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原発いらない人々/原発いらない人びと/genpatuiranai.com/メモ

genpatuiranai.comのドメイン料支払い期日が迫っているので、
どうしたもんじゃろのー。
と思いを巡らせている間に、
そういえばあの1989年の選挙の記録はネット上にあるのだろうかと、
当時の政党名「原発いらない人びと」で検索したが、
なかなか出てこない。

大学教授が論文かなんかを書いて本を出しているようだが、
どうもその要約も彼の勝手な想像で、
取材した形跡がなく、
おかしい。

私も、当時の候補者名を思い出そうとするが、全部は思い出せない。

あの選挙
(多分初めて、一般市民が草の根から立ち上げて国政選挙に挑んだ事)
は、なんとか日本の歴史、記録に残すべきだと思うのだが、
15年ほど前に私が書いたWIKIPEDIAにはすでにその項目自体がない。

「原発いらない人びと」は歴史からほぼ消えているのである。

さらに検索すると、ある女性がヒットした。
当時、もんぺ姿の若い女性がいた。
その記事は彼女のことを書いているのは明らかだったが、
彼女が候補者だったと書いてある。

そうだったかなあ?
確かに彼女が会議には来ていたのは確かだが、
候補だったとの記憶はない。

するとある人の政治に関するブログに
「原発いらない人びと」
の説明があった。
そのグログの注意事項に、データの正確性は保証しないと書いてある。

確かに、
「概要」は事実と違うし、
候補者も一部は間違っている。

そこで、
概要については私の記憶で,
大幅に書き換えて、事実に近づけ、
候補者については疑問符をつけ、引用しておく。

「原発いらない人びと」概要



1989参院選を前に荒井潤と小木曽茂子を中心として
「原発を止めること」をシングルイシューの主目的にした政党を作って、参議院選挙に挑戦しようという呼びかけがあった。

1986年のチェルノブイリ原発事故の後、日本においても反原発運動が盛り上がっていたかに見えた。しかし、反原発を唱える既存政党(社会党)は、党内で原発容認派が増えており、反原発運動活動家の不信を買っていた。

このため、荒井らは「原発を止めること」を主目的にした政党で1989年参院選への候補者擁立を目指して全国各地の反原発団体に声を掛け、1989/03に「脱原発で参院選を」を議題とする第一回全国連絡会を開催した。
参議院選挙に出るためには、10名の候補が必要だった。

会議では、9電力管内からそれぞれ候補者を出すべきという意見が通り、次回までに、本人が出馬に合意した候補予定者と供託金(一人当たり、比例区600万円✖️9、選挙区300万円)の確保(総額5700万円)を決めて、選挙ができる体制を整えて、その中で選挙実務を話し合おうということになった。

4月の第2回全国連絡会で、蓋を開けると、候補予定者と供託金は、予備候補も含めて6名分用意した四国電力管内以外は、4名しかいなかった。
そこで、それではバランスが悪いというので、他の電力管内から新たに3名が出馬の意思を固め供託金確保を確約したので、四国からは3名となり、全体で10名の候補者予定者が決まった。

さらに、党名を「原発いらない人びと(案)」を決定した。
各地区の連絡会にそれらを持ち帰り、各地区が全部承認、候補予定者と供託金確保ができれば正式に決定する。

5月の第3回全国連絡会で、各地区から承認の意思表明がされ、荒井と小木曽を共同代表に選出して正式に結党した。

この選挙では他にも多数の環境系政党が候補者擁立を目指している噂があったため、共倒れを懸念して大同団結を唱える人たちが日本のそこここにいた。
「みどりのネットワーク」は、「原発いらない人びと」の全国連絡会に第一回からオブザーバー参加していた。
そこで、「みどりのネットワーク」は「原発いらない人びと」の選挙に参加したい意向を表明していた。

しかし、第2回で、候補者も供託金も用意してなかったので、そこからの候補者は一人も決まらなかった。

第3回全国連絡会ので、「原発いらない人びと」の出馬表明の後、「みどりのネットワーク」は「原発いらない人びと」の一部の人を引き抜いた形で、「みどりといのち」を結成し、候補者10名を構え、参議院選挙に出ることを決めた。

他にも「ちきゅうクラブ」が独自に出馬した。

巷では、これをみて、
「環境派が分裂した」「環境系政党が乱立することになった」
と事実に基づかない流言が流れたが、
全国連絡会から報告を受けている各地域のメンバーには迷惑な話だった。

しかし事情を知らない多くの有権者が
「環境派が分裂した」「環境系政党が乱立することになった」
ことを嫌気して、選挙に積極的になれなかったのは
タイミング的な不運であろう。
さらに、資金量と、人員の圧倒的優位な
原子力ムラのフェイクニュースが
世間を圧倒したことは想像に難くない。

今のようにネットで簡単に仲間と連絡が取れる時代ではなく、
候補者と供託金を用意するだけで、
選挙実務はほぼ地方議員選挙程度の活動範囲や人員、予算しかなかった。
圧倒的予算レベルと人的、組織的、マスコミ支配力
などの対反原発は攻撃力を持つ、
原子力ムラ、原発村に対抗するには

