わからないことの扱い方
こどものころ、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読もうとして
さっぱりわからないし、おもしろくないと思った。
宮沢賢治の『注文の多い料理店』の序に、
賢治はこう書いている。
賢治は、どうしてもそんな気がしてしかたがないということを
書いたまでで、自分でもわけがわからないという。
だから、私が読んでわけがわからなくても当然だし、
わけがわからなくてもいいと作者が言っている。
人は、わからないことは気持ちが悪い。
すっきりしなくて、もやもやする。
それは、快か不快かといえば不快なので、
わからないことを避けようとする。
だから、私は宮沢賢治を大人になるまで
再び読むことはなかった。
でも、何のきっかけだったか忘れてしまったけれど、
『銀河鉄道の夜』を読んで、びっくりした。
すごいことが描かれている。
生と死のはざまを、
宇宙についておもいをはせながら
うつしだされていく美しい世界。
不快ではなく、深い。
わからないことというのは、
そのときどうこうするものではなく、
そっと横においておけば
いつかわかるときがくる。
私は、知りたい思いが強くて、
全部何でも知りたいとつい思ってしまうけれど、
全部を知りえないし、
知らないことを知るだけだった。
知ろうとしなくてもいいのだと
最近ようやく気がついた。
わからないことをわからないものとしておいておき
自分がいかに悦びに満ちた時間を過ごせるか。
そのことを意識したほうが、
人生が豊かになる。
全部知ろうとする癖を
手放している今日このごろ、
無知である自分を
認めてゆるしてあげようと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?