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終戦の日に寄せて

呪われた言葉「終戦」

人類から戦争をなくせない悲しい言葉「終戦」を発明した日本人。

「終戦の日」と言う、本質を隠した言葉を使い続ける限り、
この地球から戦争はなくならない。

日本が、戦争を起こした当事者であり、
そして、原爆の投下を受けた最初の国であるのに、

その両方の人類の失敗の当事者が

商品の中身と違う商品名に違和感を感じない限り、

口先だけで、
「戦争反対」や「平和な世界実現」を
いかに唱えても、
実際に戦争が起こらない世界を作る動きにも
平和な世界実現の考え方を広める動きにもつながらないだろう。

「終戦の日」と言う欺瞞


「終戦の日」と言う欺瞞に満ちた言葉。
私が小学生の頃、夏休み、毎年。

8月6日になると私は朝から誰もいない家の中で

テレビを見ていた。

原爆死没者への追悼とともに核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を願って平和記念式典が広島市で行われるのが中継される。
そこには日本の首相は出席しない。

広島で昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
人類史上初めて、広島に原子爆弾が投下されました。

このアナウンスが毎年繰り返され、
8時15分に黙祷をする。

その黙祷の多くの人の願いは
いまだに世界のごく一部にしか届いていない。

その3日後、

長崎でも昭和20年(1945年)8月9日午前11時2分。
人類史上二回目の、原子爆弾が投下されました。

と、同様の報道がある

そして、本題の8月15日、

「終戦記念日」であるが、
当時の支配者が、戦争を起こした張本人が
この日付を選んだのは、なかなか狡猾である。

日本中のほとんどの地域で、
8月15日はお盆の行事がある。
この様々なイベントで忙しいど真ん中の日を
「終戦の日」と決めたのである。

戦争を起こした反省や、
戦争を推し進め、
多くの犠牲を産んだ中心人物への責任追求の
矛先を鈍らせることが最初から組み込まれている。

お盆はもともと行事が多い、
そのどさくさに紛れて、
戦死者や戦争関連死とそうでない死者をごちゃ混ぜにして
戦争色の薄まった全ての死者へ目を向けることを
最初から想定している。

だから、日本政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日(せんぼつしゃをついとうしへいわをきねんするひ)」として、
全国戦没者追悼式を主催しているが、
このような席では、やはり、

戦争を起こした反省や、
戦争を推し進め、
多くの犠牲を産んだ中心人物への責任追求

などはそぐわないとなる。

そもそも「終戦の日」の「終戦」
誰が見ても、
明らかに敗戦である。
敗戦には敗者の将がいる。
当然敗者の将は人類史上ほとんどの場合、
責任を取る。

しかし、それは避けたい。

だから敗戦の日にはしたくない。

当然、日本の大本営などで力を持つものは
戦争の首謀者の責任は避けた。
アメリカのGHQもそれは避け、
大本営の中の正直者などをスケープゴード、
生贄にして、
お茶を濁した。

戦争の首謀者の
なかなかしぶとい、
生き残り戦略と戦術である。


以下、ウィキペディアによる終戦の日関連

終戦の日(しゅうせんのひ)は、第二次世界大戦終結(終戦)日の日本に於ける呼称である。

アメリカ合衆国など多くの国々では一般的に降伏文書に調印した1945年9月に終結したと認識されている(国によって1945年9月2日とする国(アメリカ合衆国など)と9月3日とする国(中華人民共和国など)がある)が、日本では終戦記念日は8月15日と認識されている。第二次世界大戦戦勝国にあたるいくつかの国では対日戦勝記念日が祝われる。

昭和23年(1948年)に日本の国会でこの日を「追憶の日」とする議論があった。

日本政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日(せんぼつしゃをついとうしへいわをきねんするひ)」として、全国戦没者追悼式を主催する。市井では終戦記念日(しゅうせんきねんび)や終戦の日(しゅうせんのひ)と称され、政治団体非営利団体 (NPO) らが平和集会を催す。

日本では太平洋戦争日中戦争)の終結日に諸説あり、下記する。

  1. 1945年(昭和20年)8月15日:正午からラジオで放送された玉音放送により、前日に決まったポツダム宣言受諾及び日本の降伏が国民に公表された日。日本政府が武装解除アメリカイギリス中国などの連合軍への投降命令を発し、連合国もそれを受け戦闘を止めた。

  2. 1945年(昭和20年)9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書休戦協定)に調印した日。

  3. 1952年(昭和27年)4月28日日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効により、国際法上、連合国各国(ソビエト連邦などの東側諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日。

4月28日は、サンフランシスコ平和条約が発効して日本が完全な独立を回復した日であることから、「主権回復の日」や「サンフランシスコ条約発効記念日」とも呼ばれている。連合国軍の占領下にあった1952年(昭和27年)4月27日までの新聞[要追加記述]は、9月2日を降伏の日降伏記念日敗戦記念日と称した。



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