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職務経歴書と自分探し

最近僕は珍しく忙しかった。仕事に追われておりちょっとばかりの休日出勤に、友達との忘年会。例の感染症下の中でこれほど充実した日々が過ごせるのはありがたい限りだ。
予定がなくなる時ははっきりしているようで、この日曜はとにかく暇だった。

久しぶり暇になるとどうしていいかわからなくなる。やらねばならないことややるべきことがないからといって、やりたいことがあるとは限らないのはなんとも非情なことであろう。
30代目前に迫った独身男性は暇になると聞いていたが、まさに今日が記念すべき第一歩なのかもしれない。結構キツイ。恐怖でしかない。


時間があるといろいろと考えてしまう。将来設計や親のこと。友達が次々に結婚し、子供が生まれてくる。おいていかれているという焦燥感。
人は人、自分は自分。人と比べるから不幸になる。比べる相手は過去の自分。頭ではわかっていても、相対的に自分の立場を評価するには他人との比較をするしかない。

なにかしないと理由なき焦燥感に襲われるので、将来にかかわることをしようと思い立ち、職務経歴書を書くことにした。転職する予定もないけど、どこかのコラムで健全な時に転職の準備をするのがよい、と書いてあったからだ。

職歴や業務内容は思いのほかすらすらと書ける。そこには事実しか存在しないから嘘やエピソードなどで想像力を発揮する余地はない。しかし実績となるとそうはいかない。自分の成果を文章に書くとなると非常に厄介だ。

というのは僕は典型的日本人な気質があるので、自分の成果をひけらかすのが得意ではない。確かに仕事で結果は出したけど、理由は何か?と自問すると決まって答えは”タイミングと運がよかったから”に落ち着く。

これは非常にまずい事態だ。
というのは、もし僕が経営者で他人の評価をする立場に置かれたら、過去の結果よりも人間性、考え方、再現性を重視するに違いないからだ。
実績は化粧品のようなもので、あくまで今の自分が何の手札を持っているか、で評価されるのだと思う。

困ったことになった!

頭を悩ましていると、ふとどこかの本で読んだ「自分で自分の評価ができない人は上手くならない。ここを伸ばそうと考えるから長所は伸びるし短所は克服できる」というフレーズが思い浮かんだ。目が覚めたような思いだった。


結局職務経歴書は完成しなかったが、課題が見つかった。自分は何者で何ができるのか?を探すこと。言い換えると自分探しということかもしれない。
自分探しをする年齢でもない気がするので、この言葉を使うのは歯がゆい思いでいっぱいだけど、将来の不安・過去の後悔に頭を悩ますのは今日までにして、今をしっかり生きれるように、自分は何者なのかを探していきたい。

2021年はもうすぐだ。

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