ギリシア語で『ソクラテスの弁明』を読む (第九章)
この記事ではプラトン『ソクラテスの弁明』を古典ギリシア語で読むための手助けとして、初歩的な復習も含めて一文ごと、一語一句すべての単語に細かく文法の説明をしていきます (不変化詞の繰りかえしは除いて)。今回は第九章 (ステファヌス版の 22e–23c) を扱います。
使用した本文や参考文献については第一章の記事の冒頭に掲げてあるのでそちらをご覧ください。
第九章 (22e–23c)
(1.1) Ἐκ ταυτησὶ δὴ τῆς ἐξετάσεως, ὦ ἄνδρες Ἀθηναῖοι, πολλαὶ μὲν ἀπέχθειαί μοι γεγόνασι καὶ οἷαι χαλεπώταται καὶ βαρύταται, ὥστε πολλὰς διαβολὰς ἀπ᾽ αὐτῶν γεγονέναι, ὄνομα δὲ τοῦτο λέγεσθαι, σοφὸς εἶναι·
(直訳) ほかでもないこの精査から、アテナイ人諸君、多くのそしてきわめて苛酷で由々しき敵意が私に生じている。多くの中傷がそれらから生じ、そして名前の点では「知者」であると呼ばれるほどの。
ἐκ ταυτησὶ … τῆς ἐξετάσεως: 女単属 < ἐξέτασις「精査、検証」。ταύτης には例の直示的イオタがついているうえ、強めの小辞 δή までついて強調されている。
ὦ ἄνδρες Ἀθηναῖοι: 男複呼。
πολλαὶ … ἀπέχθειαί: 女複主 < ἀπέχθεια「敵意、憎悪」。
μὲν: 対応する δέ のない孤立的 μέν。
μοι: 1 単与。
γεγόνασι: 完能直 3 複 < γίγνομαι。
οἷαι: 女複主。関係節を始めるが、定形動詞を欠いている。先学の示唆によれば希求法現在で ἄν εἶεν [εἴησαν] と理解するのがよい。最上級で「ありうべきかぎりの」という可能性の希求法であろう (念のため、主文の現在完了は本時制である)。
χαλεπώταται: 最上級・女複主 < χαλεπός「難しい、厳しい」。
βαρύταται: 最上級・女複主 < βαρύς「重い、重大な」。
πολλὰς διαβολὰς: 女複対 < διαβολή「中傷」。不定法 γεγονέναι の対格主語。
ἀπ᾽ αὐτῶν: 女複属。起源の属格。πολλαὶ ἀπέχθειαί を指す。
γεγονέναι: 完能不 < γίγνομαι。
ὄνομα: 中単対「名前」。限定の対格。
δὲ: 続く動詞が λέγεσθαι という不定法ということは、この節はまだ ὥστε のスコープ内なのであって、この箇所は πολλὰς διαβολὰς … γεγονέναι に続く同レベルの説明ということになる (したがって前半の μέν との対比ではない)。
τοῦτο: 中単対。λέγεσθαι の対格主語。続く不定法句 σοφὸς εἶναι を先取りする指示詞。
λέγεσθαι: 現受不 < λέγω。
σοφὸς: 男単主。理屈で言えば不定法の主語で対格、さもなくば前半に現れている μοι に一致して与格になるべきところだが、「知者」という名前を挙げるためにとくに主格に置かれている。
εἶναι: 現能不。この εἶναι は余計であるが、「とくにプラトンとヘロドトスにおいては、『名づける』や『呼ぶ』といった意味の動詞のあとで、述語名詞は (余計な) εἶναι によって外的対象と結びつけられることがある」(Smyth, §1615)。
(1.2) οἴονται γάρ με ἑκάστοτε οἱ παρόντες ταῦτα αὐτὸν εἶναι σοφὸν ἃ ἂν ἄλλον ἐξελέγξω.
