アイクチヲノム



あなたがどんなに私を嫌っていても、私はあなたの幸せを願う。

という思いはこの世にたしかに存在していて、同じくらいにそのたった一文で終わる表現をしてしまうことによって、気持ちは一生宿れないままに放浪してしまうように感じる。

言葉にしたら、だれにも見せないようにこっそり忍ばせて、自分の一部にする他ないような感情は、厳重な雰囲気で、無防備に転がらざるを得ないらしい。秘密が人間の特権であるのは、生命以上の価値をそこにほのめかすから。秘めごとは蜜やかさを無くすとき、深みを失いふと足元を掬う。 


想いにおいて、言葉は常に足りなくて、余分な装飾にしかなりえない。悪意は言葉を足すほどに乾きを思い知らし、善意は底をなくして本意からはずれようとする。


いっそ、持たなければいいのか。しかし言葉を形成しないことは、盲目的傲慢につながることを目の当たりにさせられる。無価値な己の虚像への傷すらを恐れて、間接的要因を含む弱者に責め立てられない程度の悪意を当て付けて、守り続けようとする。そうした弱さを直視しない屈折した相手への護身用のそれ。言葉は哀しみに、矛盾に酷く磨かれ、鈍く光らせたまま、ついに懐から出すことはしまい。無神経は残像だから。そして怒りは刃をこぼす。

言葉はディアローグに含まれないとき、存在しえないのかもしれない。心に切り込むためには、常に五感と横たわらせるほかない。あなたに私を見出すように、私の中にあなたがいる。(誰が「私」を一人だと言った?)実態の身体の枠に収まる精神なぞ早々あるのだろうか。すべての人間と関わった途端に、型を描こうと言葉は藻掻く。何度も何度も測り続けて、そして軌道は明瞭になる。不安定な線を幾度も結い合わせて。

私は今日も、ついに相手を殺せない。実像を、己以外に見つけられずに。


はたして懐に呑ませた匕首の、美、以上の価値を見出すことはできるのだろうか。







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