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なぜ『その言葉』を選んだのですか

「ひとりの消費者として、奥さんや彼女に聞くのもいいかもしれません」
 本筋と全く関係ない部分が引っかかって読書が進まない経験がある人は多いだろう。私もとあるビジネス書を読んでいて、この一文でちょっと落ち込みながら色んなものが湧いてきた。
 先に言っておくが、この本は十年以上も前に発行されたものであり、また私はこの書籍や著者、出版社を批難するつもりはない。
 おそらく今後発行される本にこのタイプの文章が載ることはほぼ無いだろうが、せっかくなので溢れてきたものをここに記しておくことにする。


奥さんや彼女に聞ける読者と、聞けない読者

 奥さんや彼女に聞ける人とはどんな人だろうか。具体的に分けるとこうなる。

奥さんや彼女に聞ける人
・恋愛対象が女性であり、なおかつ伴侶(内縁含む)及び恋人のいる男性
・恋愛対象が女性であり、なおかつ伴侶(内縁含む)及び恋人のいる女性
・恋愛対象が女性ではない、もしくは恋愛対象が無いが人生設計を鑑みた結果、女性の伴侶(内縁含む)もしくは恋人を得ている男性
・恋愛対象が女性ではない、もしくは恋愛対象が無いが人生設計を鑑みた結果、女性の伴侶(内縁含む)もしくは恋人がいる女性

奥さんや彼女に聞けない人
・恋愛対象が男性であり、なおかつ伴侶(内縁含む)及び恋人のいる女性
・恋愛対象が男性であり、なおかつ伴侶(内縁含む)及び恋人がいない女性
・恋愛対象が女性であり、なおかつ伴侶(内縁含む)及び恋人がいない女性
・恋愛対象が女性であり、なおかつ伴侶(内縁含む)及び恋人がいない男性
・恋愛対象が男性であり、なおかつ伴侶(内縁含む)及び恋人がいる男性
・恋愛対象が男性であり、なおかつ伴侶(内縁含む)及び恋人がいない男性
・恋愛対象が女性ではない、もしくは恋愛対象が無いが人生設計を鑑みた結果、女性の伴侶(内縁含む)もしくは恋人が欲しいが現在は居ない男性
・恋愛対象が女性ではない、もしくは恋愛対象が無いが人生設計を鑑みた結果、女性の伴侶(内縁含む)もしくは恋人が必要ない男性
・恋愛対象が女性ではない、もしくは恋愛対象が無いが人生設計を鑑みた結果、女性の伴侶(内縁含む)もしくは恋人が欲しいが現在は居ない女性
・恋愛対象が女性ではない、もしくは恋愛対象が無いが人生設計を鑑みた結果、女性の伴侶(内縁含む)もしくは恋人が必要ない女性

 多分だいたいこんな感じに分類されるはずだ。厳密には足りない。一応、前に記した「男性・女性」は肉体に依存するものとしてほしい。そうすればトランスジェンダーの方も含めるだろう。しかし自分で書いてて頭が痛くなってきた。
 要は聞けるのは「奥さんや彼女がいる人」であって、聞けないのが「奥さんや彼女がいない人」だ。


これは女性軽視でも女性差別でも無い

 私は『恋愛対象が男性であり、なおかつ伴侶(内縁含む)及び恋人がいない女性』だ。だからこの手の文章を見ると「女性は読者として想定されていないんだな」と反射的に思いがちだし、実際この文章を目にしたときにそう思った。しかし冷静に考えてみると、別にこの文章で切り捨てられているのは女性では無い。女性でも含まれる人はいるし、男性でも切り捨てられている人がいる。(先程の一覧をすっ飛ばした人はctrl+Fで男性or女性で検索してください)
 だからこの文章は決して「女性軽視」でも「女性差別」でも無い。だけど私が想定読者から切り捨てられているのは確かだ。そして読者が切り捨てられているのと感じるのは間違いなく本にとってはマイナスなのだ。