(直訳) すなわち私が (いつも) ほかの者を反駁するようなその点において、この私自身が知者なのであると、そのたびにその場にいる者たちは思うのである。
οἴονται: 現中直 3 複 < οἴομαι。
με: 1 単対。間接話法の対格主語。
ἑκάστοτε: 副「〜するたびに、毎回」。
οἱ παρόντες: 現能分・男複主 < πάρειμι「そばにいる、同席している」。主文の οἴονται の主語。
ταῦτα: 中複対。限定の対格。ἅ 以下を受けるあまり意味のない先行詞。
αὐτὸν: 男単対。με に同格で「自身」の意。
εἶναι: οἴονται が従える間接話法の動詞。
σοφὸν: εἶναι の述語。
ἃ: 中複対。限定の対格。
ἂν … ἐξελέγξω: アオ能接 1 単 < ἐξελέγχω「反駁する、反証する」。直説法未来と同形なので注意。現在の一般的な仮定の前文に準ずる〈ἄν+接続法〉。
ἄλλον: 男単対。
(2) τὸ δὲ κινδυνεύει, ὦ ἄνδρες, τῷ ὄντι ὁ θεὸς σοφὸς εἶναι, καὶ ἐν τῷ χρησμῷ τούτῳ τοῦτο λέγειν, ὅτι ἡ ἀνθρωπίνη σοφία ὀλίγου τινὸς ἀξία ἐστὶν καὶ οὐδενός.
(直訳) だがその点において、諸君、おそらく本当は神が知者なのであって、かの神託において次のことを言っているのだ。(すなわち) 人間の知恵はなにかほんのわずかの価値しかないか、むしろなんらの価値もないということを。
τὸ: 中単対。この定冠詞はもと代名詞だった名残りの用法 (cf. 水谷 §19.5)。限定の対格。
δὲ: 前の τό が代名詞用法であることを示すとともに、前文との対比でもある:「人々は私を知者と思っているが、本当に知者なのは神である」。
κινδυνεύει: 現能直 3 単 < κινδυνεύω「〜の恐れがある;おそらく〜であろう」。
ὦ ἄνδρες: 男複呼。
τῷ ὄντι: 中単与。第一章 (9.1) でも見たとおり「現実に、実際に」の意。
ὁ θεὸς: 男単主。εἶναι の主語。
σοφὸς: 男単主。εἶναι の述語。
εἶναι: 現能不。κινδυνεύει に従う不定法。
ἐν τῷ χρησμῷ τούτῳ: 男単与。
τοῦτο: 中単対。ὅτι 以下を先取りする指示詞。
λέγειν: 現能不。κινδυνεύει に従う不定法。
ἡ ἀνθρωπίνη σοφία: 女単主。
ὀλίγου τινὸς … καὶ οὐδενός: 中単属。価値の属格で、ἀξία を補う。この「τι か οὐδέν か」という形式はすでに第一章 (5.1) や第五章 (9) でおなじみのもので、そうすると ἤ が予想されるところだがかわりに καί が用いられている (Denniston, καί の項 I の (8) を参照)。
ἀξία: 女単主 < ἄξιος「属格のものにふさわしい、価値がある」。ἐστίν の述語。
ἐστὶν: 現能直 3 単。
(3.1) καὶ φαίνεται τοῦτον λέγειν τὸν Σωκράτη, προσκεχρῆσθαι δὲ τῷ ἐμῷ ὀνόματι, ἐμὲ παράδειγμα ποιούμενος,
(直訳) そして (神は) このソクラテスのことを言っているように見えるが、そのさい私を範例となすために私の名前をついでに用いたようであり、
φαίνεται: 現中直 3 単。φαίνομαι は分詞とともに用いる場合「明白に…である」の意であるのに対し、不定詞とともに用いる場合はそれより弱く「…のように見える(本当はそうでなさそう)」という含意がある (チエシュコ 8§27.3)。
τοῦτον … τὸν Σωκράτη: 男単対。οὗτος はいわゆる「2 人称の指示代名詞」であり、「あなたがたの前にいるこのソクラテス」という感じ。
λέγειν: 現能不。
προσκεχρῆσθαι: 完中不 < προσ-χράομαι「加えて用いる」。この προσ- は第四章 (3) でも見たもの。念のため、χράομαι は与格目的語をとる。
τῷ ἐμῷ ὀνόματι: 中単与。προσκεχρῆσθαι の与格目的語。
ἐμὲ: 1 単対。
παράδειγμα: 中単対「例、模範」。
ποιούμενος: 現中分・男単主 < ποιέω。二重対格をとる。さきほど φαίνομαι とともに用いる不定詞と分詞の違いを説明したばかりなので、さっそくそれを生かして「ソクラテスのことを言い、名前を使ったように見えるが、明らかに例としただけだ」と訳してしまいたくなるが、そうだとするには接続詞がないのが不格好である。だからこの ἐμὲ παράδειγμα ποιούμενος は φαίνεται に従う第 3 の動詞 (分詞) なのではなくて、2 番めの一部または 2 つともにかかる分詞節だとみなすほうが自然な読みであると思う。
(3.2) ὥσπερ ἂν ⟨εἰ⟩ εἴποι ὅτι “Οὗτος ὑμῶν, ὦ ἄνθρωποι, σοφώτατός ἐστιν, ὅστις ὥσπερ Σωκράτης ἔγνωκεν ὅτι οὐδενὸς ἄξιός ἐστι τῇ ἀληθείᾳ πρὸς σοφίαν.”
