうのって

簡単な言葉で言えば、馬鹿だからで終わる話だが やっぱり、馬鹿とは感覚が違うんだろうか 自分の趣味にプライドがない人間だから、他人の趣味に対するプライドが理解出来ないのか 理解した上で、嫌がらせしたくなってしまうのか 基本的に犯罪者の思考なんて理解出来ないから 考えても仕方のないことなんだが

趣味にプライドを失ったから人格破綻者になってる気がする 過激な見方をすれば、自分の人生に誇りを持てない奴は、人格破綻者のまま生涯を終えるが

というより、俺が認めようとしなかっただけで、それが一種の現代人らしさなんだろう 現実とネットのことを言うわけだが、仕事上での評価さえ自分で管理出来てれば安心出来て、評価が関係ない場面での行動を顧みない。 そういった二面性を持つことが、現代人の特徴なのだろう。 正しさが通用しないのは、そもそも他人の評価を前提としての書き込みをしているのではなく、評価が不利益に繋がらない場所で、ストレス発散するという認識でやっているというわけだ。

一言で言えば匿名の悪用 匿名の悪用をしている人間に、正しさで挑んでも相手の認識が変わることはない 間違った行動を進んでやるような奴に、間違いを指摘しても、逆効果でしかない。そいつからしたらマイナスもプラスになっているわけなんだよね。 そもそも悪用しているのが前提だから

俺が自覚にこだわるのって、なんで、好きなのかってことを考えてしまうからなんだよね。生きる上でやらなくていいことに付き合う時間の方が長いから。義務感に追われているほど、自覚から遠ざかるものなのだろう 共感性の無さは義務感の産物で、個人の責任とは言えないのが難しい所なんだよな。結局の所、義務感からの解放が、生きやすい社会への近道である。 個人的に実践できるような考え方としては義務感をなくすような考え方を自分で模索し続けること。 でしかないからこそ、他人からの細かい干渉は効果がないという話になる。

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