奥まった目の輝き

交点の水滴に吸い込まれ、吸い込ませることで、美しい幾何を描きたい。操り、操られる。そこに水滴があるから身体が伸びる。

呼吸や目の輝きによって、活動能力が上がる。すなわち認識能力が上がっている。つまり、ご機嫌な方が強い。ご機嫌さとは、自分のコナトゥスがしっかり働いている状態=活動能力が高まっている喜びの状態である。

そして、この状態で為すあらゆる活動は〈遊び〉となる。反対に、活動能力が下がっている場合、あらゆる活動は〈労働〉となる。

「目の輝きを内奥に秘める」という意識の持ち方は、本能(エス)を超自我的バリアを張りつつ外に曝すという自我の判断であり、他者に曝すあらゆる表現活動(すなわち活動)において能力の増大に効果的なものかもしれない。

これは、戦いにおいては「守りながら攻める」と、社会においては「大人の殻を身につけた子供」とも言える。芸術においては、技術や俯瞰を宿した純度の高い自己表現を意味する。能における「離見の見」もこれだろうか。自分の表面的な自我を奥に引っ込め、それでいながら可能な限り「私」を充実させる。

生まれたのは「奥行き」という新たな次元だ。

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