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松竹ブロードウェイシネマ「キンキーブーツ」を鑑賞して

観てきたその日の、鼻息荒そうなこのつぶやきだけで終えようかとも思ったが、その時々の思いを書き留めておくことも、あとで何か良いことがあるかもしれないと思い、とりとめもなく綴っとく。

観に行く前に。

去年の後半、いつだかの段階で、松竹がミュージカル「キンキーブーツ」の、現地で撮影したヤツを映画館で上映するっていう話を知った。
何でこの時期に公開することになったのだろうか。
もっと、コロナ禍が落ち着いた頃でも良かったのではないかと思う。
観たいから、結局、観には行ったけど、私の場合、公私共々の都合で、結構、コロナ感染リスクにはセンシティブにならざるを得ず、観に行くタイミングやら場所やらにかなり気を使い、それだけで疲れるし、映画館に行けるチャンスは、そう多くはない。
今回は「キンキーブーツ」か、それとも「ブレイブ群青戦記」にするか迷ったが、「ブレイブ…」は最悪、劇場公開中に観られなくても、いつかは配信されたり、DVD化されたりするだろうから、どうにかして観れるだろう。
一方、「キンキーブーツ」は、春馬君の例をとってもわかるように、DVD化しない可能性の方が高いだろう。
というわけで、「キンキーブーツ」を観に行くことにしたが、今回の松竹の上映は、三浦春馬君がこんなことになる前から企画されていた物なのか気になるところ。
いや、できれば、コロナ禍で多少の遅れはあれど、大昔から公開すること自体は決まっていた、ということであってほしい。

敬意を表してピンヒール。

作品とキャストとスタッフに敬意を表して、久しぶりにハイヒールを履いて行った。
映画の中にも出てくる「スティレットヒール」は、日本では「ピンヒール」と言われることも多く、下に向かってすぼまっていくような形のヒールが特徴で、その日、履いていったのもそんな感じ。
ヒールの高さはローラの真似をしたかったけれど、流石に、コロナ禍で訛りきってしまった足腰に、突然の10cm以上のヒールは厳しいので、今回は7cmで勘弁してもらった(誰に?)。
コロナ禍前ならば、私は、毎日7cmヒールを履いて仕事に行っていたぐらいの絶対ヒール主義のイメルダ夫人な人間(若い人にはその例えはわからない。)だったし、これくらいなら履き慣れているので大丈夫だろうと思った。

海外では48時間限定の無料配信。

去年の年末、日本とオーストラリア以外の全世界向けにYouTubeで48時間限定の無料配信があったらしい。
オーストラリアの事情は知らないけど、日本は、この松竹の上映があったから無料配信は控えることになったのだろう。
映画館の大画面、大音量で見られるってのもそれはそれでよいのだが、ストリーミングもありっちゃありだし、よその国の人たちは払わずにも観れた「キンキーブーツ」に、日本では一人3,000円を払うことにもなった。
この内容だけを考えれば、3,000円は全然惜しくない金額だけど、何だかちょっとアンフェアな感じも覚える。
とにかく、便乗した企画でないことを祈りたい。

やっぱり、影響はある。

私にとって「キンキーブーツ」は、その作品のテーマそのものに興味があって、誰がキャストであっても、いつかは観に行きたいと思っていた作品であったので、春馬君があんなことにならなくても、この映画は観ておきたいと思ったかな、んー、どうだろう、自分でもよく分からない。
ただ、春馬君がまだこの世にいたならば、コロナ禍を過ぎて、日本キャストの再演を観に行けばよいだろうと思って、ここまで、この映画を優先させて観には来なかったかもしれない。
春馬君がこの世を去ってしまった今となっては、この映画を観たい気持ちはより強くなったのは確かだろうとは思う。

「キンキーブーツ」に関する色々な思いを書き綴った、私の過去記事はこちら。(▼)

