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子どもは、まっさらな心で親の姿を見ている。

子育て中の
お父さんお母さん
毎日の子育て
お疲れさまです。

今日は
『子どもは親のことをよく見ている』
そんなお話をしたいと思います。


今から4年前、
息子が小学4年生の時のことです。

学習発表会で、
息子たちは
パイレーツ・オブ・カリビアンで
お馴染みの曲『彼こそが海賊』の
合奏をすることになりました。

まずは全員 
リコーダーパートを
マスターすることに
なりました。

この曲、
入り方やリズムの取り方など、
小学4年生には
かなり難しい曲でした。

それでも
「これが吹けたらかっこいい!」
そう思ったのでしょう。
息子は、
熱心に練習に励んでいました。

時々、
リズムの取り方や
曲の入り方などを教えながら、
そばで様子を身守りました。

やがて
正しくリズムを
刻めるようになり
指も軽やかに
動くようになりました。

ある日
「お母さん、
ここ(他のパート)
ピアノで弾いてくれる?」
と頼まれました。

その日から
私も他のパートを
ピアノで弾き
一緒に練習するように
なりました。

息子は、
この曲を吹けるようになったこと、
ピアノに合わせて吹くことが、
嬉しくて楽しくて、
どんどんリコーダーが
好きになっていきました。

リコーダーのテストにも
一発で合格。

テストに合格した人は
引き続き
希望の楽器のテストを受けることに
なっていましたが、
元々リコーダー希望だった息子は、
このまま
リコーダーに決定のはずでした。

ところが、どうしたことか、
息子は悲しそうに言うのです。
ピアニカに なった…と。

聞けば
ピアニカの希望者が足りず
担任の先生から
ピアニカをしてくれるよう
頼まれたようなのです。

あんなに
リコーダーをやりたがっていたのに…

「リコーダーがやりたい」
とは言えなかったのですね。

「本当の気持ちを話してみたら?」
「それは悪いことではないんだよ」
と背中を押してみましたが、
何を言っても
「いい…」
と首を横に振るばかり。

落ち込む息子に
「やってみたら
ピアニカも案外楽しいかもしれないよ」
そう声をかけました。

今でこそ、
自分の気持ちを
はっきり言えるようになった
息子ですが
この頃はまだ
本当の気持ちが言えず
我慢していることの方が
ずっと多かったのです。

ピアニカパートになって
数日後のこと。

学校から帰って来た息子が
嬉しそうにこう言いました。

「ピアニカもけっこう楽しい!」

その言葉を聞いて
ほっとしました。

それからも
毎日二人で
ピアノに向かいました。

私は、リコーダーパートを。
息子は、ピアニカパートを。

おやつのあとに。
家事の合間に。
二人で一緒に
パイレーツ・オブ・カリビアン♪

そんな日々が
発表会の前日まで
続きました。


そして迎えた発表会。

その日の私は、
まるで自分もステージに
立つかのような気分で
朝からソワソワ
落ち着きませんでした。


いよいよ
息子たちの出番になりました。

白いシャツに
色とりどりのバンダナを巻いた
息子たちが入場してきました。

この日のために
息子が選んだのは
紫色のバンダナ。

同じ色の子が
ほとんどいなくて
大勢の中にいても
すぐに見つけることが
出来ました。

息子たちの発表のスタイルは、
朗読劇の合間に
合奏が入るというものでした。

劇が進み
さあ、
次はいよいよ合奏。

先生が、
指揮台に立ちました。

私の緊張はピークに達し
心臓はバクバクと
物凄い速さで
脈打ち始めました。

先生が指揮棒を構えると
一斉に全員の視線が
そちらに向かいました。

先生の一振りで
演奏が始まりました。

途端に、 
体中に熱いものが
込み上げてきました。

120人で奏でる
『彼こそが海賊』

それは…

様々な楽器の音が
重なり合い、
響き合って、
一つになった、
昨日まで二人で奏でていた
『彼こそが海賊』とは
明らかに違うものでした。

す、すごい!
すごいよ!



涙があとからあとから
溢れてきました。

あまりの号泣ぶりに
隣で見ていた主人は苦笑い…


帰って来た息子に
すぐに言いました。

「最高だった!感動したよ!」

すると、
息子は笑いながら言いました。

「分かってるよ。
お母さん、泣いてたね。

『今日の素晴らしい演奏は、
お家の人にしっかり届いたと思います』
って先生が言ったら
Y君がね、
『はい。
○○(息子の名前)君のお母さんには
しっかり届いたと思います』
って言って、
みんなで笑ったんだよ」

「なにそれ~!
そんな余裕あった?
みんな真剣に指揮を見てたよ」

「指揮を見ていても
お母さんの顔はちゃんと見えるよ」

「え~そうなの?!
恥ずかしい!」

観客席にいた私は、
自分は『見る側』だと
思い込んでいました。
でも
『見る側』と思っていた私は、
子どもたちに
しっかりと見られていたのです。

あの号泣っぷりを
息子の同級生たちに
見られていたなんて… 
私は恥ずかしくて
たまりませんでした。

それでも、
気持ちが届いたと
受け取ってくれたのなら
それはそれで良かったのかな…
そんな風にも思いました。

この時、ふと
相田みつをさんの
この詩を思い出しました。

アノネ 親は子供を
みているつもりだ けれど
子供はその親を みているんだな
親よりも きれいな
よごれない眼 でね 

子どもは
私たち親のことを
本当によく
見ているものなのですね。

親が、
何を言ったかよりも
どうしていたかを。 

私たち親は
子どもを見ることは出来ますが
自分の姿を見ることは出来ません。
でも、
子どもは見ているのです。

子どもが小さいうちは
なおのこと、
子どもは
親がしていることを
そのまま真似ていきます。
親の言った通りではなく
した通りに育っていきます。

ですから、もし
我が子に幸せになってほしい
と望むのであれば
親である私たちが
自分を大切にし
いきいきと幸せに生きる姿を
見せてあげれば
それでいいのですね。

だって、
子どもたちは
そのきれいな
よごれない目で
親の姿を
ちゃんと見ているのですから。

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