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東京メトロ

目をつぶった時まぶたの裏側に映るのは、ノーブレーキで赤信号に突っ込んで大破する車とか、屋上からダイブして段々と迫ってくるコンクリートだとか、何かに衝突して命が途絶える瞬間で、視界が突然真っ暗になっては、また再生される。そんな時もあれば、無限に膨張していく暗闇の中で、視覚も聴覚も奪われて、置き去りにされていくような感覚になることもある。その暗闇の中で、私自身が本来許容しえなかった怒りや悲しみ、寂しさ、侘しさ、全部が溶けていって、一体になっていくような気持ちになる。

そこはまるで静寂の海。風一つない凪。これは私の帰巣本能なのか。私の名前には海という漢字が入っている。

もう帰りたいと思っている。何処へかも分からないけれど。

一週間前、飛び出すように地元を出て、勢いのまま上京した。田んぼと山と、ギャンブルしか娯楽がないような、あとは寂れた漁港と、無駄に大きいだけで何もないイオンがあるだけの小さな街だった。あそこには十数年間、私が必死に振り払ってきた泥の痕跡がそこら中にあって、否が応でも過去向き合わされるから嫌いだ。大学の時大阪に出たのとは違う。明確に捨てるという意識を孕んだ上京。実家に書き置きだけして、もう帰らないという決意を奥歯で噛み締めて、重いキャリーケースを二つも運びながら新幹線に乗った。喫煙所の窓から見える街並みは次々と表情を変える。怒りや悲しみ、寂しさ、侘しさ。どれとも違う、これは切なさ。

ずっと帰りたいと思っていた。ならもういっそのこと、帰る場所なんて無い方がいいと思った。

人は、生まれる場所も環境も時代も選べない。容姿も性別も血統も選べない。唯一平等に選べるのは、命の締めくくり方。人生は残酷で美しいなんて詭弁で、みな須らく、自分に都合のいい正義を盲信して、その他を拒絶することで生きている。それを疑わないから生きていられる。一度疑いはじめてしまったら、あまりにも全てが不毛で、意味の無い、退屈な時間だと気が付いてしまう。だからせめて、終わらせ方くらいは、ちゃんと納得したい。それだけが私の体を焚き付けるのだ。

新しく住み始めた街は、酔っ払いにはすぐ絡まれるし、サイレンの音は鳴り止まないし、治安が悪くて変なあだ名で呼ばれているし、隣人はクレーマーだし、全然いい所ではないけれど、新居から見える景色は少し気に入っている。
時間は待ってくれない。でもただ追われるのにも飽きてきたので、そろそろ私の方が追いかけ回してやろうと思う。

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