見出し画像

いつもとちょっと違う寄附のきっかけ

認定NPO法人D×Pの月額サポーターに27歳の誕生日になりたいなと思いました。その経緯とかは未来の自分のために書き残しておきたいと思ったので、言語化頑張ります。


寄附のカタチ

寄付をするって何だろう。わたしの中では、誰かのためにお金を使うことだと考えているのだけど、最近の流行り言葉だとクラウドファウンディング(寄附型)や月額サポーターの類もその方法の中に含まれるのだと思ってます。そうすると、わたしにとっては初めての寄付ではなくて、1年くらいは大学時代によく行ってたところが「なんかしたい」という会社になっているのだけど、そこのサポーターは続けているし(これに関しては寄付しているという意識よりも、大切な人に還元したいという意識の方が強い)、単発でクラウドファウンディングを使ったこともあります。

▶︎ https://www.facebook.com/100005504229206/posts/1048688675324597/

この2つに共通することは、これに関わる人を応援したいという側面がすごく強いなと思っています。それにと比較して今回の月額サポーター。応援したいという側面はもちろんあるのだけど、それ以上にやってることに興味があったり、考えてみたいなと思ったのが強いです。前からずっと気にはなっていたけれど、このタイミングというのも何かの巡り合わせだと思っているので、そこのところも書きたいと思っています。

大学時代に考えていたこと(振り返り)

野望ではないのだけど、社会について思っていたことを大きく2つに分けると、①教育格差について②政治参加についてに分けられます。

①教育格差について

“私の家族のはなし。 このイベントで話を聞きながら、自分の家族ってどうだったのだろうと改めて考える。私は自分の選択を親に相談できないという問題を抱えている。というのも、いくつか根底にある価値観があるのだけど、親に認められたい、受け入れられたいから自分の弱さを出せない、つらいを出せないところがひとつ。(いい子ちゃんでありたい症候群) あと大きなところで言うと、自分の選択について話しても否定されるのではという恐怖があるからという所がもうひとつ。 この2つ目の部分に関しては、原体験がはっきりあって、高校時代に大学に行きたい!と話した時に『あんたを大学に行かせるお金が有れば弟を大学に行かせる。結婚すればそれまで』的な事を言われた高校2年生の秋。(受け取り方を多少私が曲げているところはある。)そんな事を言われても意地でも大学に行こうとはしていたし、結果的に自分の選択は尊重されているのだけど、当時の言葉がトラウマになって(他にも原因はあるのかもしれない)、今でも否定されるのが怖くて大事な決断は過程を家族には相談せずに(家族以外には散々相談してたけど)、決定事項でしか話せない。東京に行く時もそう。でも今だから思う、そんな決断を尊重してくれる両親で良かったと。” https://note.com/kukukussy/n/na5c26afa246d#rkIxc

これは「家族」に関するイベントに参加した後に書いたイベントレポート的なnoteから引用したのだけど、これは私の根っこにあって、今でも結構ひきづっていること。これは私の中の話なのだけど、「お金があればできたことがあるのではないか」という視点が抜けなくて、特に学校に通っていて自分で生計を立てていない人にとっては、家庭環境で全てが決まってしまうような気がしてやまない。学問に限らないんだけど、色んなことを感じたり、考えたりする機会が、生まれ環境で格差が生じるのっておかしいし、その結果貧困が連鎖していく状況に疑いを持っていたのだと思います。その状況を何とかするひとつの選択肢として知ったのが「社会関係資本」で、地域コミュニティをはじめとした人とのつながりだったのです。以下当時のSNSより。
https://www.facebook.com/100005504229206/posts/446109522249185/

②政治参加について

1番端的にまとまっているのが、卒論を完成させた時の投稿なので、それをあげておきます。
https://www.facebook.com/100005504229206/posts/583229535203849/

入口はどうして公教育に関わる予算は少ないのだろうから始まって、それに関するひとつの見解として、「身近に起っている問題について興味を持って関わろうすることが大切」と結んでいます。その時に感じたことが、社会で起こっていることについて、意識高い風で興味持っている風だったけど実際は知ろうともして無いし、関心を持とうとしていないのかもしれないということでした。だから、知ろうとしようと動けばよかったのだけど、現実を知ったその後5年の話を次に書きます。

現実を見た社会人5年間の振り返り

吉岡里帆が母校の先輩です。というのは嘘では無いのだけど、そんな仕事をしていた時のnote(また引用)をひとつ。

私が仕事上関わらないようになってから、もう2年が経ちます。私が今の部署に異動するタイミングで新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言が発出といった形で世の中が変化して、私が携わっていた時とは少し法とか考え方が変わっているから正しく表現できないのだけど、セーフティーネットとして入口の部分では上手に利用してほしいと思う部分と、性善説だけではどうしようもならない現実も目の前にはありました。世帯の場合いろいろ事情があって、キーパーソンと関わっていても、10代本人と十分に関われないことはよくある。本人に対して直接援助する必要性は潜在的には感じてていたのだろうなと今振り返って思います。生活困窮の現場で何もできないとは言わないけど、できることってすごく限られると思っていました。(今の職場に移ってから思う投票率の話や、主権者教育のこともあるけど、それはこのトピックには不要なので割愛)

そして今。

口では、何をしたいのかわからないという。でもそれは「したいことが分からない」というより、「したいことに蓋をしている」の方が正しいと思っています。口で喋るより、文章にする方が私は言語化しやすいらしいので、ちょっと頑張ることにします。蓋をした中に何があるかは、開けてみないと分からないし、開けた時には入れたものと違ったものが出てくるかもしれません。大学時代思っていたことは、嘘ではないし今でも信じてはいると思うのだけど、現実を見過ぎて考えていることに蓋をしました。こうやって蓋をしているものはたくさんあると思うのだけど(実態の把握はできていないと思う)、蓋を開けたいと思うきっかけはいくつかあって、「どうありたいか、何がしたいか」をグルグルと何十周も考える中で、まずは目の前で困っている若者に対して、支援している団体(D×P)に乗っかって支援してみる。ちょっと飛躍した暴論かも知らないけど、私が3年間でできなかったことを実現していると思う団体を支援することで、困っている人を助けたり応援できたらいいなと思うし、そこから感じることがあれば良いなあと思っています。(人を応援することは昔から好きだ。)

以前学習支援をしているNPOでボランティアをしていた時期もあるのだけど、事情があって離れて以来、ソーシャルな場(漠然としすぎ)からちょっと距離を置いていたのだけど、もう一度向き合いたいと何となく思っています。(そもそもよくわかってないから、まずは知ることから始まる気はしている。)

言葉にしたいけどできないモヤモヤシリーズ。またやります。(今回はどういう場とかという分野的な側面が強かったので、今度はどういう人との関わり方をしたいのかをきちんと掘りたい。)





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?