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尼崎連続変死事件とは結局何だったのか——『家族喰い』について

尼崎連続変死事件とは、2012年に発覚したある連続殺人事件を指す。主犯の角田美代子(事件発覚時63歳)を中心に十人以上が逮捕され、死者・行方不明者もまた十人を超えた。

事件の被害者・加害者は、結婚や養子縁組、同居などのさまざまな関係性によって複雑に結ばれており、家族間での虐待・殺害は長期間にわたって行われていた。そのため、事件発覚当時はセンセーショナルに報道されたものの、多くの人にとっては事件の概要を理解することすら容易ではなかった。

小野一光によるノンフィクション『家族喰い』は、尼崎連続変死事件の複雑な事実関係を丁寧に整理したうえで、事件の全貌を明るみに出すことを試みている。

1.『家族喰い』の魅力

『家族喰い』の著者小野一光は、関係者に粘り強く取材を続けることで独自の角度から事件のあらましを整理することに成功している。本書には、かなり詳細な事件年表や人物相関図、関係者のプロフィール一覧などが収録されているため、事件の全貌が多角的に捉えられるようになっている。

さらに、『家族喰い』がノンフィクションとして優れているのは、事件の背景にあった、報道では伝わりにくい雰囲気を伝えているからである。

多数の人間が関わり、暴行・殺害が繰り返された陰惨な事件であったにもかかわらず、その凄惨な被害は長らく日の目を見ることがなかった。1987年に最初の行方不明者が出ているが、主犯角田美代子の周囲で複数の不審死や失踪があることが徐々に明らかになっていくのは2012年になってからである。(ちなみに、この最初の犠牲者については1987年に海に遺棄されたとの証言があるが、戸籍上は失踪宣告により1994年死亡となっている。)

多数の関係者たちが口を閉ざし、暴力の日常化が起こった背景には、血縁や地縁に代表される、目には見えない力があった。閉ざされたコミュニティの中で加害に歯止めがかかることはなく、犠牲者たちは孤立無援の状況に置かれ追い詰められていった。小野の地道な取材によって、事件の背景にあるこうした根深い問題が浮き彫りにされている。

2.『家族喰い』の読みにくさ

しかし、『家族喰い』は決して読みやすい本だとは言えない。『家族喰い』を読みにくくしている原因はおそらく二つある。

1.事件をめぐる事実関係そのものがたいへん複雑だということ
2.筆者の問題意識が明確に提示されていないこと

事実関係そのものの極端な複雑さは、巻末の年表や人物相関図に目を通してみればすぐにわかる。さらに、関係者の数が膨大であり、プライバシーへの配慮が必要なために、仮名を利用したり事実関係をぼかしたりする必要も生じる。こうした点に関わる読みづらさについては、ノンフィクションというジャンルの性質上、仕方ない面もあるだろう。

一方、筆者の問題意識が明確に提示されていないために生じる読みにくさは、本書の致命的な欠点であるように思われる。問題意識が明確に提示されていないために読みにくいとは、具体的にどういうことなのか。

『家族喰い』は、筆者の取材の進展に沿って事実関係を提示するというスタイルで執筆されている。つまり、事件が時系列に沿って再構成されているのではないため、事件の流れがなかなか掴めない。

筆者の取材の流れが叙述の軸となっていること自体は必ずしも否定すべきことではない。問題は、そのようなスタイルで執筆されているにもかかわらず、筆者の主観つまり問題意識が明示されていないことにある。

取材する筆者がいわば主人公として機能している本書には、取材を行った際の細々とした描写が目立つ。筆者の行動に焦点が当てられるため、筆者が何かしらの見解を持っているのだろうと読者は期待させられる——わざわざ筆者の行動が丁寧に描写されるのは、筆者の意見やその変化を記述するために違いない。

しかし、そのような予感を抱かされるばかりで、結論から言えば、筆者は基本的にニュートラルな情報の媒介者という立場を崩そうとはしない。そのため、筆者の取材を軸として事件を語るという叙述のスタイルと、筆者はあくまで情報の媒介者に徹するという実際の立場のあいだに齟齬が生じてしまい、読者は肩透かしを食ったような気分にさせられるのである。なぜこんなに思わせぶりに筆者の取材が描写されていたんだろう?