ブロードウェイ版じゃないよ、ウエストエンド版だよ。

「松竹ブロードウェイシネマ」なんて名前が付いているから、紛らわしいのだが、今回、この映画のミュージカルは、イギリスのロンドン、いわゆるウエストエンドにて上演された公演を撮影したもので、アメリカのニューヨーク、いわゆるブロードウェイでの公演ではない。
ウエストエンド版ローラはマット・ヘンリーが、ブロードウェイ版ローラはビリー・ポーターが演じている。
今回は、このマット・ヘンリーの方なわけだが、私はずっと英語版の音源はブロードウェイ版を聴いてきてしまい、ウエストエンド版は、直前になって急に聴きだした。
曲や歌詞に大差はないけれど、もちろん声や歌唱方法、また発音が違ったりするのが面白い。
ブロードウェイ版、ウエストエンド版、時には、日本版とも聴き比べるのも面白いと思われる。

私の「キンキーブーツ」歴。

私の「キンキーブーツ」歴はどの程度かと言えば、日本キャスト公演への関心はあったものの、いつか行けるだろうと呑気に構え、結局行かずじまいでいたら、あんなことになってしまい、壁に頭をぶつけたくなるぐらいの自己嫌悪に陥ったのが昨夏のこと。
その後、原作映画(▼)は観た。

音源は、先述の通り、英語版(ブロードウェイ版まあまあ、ウエストエンド版少々)と日本語版はしこたま聴いているといった状況。
そして、視覚的なものとしては、YouTubeにある、Tribute Movie(▼)だったり、各媒体が載せているゲネプロ風景の動画ぐらい、というところ。

よって、フルに観るのは今回が初めてで、これまで私の脳内だけで、想像しながらそれぞれのピースを繋ぎ繋ぎしてきたものが、ばちーん!と視覚的にも聴覚的にもフルパッケージで受け取ることができたというわけ。
観ながら、原作映画⇔英語版音源⇔日本語版音源⇔トリビュートビデオの間を思考が行ったり来たりで、脳内大忙しだった。

印象深いシーンをピックアップ。

♥ 日本語版音源でも聴き馴染んだ「Price and Son Theme」、やっぱり、この曲から始まるのね!といたく感動。このウエストエンド版のキャストは、原作映画のキャストのイメージと近い印象。それもそのはずで、このストーリーの舞台はイギリスなわけで、当然にウエストエンド版キャストの方がしっくり演じられる点も多いのかもしれない。

♥ 「Do you know what the most beautiful thing in the world is, Charlie?(世界で一番美しいものは何か知っている?チャーリー?)」とチャーリー・パパが聞くと、リトル・チャーリーが「A shoe!(靴!)」と言うくだり、それだけでも胸が熱くなる。これは私の解釈でしかないが、このミュージカルの中で、靴は、単なる履き物としてだけで扱われていないことからもわかるように、靴は、履く人それぞれの生き方までをも反映する物、いわば、生き様を形にしたものであるわけだ。この後、チャーリーは靴工場を継ぎたがらないとか、作る靴がダサいとか、その他の人たちも色々言って紆余曲折はあって、このミュージカルの序盤のこの曲を演っている最中は、まだこの曲の深い意味は観客には伝わらない。しかし、後から振り返ってみると、「The most beautiful thing in the world is a shoe!(世界で一番美しい物は靴!)」、これはその通りで、あながち間違ってはいないことはわかる。また、ここでいうbeautiful(美しい)っていうのも、目に見える美しさだけを指していないだろう。人の生き様そのものが、世界で一番美しい。のっけにこの歌詞のこの曲を持ってきておくとは!そういうメッセージか!と、音源だけを聴いていた時にはそこまで及ばなかった理解が、ここで一気に合点がいき、膝を叩きたくなる思いがした、叩かなかったけど。初見ではここまでが限界で、きっと、このミュージカルの中にはこういう奥深さが沢山詰まっているのだろう。やっぱり、家で落ち着いて何度も観たいから、これ、DVD化してくれたらいいのに、と強く願う。

♥ 「Land of Lola」でのローラの登場シーン。ここは春馬君ローラを重ねてしまう。こんな登場のされ方したら、この場面だけで感極まって泣いてしまうがな。それにしても、エンジェルスの美しさよ。身長が高くって、手足がなげーのなんのって。日本版のエンジェルスは、ローラよりも少し身長が低めな印象なのだけど、ウエストエンド版はローラと同じ、いや、ローラよりちょっと高い感じもして、その分、大きく見えるっていうか、実際、大きいのでしょうが、そうなるとステージの上から放たれる「圧」がすごくなる。

