結果がわからない方が面白い
「暇だからコーヒーの自家焙煎始めたんだ」と知り合いに伝えるとたいていの場合、決まって「コーヒーそんなに好きだったっけ?」と言われる。
何を隠そう僕はコーヒーよりも紅茶派だ。それを知っている知り合いたちは「好きでもないのに、なぜコーヒーの焙煎というマニアックな趣味に手を出したのか」と疑問に思うことも仕方がないことだろう。
僕が焙煎をし始めた理由はとてもシンプルで、”何か面白そうだったから”に尽きる。自分好みの美味しいコーヒーが飲みたいなんて気持ちは微塵もない。純粋な好奇心から始まった。だからお金を出して道具や豆の品質にこだわろうとも思っていないし、興味がなくなれば次の趣味に移ると思う。
いうなら暇な日常の場つなぎに過ぎない趣味だった。
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コーヒーに対する愛ではなく好奇心で始めたコーヒー焙煎も何度か繰り返していると、愛着がわいてくる。火の入れ方、お湯の温度、抽出速度で微妙に味が変わってくる。まるで気まぐれな猫のようだ。今では美味しいコーヒーをどうやったら飲めるのか、と書籍を大量購入して勉強している始末だ。
好奇心で始めた焙煎だったが、美味しいコーヒーを淹れることが目的にかわったかと言われるとそうではない。あくまで変化する味に興味があるのだ。
そもそもの話、美味しいコーヒーが飲みたいのならコーヒーが美味しい喫茶店を探すのが一番効率が良い。オススメを教えてもらい、味の感想を伝え、別のオススメを教えてもらう。
そのフィードバックループを繰り返すことが好みの味にたどりつく一番の近道で、再現性も高いだろう。餅は餅屋に尽きると思う。
それでも自家焙煎にこだわるのは効率性よりも自分でカスタマイズする面白さが勝っているからだと思う。目標の設定と仮定の策定。検証と結果の確認。この試行錯誤のループが非常に面白い。
スマホゲームのガチャやパチンコスロットがあれほどまで人を駆り立てるのは結果がランダムでわからないからだと思う。
何かの本で読んだが、サルにボタンを押させて餌を与えるという実験があった。1つ目はボタンが押されると必ず餌が出つ。2つ目はボタンが押されると出るときと出ないときがランダムにある。1つ目のボタンが与えられたサルは必要な分だけ餌を食べたが、2つ目のサルは違った。必要な分を超えてボタンを押し続けるようになり、その後設定を変えて餌が出ないようにしてもそのまま押し続けた、そうだ。
おそらくこのランダム性には人を惑わす中毒性があるのだろう。
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この話を聞いて以来、僕は面白さを探すときにはできる限りランダム性を日常に取り入れようとしている。ただ完全なランダムは結果は運によってしまう。それはそれで面白くない。僕における面白さは自分でコントロールできるというところも重要なのだ。
適度にランダム性があって、自分でコントロールでき、自分で評価できる。この要素が揃った趣味なんてなかなかないので、僕は、美味しいコーヒーが飲みたいという目的のために焙煎を続けざるを得ない。
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