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映画「アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン」を観て思った話

ちょっと前の話にはなるけれど、映画「アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン」を観てきた。
いやー、すげかった。
アレサの歌声の持つ力に圧倒されたというのはもとより、最終的には「こんな軽率な私ですいません。」みたいな、己を顧み、反省させられるかのような、そんな感覚にも陥る映画だった。

アレサ・フランクリン、英語で書くならばAretha Franklin。
アレサと言うか、アリーサと言うか、日本における読み方論争みたいなものもあるけれど、ここでは映画タイトルと合わせて「アレサ」と表記させていただく。

アレサ・フランクリンは、ソウル・ミュージックの女王との異名も持つアメリカの女性歌手。
アレサがどんな人だったかは、以下のWikipediaに譲る。(▼)

アレサのベスト・ヒッツはこちらで聴けるので、併せてどうぞ。(▼)
聴きなじみのある曲も多いと思う。

アレサのアメイジング・グレイスの歌いだしのところが、このトレイラーにも入っているので、アレサの歌声を聞いたことのない方はどうぞ。(▼)

この映画は、アレサの伝記的なドキュメンタリーというわけでもなく、純粋なコンサート映画。
1972年、ロスアンゼルスのバプティスト系の教会で二夜連続で行われた、コンサートの模様が収録されたもの。
収録当時、技術的な問題(なんと、収録時のカチンコの入れ忘れとか!)により完成できなかったものが、技術の進歩により、50年の時を経て映画として完成した。
コンサート映画なので、中身について知るには、その映画を観ていただくのが一番良く、音楽を言葉で語るのは野暮というもの。
百聞は一見というか、一聴にしかずだと思うので、興味のある方はぜひ映画を観ていただきたい。
ちなみに、この映画でのアレサは、いわゆるアレサのヒット曲的なものは歌わないので、そのあたりを期待していくとちょっと違うかなっていう感じ。

この映画を観たきっかけ

私は中学生ぐらいの頃から、何が最初だったか忘れてしまったが、ブラック・ミュージックに興味を持ち、その関心はまずゴスペルに向かった。
その関心の赴くままに観た、ゴスペルミュージカル「Mama, I Want To Sing」の影響で、そのイーストエンド版のキャストであったチャカ・カーン(Chaka Kahn)の大ファンに。
(話がそれちゃうのでここでは詳しくやらないけれど、ご興味ある方は、”Chaka Kahn Faith Can Move A Mountain”で検索して動画を探してご覧あれ。そのパワフルな歌声に胸を打たれて、号泣した思い出あり。)
チャカ・カーンは、アレサ・フランクリンと並んで、アメリカのクイーン・オブ・ソウルとも称される二大巨頭のうちの一人。
時代的なものもあると思うけど、私が音楽をよく聴くような頃にはアレサはあまり露出がなかったせいか、なんとなしにチャカ・カーンの方に偏って聴いてしまい、結局、アレサの曲を積極的に聴く機会もなく過ごした。
その後も音楽が好きで、特にR&Bの曲を多めに楽しみながらこの年齢まで来てしまったが、R&Bのルーツでもあるゴスペルに立ち戻って、そしてアレサの歌を映画館の大音量でじっくり聴いてみるのも良い機会だと思った。

ゴスペル、それは信仰

全身全霊でアレサが発する歌声に、一瞬にして魂が持っていかれる。
歌が脳内に突き刺さる。
歌がうまいねとか、歌っている歌詞の意味が素晴らしいとか、曲調が良いとか悪いとかの次元の話ではない。
アレサの歌声が、ただただ胸に響くのだ。
度肝を抜かれるといってもいいかもしれない。
巷でよく聴く、商業的ゴスペルとはわけが違う、本気のゴスペルだ。
(←語彙力の無さを呪う。)
「さすがにアレサは歌が上手だね。」なんて、そんな安っぽい誉め言葉はどうでもよくなるくらいに、アレサの歌には人々の心を揺さぶることができる力が確かにある。
アレサの歌を聴きながら、アレサの後ろにいるクワイアのメンバーたちや、アレサの歌を聴きに教会を訪れた人たちが、アレサの歌声に感嘆し、立ち上がって天を仰ぐ。
中には、踊りだす人もいる。
スクリーンに映るそんなシーンを観ながら、私は思った。
こんな感じの光景、私、見たことあるな。

ゴスペルによって、神と対話する

アレサの力強い歌を聴きながら、私の脳内は、大学生の時に行った、ん~十年前のニューヨークのハーレムへタイムトリップ。(具体的な年数はぼかしたいお年頃。)
やはりその頃も、ブラックミュージック、特にゴスペルには興味があったので、日曜日の朝、ハーレムにあるバプティスト系の教会を訪れ、ミサを見学させてもらった。
当時、トミー富田さんという日本人の方が、ハーレムの黒人文化を日本人観光客に紹介するツアーを催しており、それに参加したのだった。
(トミーさんはお元気かと検索してみると、昨年お亡くなりになったそう。初めてニューヨークに行った際にはジャズツアーにも参加させていただき、貴重な経験をさせていただいた。ご冥福をお祈りしたい。)