筆者を中途半端に強調するような叙述はこのように読者を混乱させる。以下のいずれかのスタイルで記した方が本書は読みやすくなったのではないか。

1.筆者の取材を軸とし、筆者の主観的な問題意識や立場を明示する
2.筆者は叙述の中に明示的に登場せず、事件そのものに関わる叙述を主体とする(=時系列に沿ってあるいは関係者の視点から事件を整理する)

さらに、筆者が問題意識を明示しないために生じている『家族喰い』の読みづらさは、叙述のスタイルとの齟齬によるものだけではない。そこで、尼崎連続変死事件について読者が知りたかったことを『家族喰い』は明らかにしているのか、という観点から『家族喰い』の読みにくさを考えてみよう。

3.『家族喰い』の読者が知りたかったこと

『家族喰い』は、事件について読者が知りたかったことの半分しか教えてくれない。

読者がこの本を手に取る理由は、主に次の二点が知りたいからではないだろうか。

1.結局、が起きていたのか(事実関係)
2.なぜあのような事件が起きたのか(犯行の動機)

何が起きていたのか、という客観的な事実関係については『家族喰い』はある程度クリアに整理している。問題は、なぜ事件が起きたのか、という犯行動機に関わる記述である。

すでに指摘したように、『家族喰い』の筆者は自身の問題意識を明確にしようとはせず、客観的な情報を正確に伝えるという役割を全うしようとしている。このことは、筆者の取材を軸に構成された本書全体のコンセプトに混乱をもたらしているが、それだけではない。筆者がニュートラルな記述に努めようとしていること自体が、本書を読みにくくしているのである。具体例を挙げてみよう。

尼崎連続変死事件では、多くの関係者が養子縁組や婚姻関係などを通じてつながっている。本書では当然、養子にした、婚姻関係を結んだ、同居することになった、などの事実が列記されている。しかし、そこには動機に関する記述が欠けている。なぜ養子縁組をしたのか、結婚したのか、同居することになったのか、といった考察はほとんどなされない。そして、事実だけを羅列されても、複雑を極める親族関係はまったく読者の頭に入ってこない。端的に言って、動機への考察を欠いた記述は読者に不親切なのである。

養子縁組をした、ということは事実として資料によって裏付けることができる。しかし、なぜそうしたのかということについては証明することが難しい——特に当事者への直接の取材ができない場合には。

つまり、動機について記述するためには、筆者は判断を下す必要がある。客観的事実や状況証拠から動機を読み取り、筆者の判断の下に記述するという作業が、本書ではほとんど行われていない。

本書の読者はおそらく、事件に関わる事実関係と、そのような事件が起きてしまった理由すなわち加害者たちの犯行の動機が知りたかったのだ。しかし、筆者が客観的な事実の提示にとどまろうとしたことで、なぜそれが起こったのかという根本的な疑問が本書では解決されない。

もしかしたら、関係者の内面を推察して事件を勝手に再構成してしまうことに対する倫理的抵抗や、客観的事実のみを伝えるべきだという使命感が筆者にはあったのかもしれない。

しかし、そもそも純粋なノンフィクションなどという考え自体がある種のフィクションなのである。事件について取材し、記述するという作業は否応なく主観的判断を伴っていしまう。(むろんそれは事実を歪めて伝えて構わないということを意味しない。)

筆者小野の一見倫理的とも取れる抑制された記述は、事件に関わるあらゆる判断を留保することで、ノンフィクションライターとしての責任を回避しようとしているようにさえ見えてしまう。

第七章冒頭には、二人の娘が事件の加害者と被害者となった男性に取材を申し込むため、筆者が手紙をしたためたことが記してある。

〈突然のお手紙、失礼いたします——〉で始まる文面には、自己紹介に続いて自分が二〇一二年十月より角田美代子の事件を取材していることを記し、筆舌に尽くし難い辛い経験をした相手に対して、このような手紙を出すことの非礼を詫びた。そのうえで、私自身が美代子の非道な犯行に憤りを感じていること、また自殺によって事件の風化を危惧していることを伝え、なんとか一度面会できないかと願うものだった。
出典:小野一光(2017)『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』文春文庫p.142

全編を通して、筆者の取材動機としてこれ以上のことが語られることはない。

1.非道な犯行に対する憤り
2.事件の風化に対する危惧

もちろんこれらの動機は文句の付けようのないものだが、たいへんありふれたものだともいえる。

筆者の問題意識が明示されないために、叙述の焦点がぼけ、内容自体もわかりにくくなってしまっていることを指摘したが、この教科書的な動機の記述を目にするとそもそも筆者はこの事件を取材するにあたって特別な問題意識などは持っていなかったのかもしれないと感じさせられる。純粋に職人的な事実の羅列と、必要に応じた過不足のない情景描写——そのように考えると、奇妙にドライな記述や犯行動機に対する無関心にも納得がいく。