(直訳) あたかも (こう神は) 言うとき (にそうすること) のようである:「人間どもよ、ちょうどソクラテスのように、(自分が) 真実には知恵に関してなんらの価値もないということを知っている者は誰であれ、その者がおまえたちのうちでもっとも知恵ある者なのだ」と。
ἂν: 実現の可能性の小さい未来の仮定の後文 (ἄν+希求法) を、この語 1 語で代理している。次に見るように前文は「以下のように言うときに」であるが、そのときに前の (3.1) で想定されているようなことをそのとおり「するかのように」という後文が、繰りかえしを厭って省略されているわけである。
⟨εἰ⟩: 山括弧は諸写本にはないが編集者が補ったことを示すもの。といっても写本欄外の書きこみには昔から見られ、ステファヌス (アンリ・エティエンヌ) 以来印刷本文に採用する伝統になっているという (M&P)。
εἴποι: アオ能希 3 単 < λέγω。実現の可能性の小さい未来の仮定の前文。
ὅτι: 以下に続くのが直接話法の引用文なので、この ὅτι は訳す必要はないが引用文が続く標識としてよく置かれている (引用符 “…” は近代の校訂版の編集者が施しているもので、昔にはなかったことに注意)。第六章 (6) にも同様の例があった。
οὗτος: 男単主。ὅστις の先行詞。
ὑμῶν: 2 複属。部分の属格。
ὦ ἄνθρωποι: 男複呼。
σοφώτατός: 最上級・男単主。
ἐστιν: 現能直 3 単。
ὅστις: 男単主。不定関係代名詞。
Σωκράτης: 男単主。
ἔγνωκεν: 完能直 3 単 < γιγνώσκω。
οὐδενὸς: 中単属。価値の属格。
ἄξιός: 男単主。
ἐστι: 現能直 3 単。
τῇ ἀληθείᾳ: 女単与。限定の与格で、副詞のように訳せる:「真実には」。
πρὸς σοφίαν: 女単対。
(4.1) ταῦτ᾽ οὖν ἐγὼ μὲν ἔτι καὶ νῦν περιιὼν ζητῶ καὶ ἐρευνῶ κατὰ τὸν θεὸν καὶ τῶν ἀστῶν καὶ ξένων ἄν τινα οἴωμαι σοφὸν εἶναι·
(直訳) そしてそれゆえに私は、神 (の言葉) に従いいまもってなお歩きまわっては探し求めているのである。この街の人たちのなかからでも異邦人たちのなかからでも、誰か私が〔=私から見て〕知者だと思うような者がいれば (その者を)。
ταῦτ᾽: 中複対。これは疑問代名詞の中単対 τί が「なぜ」を意味するのと同じで、「それゆえに」という理由・動機を表す副詞的な対格である (チエシュコ 9§2.2.3.c)。διὰ ταῦτα と同義と考えてよく、プラトンと喜劇詩人アリストパネスによく見られる用法とされる (A. M. Adam 1914, The Apology of Socrates)。
ἐγὼ: 1 単主。
ἔτι: 副「まだ、なお」。
περιιὼν: 現能分・男単主 < περίειμι「巡っていく、歩きまわる」。
ζητῶ: 現能直 1 単 < ζητέω「探す、求める」。
ἐρευνῶ: 現能直 1 単 < ἐρευνάω「探す、追跡する」。
κατὰ τὸν θεὸν: 男単対。
τῶν ἀστῶν: 男複属 < ἀστός「街の人、市民」。部分の属格。
ξένων: 男複属 < ξένος「客、異邦人」。部分の属格。
ἄν: これは ἐάν の別形で長い ᾱ の ἄν であるから注意 (cf. 田中松平 §359; 水谷 §116.1)。
τινα: 男単対。不定代名詞。εἶναι の対格主語。
οἴωμαι: 現中接 1 単 < οἴομαι。現在の一般的な仮定の前文。
σοφὸν: 男単対。εἶναι の述語。
εἶναι: 現能不。
(4.2) καὶ ἐπειδάν μοι μὴ δοκῇ, τῷ θεῷ βοηθῶν ἐνδείκνυμαι ὅτι οὐκ ἔστι σοφός.