♥ 「Sex Is In The Heel」では、春馬君ローラだったら、のけぞってシナを作りながら移動するシーンがあるのだが、マット・ヘンリーさんならばどうなのかと注目していた。マット・ヘンリーさんは、正直、そんなにのけぞってない。あれは、春馬君独自の演出だったのかもしれないと思うと、「良いぞ!春馬ローラ!そういうところが、春馬君ローラの個性だ!」と嬉しくもなる。

♥ 「キンキーブーツ」って、こんなにコメディ要素が強いミュージカルだったのかと改めて認識する。私にとっては、春馬君が亡くなってからの悲しさいっぱいで観たり聴いたりしていたものだったし、楽曲の合間のキャストの演技は観たことなかったし、笑えるポイントにはなかなか気づけない、もしくは、遭遇できなかったせいもあるのだろう。また、これは映画なので、実際のステージを肉眼で観る時よりも、キャストの表情が細かく見え、全ての笑いをキャッチできることもあるだろう。こんなに笑えるストーリーだったのね!春馬君も、観客の笑いを取れていたのかしら。

♥ コミカルなローレン。日本キャストではソニンちゃんが演じている。過去、「RENT」でソニンちゃんが演じたモーリーンを何度か見ていることもあり、モーリーンとも共通項がありそうなローレンを、ソニンちゃんがどう演じているか、その様子は観なくてもすんなり頭にイメージが浮かんだ。モーリーンは型にはまっていなくて、ローレンは型にはまっているイメージで、その演じ分けをソニンちゃんはできていたのだろうなと想像する。一方、チャーリーは、正直言うと、私にとっては原作映画のイメージが強くて、そのイメージに比べると小池徹平君は、若くてキュートな印象。このウエストエンド版のチャーリーは、イメージがぴったり。お髭のせいかしら。

♥ 総じて、ウエストエンド版のキャストの歌唱は素晴らしい。聞けば、マット・ヘンリーさんは歌手としても俳優としても活躍する方だそうで、「Hold Me In Your Heart」も実に聴きごたえがあった。かつて、私に「キンキーブーツ」を観ることを勧めてきた同僚(ちなみに彼女はロシア人)は、恐らく、このウエストエンド版を観たっぽいが、これを生で観れたのかと思うと、とてつもなく羨ましい。

♥ こんなに笑わせて、最後には「Raise You Up/Just Be」で、もう胸アツ。泣きそうになる。ミュージカルって、こんなに人々を楽しませることができるのだ。「やっぱり、ミュージカルってイイなぁ、ミュージカルって素晴らしい!」そう思わずにはいられない。春馬君がブロードウェイでこの作品を観た時に、「雷に打たれたような感覚を受けた。衝撃だった。」と語っていたが、わかる気がする。スクリーン越しでもビンビンに伝わってくるのに、それを直に観て感じてきたのですもの。この作品には携わりたくなるね!ローラ、やってみたくなるよね!

♥ 脚本、音楽、キャストの演技・歌唱・ダンス、トータルで全てが素晴らしい。カーテンコールのシーンでは、ちらちら映る観客席の人々と同様に、私も立ち上がって拍手したくなるほどだった。そして、春馬君、このローラを2回も演じられたなんて、本当に素晴らしいこと。それは誇りに思うべきこと。やはり、春馬君が演じるローラをこの目で観たかった、劇場での一体感を味わいたかった、その思いは変わらないけれど、私は、春馬君ローラが残した魂は、いつしか、どこかの「キンキーブーツ」の劇場で、直に受け止めたいと思う。

ダイバーシティを受け入れよ。

Ladies and Gentlemen, those who have yet to make up their minds.
(レディース&ジェントルメン、まだどちらに決めかねている貴方)