なぜ『その言葉』を選んだのですか

 今回こんなにも引っかかった原因は、間違いなく簡単に言い換えられるからだ。
「家族や親しい人」でいいのだ。そうすれば先ほど羅列した人のほぼ全てが内包される。しかしこの言葉も決して完璧ではない。天涯孤独で周囲との関わりも途絶えている人は切り捨てられてしまう。それでも「奥さんや彼女」よりはマシだろう。ではなぜ「奥さんや彼女」と著者は書いたのだろうか。思わずそう言いたくなるが、本当に大切なのは「なぜそれが本に書かれているのか」だったりする。(今回は十年以上前の本だから仕方がないが)


多様性と風通しと柔軟性

 著者が書いた文章が誰の目も通らず本になって販売されることはまずありえない。同人誌や個人がネットで発表している記事なら十分ありえるが、出版社が作った本は必ず発売前に何人もの目に触れているはずだ。だから必ずしも著者が自分以外のタイプの人間を常に考慮した文章をかけるようになる必要は無いのだ。誰か一人が気がついて、声を上げて修正すればいいだけの話である。逆に言うと
・気づく人がいる→携わる人の多様性
・声を上げられる→人間関係の風通しの良さ
・修正する→決定権のある人物の柔軟性
 差別や固定概念を破って落ち度の少ない文章にするにはこれらが必要になる。奥さんや彼女がいる人、もしくは居て当たり前だと思っている人ばかりで本を作ると気づけない。そうない人が気づいても、言い出せないような人間関係を築いていたら意味がない。言ったところでマイナスに気がついて修正できなければどうしようも無いのである。
 だから雇用や昇進に多様性を持たせて、意見の言いやすい関係を築き、他人からの指摘を柔軟に受け入れられるような環境は、働く人だけでなく巡り巡って出版された本にもプラスの影響を与えるだろう。


完璧な言葉もなければ完璧な人間もいないけど

 さて、多くの人の目に触れてから世間に出てくる書籍はこれである程度防ぐことができる。問題は私たちだ。こうして個人で文章を紡いて世間に発表している人たちだ。おそらくnote利用者の殆どが個人で活動しているだろう。私達はどうしたらいいのか。これはもう「極力自分で気付けるようになる」しかない。
 頭に入れておかねばならないのが「誰も切り捨てないことはほぼ不可能に近い」と言うことだ。きっと私もこれまでの文章で沢山の人を切り捨ててきたし、きっとこれからも切り捨ててしまうのだろう。言葉の内容だけ気をつければどうにかなるわけでもない。文章には必ず先と後があるのだ。前半の『奥さんや彼女に聞ける読者と、聞けない読者』の羅列をもう一度見てほしい。私は聞ける人の一覧で、男性を先に持ってきて女性を後ろに置いた。逆に聞けない人の一覧では女性を先に持ってきた。それだけじゃない。どちらの一覧でも恋愛対象が異性の人を先に、同性の人をその次に、それ以外を最後に持ってきている。
 大切なのは「自覚した上で決める」ことだ。私は今回、分かりやすさを優先して、マイノリティと呼ばれる人を今回意図的に後ろへ下げた。また「奥さんや彼女」という言葉に恋愛性と強く感じているために、マイノリティの中でもいわゆるアセクシャルに当たる人をさらに後ろへ持ってくることを決めた。悩んで精査した上で、後ろへ記載することを決めたのだ。文章を書く以上、必ず決めねばならないことだ。だからこそ、無意識ではなく理解した上で決定しなければならない。
 自分が何を切り捨てたのか。切り捨てずに済む言葉は無いのか。自分が誰を後ろへ下げたのか。なぜその人たちを後ろへ下げたのか。せめて理解した上で世間に発表しよう。それは少しでも多くの人に自分の声を届けるためであり、人に声を届けようとする人の責任でもあると私は思っている。

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