もちろん事件そのものに個人的な関心はあったものの、さまざまな理由から無関心で中立的な記述を心がける必要があったという可能性もあるが……。

4.尼崎連続変死事件とは結局何だったのか

全体として『家族喰い』の筆者小野一光は客観的な事実の記述に努めているとはいっても、犯行の動機やその背景についてまったく考察していないというわけではない。

なぜこのような悲惨な事件が起こったのか。本書で主にクローズアップされているのは以下の点である。

1.角田美代子の生い立ち
2.被害者の弱みにつけこむ角田美代子の手口
3.警察の不手際

主犯角田美代子の生い立ちや学生時代の様子などを取材した筆者は次のように記している。

実母から売春の仕事を紹介されたという内容に衝撃を受けた。これまでの家族乗っ取りのなかで、親子という血のつながりを次々と破壊していった彼女の、犯行の原点を見た思いがした。
出典:小野一光(2017)『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』文春文庫p.87

また、角田が親族間の感情を巧妙に操作しながら、借金などの弱みのある人を狡猾に追い詰めていく手口も具体的に紹介されている。

さらに、本書で強調されるのは、警察の対応が終始不適切であったという点である。「民事不介入」を盾にたびたびの通報にも応じなかった警察の対応は明らかにお粗末なものである。警察が早く動いていれば救われた命はひとつではない。

また、主犯角田美代子は事件について自らの言葉で語ることなく、留置施設内で自死してしまう。本書によれば角田美代子は死の数ヶ月前から自死を仄めかす言動があったために、留置施設の「特別要注意者」に指定されていた。それにもかかわらず、自死を防ぐことのできなかった警察の不手際は、いくら強調しても強調しすぎることはない。

小野一光が『家族喰い』にて描き出しているように、さまざまな要素が重なり合うことで事件の発覚が遅れ、多数の被害者を出してしまったというのがこの事件の真相だとは言えよう。

しかしそれにしても、尼崎連続変死事件とは結局何だったのか。私見では、本書のタイトルで示唆されながらも本文ではあまり展開されない主張——事件の本質は家族を喰うことにあった——というのが最も核心を突いた答えだと思われる。

角田美代子は、家族という概念を破壊しようとし、自らの手で別の家族を作り上げようとした。それが、美代子が血縁のない者たちと作っていた角田ファミリーという擬似家族であった。

角田美代子とほぼ生涯を共に過ごしていた三枝子という女性がいる。三枝子の家族は三枝子が幼い頃、角田美代子の家に間借りをしていた。三枝子と実母が養子縁組をすることで、二人は義理の姉妹となる。年齢差は五歳ほどである。

美代子と三枝子の関係は、この事件を理解するうえで非常に重要なものだと思われる。三枝子は子供を出産するのだが、その男児は美代子の養子となる。

妊娠に際しては、美代子との間に事前の取り決めがあり、三枝子は当初から美代子の名前で通院し、生まれた子供は美代子の子として役所に届けることになった。
出典:小野一光(2017)『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』文春文庫p.310

角田美代子は血の繋がった家族を憎み、その破壊を目論んでいたが、それと同時に新たな家族を求めていた。この家族(あるいはその破壊)に対する異様なまでの執着こそが、尼崎連続変死事件の核心部に横たわる闇だったのではないか。

5.『家族喰い』を読むのなら文庫版がおすすめ

これから『家族喰い』を手に取ってみたいという人には、ぜひ文庫版をおすすめしたい。なぜなら、文庫化に際して「文庫版補章 その後の「家族喰い」」という章が新たに追加されているからである。この補章は内容がとても充実しているうえに、記述が本文よりもはるかに歯切れが良いものになっている。(先ほど触れた主犯角田美代子と義妹三枝子の関係について詳述されているのもこの補章である。)

本稿では、筆者の立場が明確に示されないことが『家族喰い』を読みにくくしていると指摘してきた。しかし、文庫化に際して追加された補章に関してはこの問題はかなり改善されている。

補章を読むと、主体的な考察を欠いた事実の羅列に起因する『家族喰い』本文の読みにくさには、裁判にてとりあえずの事実関係が確認されるまでは動機や事実関係の推測に関してかなり慎重にならざるを得ない、という執筆時期に関わる制約が大きく働いていたのだろうとも思わされる。

6.結論

尼崎連続変死事件は複雑にこみ入った事件であり、全貌を把握することは簡単ではない。小野一光『家族喰い』は事実関係を丁寧に整理したノンフィクションとなっているため、事件の概要を掴みたい人にはおすすめできる。ただし『家族喰い』の記述には、筆者の立場が不鮮明であるためにわかりにくいと感じられるところも多い。『家族喰い』をこれから読む人は、事件の全容がよりわかりやすくなっている文庫版を入手するとよいだろう。

尼崎連続変死事件とは結局何だったのか——この問いへの答えはノンフィクション『家族喰い』にて十分に与えられているとは言えない。しかし、この事件の本質に肉薄するための材料は『家族喰い』の中に豊富に見出すことができる。

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