教会の中では、"Make a joyful noise!”という感じで、皆、タンバリンを叩いたり、手拍子したりして、すごく陽気な雰囲気。
音楽が盛り上がるに連れて、自ずと立ち上がって、声を上げ、体でリズムを刻む。
騒がしくすることは、神が喜ぶことだとされているそう。
バプティスト派の方々はとても信仰心が強く、音楽にノっているうちに、神が降りて来てしまう人もいるようで、つまりは、違う世界に行ってしまうと言おうか、トランス状態と言おうか。
ご老人の中には、そういう状態に陥った時に、心臓麻痺を起こしてしまって教会で亡くなる人もいるらしいが、それは彼らにとっては非常に良い死に方らしい。
その日も、スーツを着たおじいさまが、杖を突きながらも音楽に合わせてステップを踏んでいた。
彼らにとってのゴスペルは、神との対話なのである。
それは、とても大切な意味があって、とても重みのある音楽なのだと、私は耳と目と肌で感じてきた。
ゴスペル、それは信仰なのだ。
私なんかが、音楽の1つのジャンルとして「ゴスペル、かっこいいよねー。」なんて軽々しく言える雰囲気ではなかった。
比較的信仰心の薄い、ライトな仏教徒の私に、理解や想像が及ぶものではい。
とんでもない世界が、彼らのそのゴスペルの向こうにはある。
ゴスペルは、彼らを神の世界へ誘う道しるべのようなものだと思った。

その後の人生において、幾度もゴスペルの歌い方を習ってみたいと思って、幾度もゴスペルを習えるお教室を調べてはみたけれど、ハーレムであんな神々しい光景を見た経験をしたがゆえに、私みたいな、(何度も言うけど)ライトな仏教徒だし、ただ「歌い方がかっこいいから!」みたいなファッション的なノリで参加するのは、彼らの信仰を軽んじているかのようにも思って躊躇して、結局、お教室の門は叩かずじまいだった。

ということを、ん~十年振りに思い出したのだった。
もちろん、私が行った教会で歌っていたのは、アレサのような有名な歌手ではなくて、その教会の普通のクワイアの方々だったわけだが、それでも心を震わせられるものがあった。
それを、アレサみたいな激ウマの歌手が、目の前で本気で歌いこんでくれたのだとしたら、きっと私も天に昇ってしまったかもしれないと思う。(←比喩よ、比喩。)

今となっては、ゴスペルから派生したジャズ、ブルース、R&B、ソウル、ファンク、ヒップホップなどのブラックミュージックは、日本においてもごくごく一般的な音楽ジャンルとして成立している。
日々、大量に流される音楽を、何の気なしに消費しているかのような聴き方をしてしまっているけれど、その元を辿れば宗教音楽なわけで、その歴史的、文化的背景をも十分に理解しないまま、軽々に聞き流すのはどうなんだ。
反省しつつ、映画館から帰った道すがら。

アレサの曲、聴けばよかった

そういえば、前述のニューヨーク旅行の際、マンハッタンにあるテレビ&ラジオ博物館と放送博物館(the Museum of Television & Radio and the Museum of Broadcasting、現在はペイリーメディアセンターに改称されたよう。)に行った。
そこにあるシアターでは、ウッディ・アレンが出演する、それまた昔のコメディ番組が上映されていた。
スクリーンに映る映像は、白黒だったか、セピア色みたいな色合いだったように記憶している。
その番組内の幕間というか、コーナーの切り替えみたいなタイミングで歌手が歌を披露するのだが、そこで歌っていたのは若き日のアレサ・フランクリンだった。
前述の通り、その時点で私はチャカ・カーンに傾倒していたので、「アレサも歌うまいなー。若い頃は瘦せてたんだなー。」ぐらいなノリの感想しか持たなかった。
そこからの、約ん~十年の年月を経ての今更だけど、アレサ、なんかごめん。
ん~十年経っても、ニューヨークの博物館でアレサの歌唱を観たことは覚えてるぐらいだから、アレサの歌声には相当のインパクトがあったのだろうと思うが、何でそのあと、アレサの歌を聴かなかったのだろう。
もっと、若い頃から、アレサの歌声を聴いて生きてくればよかった。
人生を変えるとまで大仰なことは言わないが、価値観の変容をもたらすようなきっかけを、もしかしたらアレサの歌声は私に与えてくれたかもしれない。
もっと若くからアレサ、聴いておけよ、自分。
もはや微妙なお年頃に差し掛かり、項垂れながら思う、秋の夜。
後悔は先に立たない。
今からでも、アレサを聴くか。

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