009 魔法使いの弟子と奇跡の話

ボクには弟子がいます。魔法使いではないけど。

彼が小学校5年の時、あまり学校に行けなくて家に篭っているのを心配したお母さんが、気分転換にと畑に連れてきたのです。

彼はやってくるなり、畑に流れている時間が大好き、ここなら毎日でも来られるというので、毎週日曜日の午後だけ、畑で預かることになりました。

以来、十年近くが経とうとしています。いつのまにかボクより上手になった彼は、「どうして同じ苗を植えたのに、僕のほうが大きく育っているのでしょう?」と真顔で尋ねたりします。

グサっ。ズタズタ。。。

でも、その苗って、俺が去年育てた野菜の種から育てたやつだぞ〜!

プンプン。

そうはいっても、正直に思ったことを口にするのはいいことです。それが真実であれば尚更のこと。たとえ、多少TPOをわきまえていないとしても、真実の前では大した問題ではないですよね。自由や人間としての尊厳を奪われようとしている隣人がいるのに、14億人のマーケットのことを忖度して、「憂慮している」とか「遺憾の意」なんてレベルで済ませていてはイカンのだよ、まったく。。。

ちなみに、彼の質問への答は簡単です。教えたことをキチンと守らないからです。偉そうに手を抜いちゃダメだ、野菜は嘘をつかない、と弟子に教えておきながら、自分は時間がないことを言い訳に、ラクをしたからです。畑は嘘をつきません。奇跡も起こりません。手をかけただけの結果が、必ず現れます。

今年、二十歳になる彼の夢は、ボクの店で人生最初の酒を飲むこと、でした。でした、と過去形になってしまうのは、その夢はコロナ騒動で叶えられそうにないからです。あんなに楽しみにしていたのに。しかも、もし自分が酒が飲めない口だったらどうしようと、あんなに心配していたのに。

「お父さんとお母さんは、どうなの? 行ける口?」

「それが、まったく飲めないんです」

「あちゃー。それは期待できないね」とボクが言うと、弟子は思いっきりショゲてしまいました。あまりに可哀想だったので、「奇跡が起きるってこともあるから」と、まったく信じてもいないことを言って慰めました。

でも、そういう奇跡は、まず起こりませんね。奇跡って、起こりうる可能性があることだけが起きるのであって、それに気づくかどうか、その時ちゃんとキャッチできるかどうかだと思うんです。こんなことを言うと身も蓋もないことを言うようですが、それでも奇跡は、今日もそこここで起きています。きっと、それだけの努力や準備をしている人がいるからですね。

九条Tokyoにも、信じられないような出会いの奇跡が起きています。もちろん、ボクはなんの努力もしていません。ただ365日、毎日店を開けていると、そうした準備をしている人たちが偶然、2階にまで上がって来てくれるのです。靴を脱いで上がらなければいけない、面倒な店だというのに。

ボクはその時が訪れるのをひたすら願って、息を潜めて、奇跡に遭遇できる瞬間を2階で待ち続けています。

今回のコロナ騒動で、ボクはそうした奇跡のような出会いの機会を失っているに違いありません。ただでさえ少ない客足が、一層減っているのですから。

でも、そのお陰で、そうした奇跡の数々を記録に残しておこうと、こうしてnoteに綴るようになりました。もし、どこかの(?)都知事が22時までで閉店しろと自粛を要請しなければ、陽性でもないのに1時間も早く店を閉じて、余った時間でこうした記録を書き残すことはなかったでしょう。

それでも、思うんです。弟子の誕生日を祝う一杯は、ここで飲んでほしかったなぁと。ボクが今一番好きな奇跡のような白ワイン、リタファーム(余市)の十六夜「ナイアガラ」で乾杯したかったと。

8月6日、九条Tokyoが2周年を迎えるにあたって、弟子に師匠特権を行使して、畑で採れた産物でスイーツをつくってくれるように依頼しました。実は、彼は料理も上手で、特にスイーツには目がないせいか、とても上手につくります。

彼が選んだのはブルーベリーと大葉のパウンドケーキの2種。とても甘くて美味しいケーキでした。甘党のボクの上をいく甘さでしたが、世の別腹女子には好評でした。

ちなみに、大葉は紫蘇とも呼ばれ、こちらのほうが香りが立つ気がします。ネットで覆ったりせず、しかも無農薬でつくっているので、バッタの餌食になっています。あの香りが好きなのか妖しい気がしますが、一口噛みちぎっては次と、ほとんどの大葉が食い荒らされてしまいます。バッタがこんなにグルメだとは知りませんでした。おそらく、ボクがつくっている9割の大葉は、バッタの餌になり、残りがパウンドケーキになりました。

でも、大葉は何もしなくても育ちますし、あちこちに生えてきます。秋の終わりに、カラカラになった大葉の花穂を、手でしごくようにして畑中にまき散らすだけですから、バッタに齧られても文句は言えませんね。でも、9割はちょっと。。。

そういうわけで、二十歳になった弟子のアルコールデビューはお預けになり、店の2周年記念イベントはひそやかな、さみしいものになってしまいました。

それでもボクは、2020年を象徴する出来事として、コロナウイルスの蔓延やオリンピックの中止ではなく、香港から自由と人権が失われてしまったことを後世の歴史家があげることに、一票を投じたいと思います。

ダイヤモンドより美しいけれど、あまりに脆くて、世界がその大切さに気づかなかったために失われてしまったものを、今後は「ホンコン」と呼びましょうか。香港、それは民主主義の代名詞であり、試金石だと思うんです。


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