どちらかと言うと構成員は貧困層で、金も力もない
「原発いらない人びと」は
あまりにも無力だった。

参院選は惨敗。 得票数161,523 得票率   0.29%、で一議席獲得に必要な100万票、2%には遠く及ばなかった。

★候補者



以下の10名の内候補者でなかった者が一人いる。
名前は忘れたが高知県
# 四国電力から候補を一人出している。

渡辺 春夫 、柴田 由香利

私の記憶では、上の2名のどちらかは候補ではなかった。

渡辺 春夫 比例01 # 中部電力 合成洗剤問題研究会員、浜松原発とめようネットワーク代表
紋 治呂 比例02 # 東京電力 解放塾講師、俳優
木村 京子 比例03 # 九州電力 原発のない世界をつくる女の会代表、福岡東部生協監事(現在のグリーンコープ)
阿部 宗悦 比例04 # 東北電力 女川原発差止訴訟原告団長、女川町議(宮城県)
丸井 美恵子 比例05 # 四国電力 原発さよなら愛媛ネットワーク、言語療法士
奥村 悦夫 比例06 # 四国電力 リサイクルショップ経営
柴田 由香利 比例07 # 関西電力 声楽家、(元)中学教諭
今野 敏 比例08 # 東京電力 小説家
杉本 皓子 比例09 # 中部電力 フィリピン情報センター運営委員、*生活クラブ生協系
木村 結 東京 # 脱原発選挙・東京ネットワーク、*生活クラブ生協系

筆者の立場、全国連絡会共同議長

筆者は、当時、四国の脱原発のネットワークの会員で、第一回全国連絡会の関西を知り、同ネットワークからは私一人が参加した。
他に、四国からは、徳島市議が一人参加していた。

第一回全国連絡会は、会議の体を成してなかった。
それそれが議題を離れた言いたいことを言い、
議長に相当する進行役も、
議論を制御できてないで、
いたずらに時間が潰れ、時間切れで会議途中で帰らざるを得ない人も多数いた。

「ここに来れば、
選挙実務を議題に、役割分担や予算案が次々と決まること」
を想定していた私にはショックだった。
肝心の候補者も、アポさえとってないのに、
「あの人が出ればいよね」
みたいな話ばかりである。

私は、たとえ井戸端会議でも
タダでは帰れないので、
「これでは候補が決まらない」と思い

「次回までに、本人が出馬に合意した候補予定者と供託金(一人当たり、比例区600万円、選挙区300万円)を決めたところが発表して選挙に踏み出そう」

と提案し、採択された。

四国に帰って、
「あの様子では、候補者は、四国以外に最大で7人、最悪なら三−四人だ
だから、四国では、まず三人、予備を含めて6−7人の候補が必要だ」
と会に諮り、その候補の採用優先順位を決めて、第2回に臨んだ。

第2回全国連絡会もなかなか議事が進まなかった。
私は知らないが会議の参加者間では知名度が高そうな者たちが
進み始めた議論を(私には)意味不明の話題でひっくり返すのである。

そこで、私はまともに話ができそうな静岡市議と
「このままでは選挙にならない
中身のないことを四国では報告できない。
議長を変えて、論点を整理すべきだ。」
と相談し、
その市議が議長を交代する提案をした。
それは全体からの承認を獲た。

議長団としてその市議と、私が共同議長に立候補し、
了承された。

そこで、市議は、決議案の項目作成に入り、
議事進行は私が行う
役割分担を決めた。

私は冒頭、「これは今夏の脱原発選挙を戦うための会議である」
ことを確認、全会一致の賛同を得た。
そして、
「スケジュール等から、今回決めるべきことを決めなければ選挙に入れるか否か」を問うた。
「決めるべきこと」になった。

そこで、共同議長の市議が、今回の論点と議決案を提案し、
全会一致で承認された。

ところが、第3回全国連絡会で、それぞれの候補や地域の報告と
今後選挙運動の方針を決めようとした時、

他のグループと一緒に戦うべきだとの議論が湧き出てきた。

共同議長の私は、
「他のグループは、参議院選挙の実務ができるグループか?
少なくとも、候補者10名と、供託金は用意できているのか?
さらに、そのグループでは、正式な手順を踏まえて、
『原発いらない人びと』と一緒に選挙をやろうと決めているのか?」
を確認した。
しかし、その回答は全てノーだった。
にもかかわらず、「たら、れば」で議論は進まなくなった。

そのうち、会議空転し、実務論議に戻れなくなり、
「他のグループ」とやらなければ選挙はできない。
かのような「雰囲気」になっている。

今までの議決が完全に反故にされている。

私は、「付き合いきれないから議長はやめるし、参議院選挙からも手を引く」
ことにした。

すると、四国の候補者などから、
「今、君が議長を降りたら、空中分解になり、本当に選挙はできない」
と懇願され、
「私の議事進行を邪魔させないよう協力する」
ことを条件に議長を続けることにし、
「候補者とその名簿順位、共同代表、記者会見の日程、その宣言文(案)の採択」
などを決めて、閉会した。

冒頭の独自ドメインの更新期限はもう間がない。
あと数日でどうするか決めなければならない。




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