(直訳) そして私にとってそうではないと思われたならかならず、神をお助けすべく (その人は) 知者ではないのだということを私は明るみに出すのである。
ἐπειδάν: 副「〜するときはいつでも」。これは ἐπειδὴ ἄν のつづまったものであり、接続法現在 δοκῇ とあわさってやはり現在の一般的な仮定に準ずる。
μοι: 1 単与。
μὴ δοκῇ: 現能接 3 単 < δοκέω。
τῷ θεῷ: 男単与。βοηθῶν の与格目的語。
βοηθῶν: 現能分・男単主 < βοηθέω「助ける、手助けする」。与格目的語をとる。
ἐνδείκνυμαι: 現中直 1 単 < ἐνδείκνυμι「反証する;知らしめる、見せつける」。
οὐκ ἔστι: 現能直 3 単。οὐκ の直後なので ἔστι のアクセントがこうなっている (水谷 §52.4)。
σοφός: 男単主。
(5) καὶ ὑπὸ ταύτης τῆς ἀσχολίας οὔτε τι τῶν τῆς πόλεως πρᾶξαί μοι σχολὴ γέγονεν ἄξιον λόγου οὔτε τῶν οἰκείων, ἀλλ᾽ ἐν πενίᾳ μυρίᾳ εἰμὶ διὰ τὴν τοῦ θεοῦ λατρείαν.
(直訳) そしてこの多忙のために、私には国家のことごとのうちで言挙げするほどの何事かを行うための暇は生ぜず、また家庭のことごとのうちでも (同様に暇がなく)、限りない窮乏のうちにいるのである、神への奉仕のゆえに。
ὑπὸ ταύτης τῆς ἀσχολίας: 女単属 < ἀσχολία「暇がないこと、多忙」。
τι: 中単対。πρᾶξαι の目的語。
τῶν τῆς πόλεως: 中複属+女単属 < πόλις「国家」。「国家の」という属格名詞を中性冠詞によって名詞化している:「国家のことごとのうち」。
πρᾶξαί: アオ能不 < πράττω「行う」。
μοι: 1 単与。
σχολὴ: 女単主「暇、余暇」。γέγονεν の主語。
γέγονεν: 完能直 3 単 < γίγνομαι。
ἄξιον: 中単対 < ἄξιος。τι に一致している。
λόγου: 男単属 < λόγος「言葉」。ここでは「言及」くらいの意か。価値の属格。
τῶν οἰκείων: 中複属 < οἰκεῖος「家の、家庭の」。名詞用法。
ἐν πενίᾳ μυρίᾳ: 女単与 < πενία「貧乏、欠乏」、μυρίος「無数の、無限の」。
εἰμὶ: 現能直 1 単。
διὰ τὴν … λατρείαν: 女単対 < λατρεία「奉仕、仕えること」。
τοῦ θεοῦ: 男単属。目的語的属格。
〔以上で第九章は終わりです。〕
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