このミュージカルが放つメッセージは幾つもあるだろうけど、そのうちの一つを端的に言うと、「ダイバーシティ(多様性)を受け入れよ。」ってことなのだろうと思う。
自分と異なるバックグラウンドを持った人々を受け入れる。
それができれば、こんなコロナ禍であったとしても、世の中がこんなに分断されることもないだろうし、人種差別、ジェンダー差別、あらゆる差別も、テロも虐殺も起こらない世の中になるのだろう。
製作側の狙いがあってのことかは知らないが、「キンキーブーツ」はセクシャリティの話、いわゆるLGBTQの問題を深く掘り下げてはいない。
ローラはドラァグクイーンではあるものの、自身のセクシャリティについてははっきりさせていない。
また、原作映画も、ブロードウェイ版も、ウエストエンド版も、ローラは屈強な黒人男性で、黒人であるが故のセリフなどはあるにはあるけれど、あえて、そこら辺は大きく際立たせずにサラッと行く。
こういうアプローチも良いと思う。
そのおかげで、この「ダイバーシティを受け入れよ。」も、セクシャリティや人種の問題に特化したテーマとも限定せず、あらゆる多様性という広い意味として受け止めることができる。
今こそ、こういう時代だからこそ、「キンキーブーツ」を見るべき時なのだろうとも思う。

生涯付き合っていくべき、ミュージカル。

既に、幾つかは公演が行われるたびに足を運ぶミュージカルってのが私にはあるが、「キンキーブーツ」もそれに加わりそう。
チャンスがあるならば、是非何度でも、劇場に足を運んで観たい。
そんな気持ちにさせてくれるミュージカルだ。
特に「キンキーブーツ」においては、既に海外現地でのレギュラー公演は終わっていて、来日公演もどうなるかわからないし、日本版に至っては、春馬君のこともあって、いつ再演されるかも、もっとわからなくなってしまったけれども、いつかどこかで公演があるのであれば、観れるチャンスを掴みたいと思う。

脚、痛いし。

映画館を出た後、少し寄り道をしてから帰途につく。
やはり、ヒールを履いたのが久しぶりだったせいか、足先が痛む。
ウエストエンド版ローラのセリフでは、「セックスは苦痛。」と訳されていて、春馬君ローラは「セックスは心地良いんじゃだめ。」と言っていたように思う。
ここのセリフを分解すると、「セックスは心地よいだけではだめ。」という意味だろうと思う。
要は、自分に都合のよいモノだけを受け入れても、成長や達成とか、得るものが得られないってこと。
和装が少し窮屈ではあるものの、だからこそ美しい所作を生むように、オシャレに苦痛はつきものとは言うが、靴もそんな感じで、ちょっとした苦痛も一緒にあってこそ、その美しさが出来上がったりするものなのだろう。
この足先の痛みも、今日は甘んじて受け入れよう。

アミューズの長年の取り組みに感謝。

そして、株式会社アミューズの皆様、ありがとう。
何でアミューズに謝辞を述べるかは、わかる人にだけにわかればいい。
この映画見ながら強く思っちゃったんだからしょうがない。
早くからこの作品に目を付け、携わり、日本に誘致してくれた。
私がミュージカル好きになったのも、また、その後の音楽志向を決定づけたのも、そして、大げさな言いっぷりだけども、己の人生観・価値観にも大いに影響を与えたのも、かつてアミューズが誘致したミュージカルを子供の頃に観たのがきっかけだった。
その時に受けたのと似たような強い衝撃を、また今こうして、アミューズが携わった「キンキーブーツ」を観て得られたことを嬉しく思う。
知るのが、他の方々よりもだいぶ遅くはなってしまったが、「キンキーブーツ」に出会えてよかったと思っている。
この先、日本においてこの作品の展開をどうしていくのかわからないし、なかなかそう簡単には行かないだろうけど、私は、日本版「キンキーブーツ」の再演を望んでいる。

三浦春馬君のお誕生日。

最後に、4月5日は三浦春馬君のお誕生日。
日頃、身近にいる人の誕生日だって、あまり気にしていない私だけれども、これは忘れずに覚えていた。
31回目のお誕生日を迎えられなかったことを悲しむよりも、31年前に生まれてきてくれたことを祝いたい。
ハッピー・バースデイ。

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