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私が生まれてきた訳は…

12月6日は、
私の46歳の誕生日でした。

46歳。

何の節目の歳でも
ありませんが
私にとって
特別な誕生日になりました。

ここ数年、
いえ、生まれてから今日まで
色んなことがありました。
本当に色んなことが…。

ここ数年間は、
過去の悲しみや苦しみと
向き合ったり
生まれた意味、
これからどう生きるについて
真剣に考えてきました。

言ってみれば
人生の棚卸しのような
数年間でした。

そんな中
悲しみや苦しみが愛に変わる…
そんな経験を
繰り返してきました。

そして、
数え切れない程
たくさんの涙を流してきました。

そうして
握りしめていた感情を
手放すごとに
私の心は
どんどん軽くなり
自由になっていきました。

誕生日の1ヶ月程前に
ふと、思いました。

今年の誕生日は
父と母に花を贈ろう。

産んでくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
そんな思いを込めて。


そして迎えた46歳の誕生日。

映画のワンシーンのような
感動的な出来事は
何一つありませんでしたが、
それでも、
46歳の誕生日は
私にとって
忘れられない日になりました。


誕生日の午前中
家を出る前に
実家に連絡を入れましたが
自宅の電話も携帯も
つながりませんでした。

午後には
仕事に行かなければ
ならなかったので、
会えなかったら
会えなかったで仕方がない…
そう思って実家に向かいました。

実家に着くと、
母は、ちょうど
外で何か作業をしていました。

良かった…。

車の音で
私が来たことには
気付いているはずなのに、
こちらを
振り返る様子はありません。

相変わらず素っ気ない母。
でもそれはいつものこと。
そのことに
気持ちが揺さぶられることは
もうありませんでした。

母に近づき、
その後ろ姿に向かって
「こんにちは」
と少しおどけた調子で
声をかけました。

母は、驚いて振り返りました。

やだ。
本当に気付いてなかったんだ…。

振り返った母は、
すぐに、
私が持っていた紙袋に目をやり、
きょとんとしました。

母「今日、何かあったっけ?」

私「今日、何日?」

母「6日…。
 なおみの誕生日」

私「そう!」

この答えが
ますます
母を混乱させました。

母は真顔で
こう言いました。

「えっ?!
誕生日って
誕生日の人がプレゼントを
貰う日じゃないの?

今の時代は
誕生日の人があげるの
?!」

いやいやいや
そういうことじゃなくて…

「そういう流行りとかではなくて…
私も初めてだよ。

今年はね
おかげさまで46歳になりましたって、
花を贈ろうと思ったの」

そう言った途端に
涙が溢れそうになりました。

でも、ぐっとこらえて
笑顔で花を手渡しました。

それでもなお、
状況を飲み込めずにいた母は、
首をかしげながら
花を受け取りました。

相変わらずの
トンチンカンぶりに
驚くやら呆れるやら。

『お父さんお母さんへ
 おかげさまで46歳になりました。
 いつもありがとう』

添えられたメッセージに
気付いたのかどうかは
分かりませんでした。

母は、受け取った花を
縁側に無造作に置き、
いつものように
最近の出来事を
次から次へと話し始めました。

父は仕事に行っていて留守なこと。
友達と温泉旅行に行って来たこと。
野菜をたくさん貰って
食べきれなくて困っていること…。

話したいことを
話したいだけ話した後 
「野菜好きなだけ持って行って」
と両手に抱えるほど
たくさんの野菜をくれました。

花を贈りに来て
帰りには
抱えきれないほどたくさんの野菜を
貰っている自分。

「貰いに来たみたいでごめんね。
本当は
温泉にでも
連れて行ってあげられれば
いいんだけど…
それも出来なくて…
ごめんね」

いつだったか母が
話していたことが
私はずっと
気になっていたのです。

「~ちゃんがね、
娘夫婦と温泉に行って来たんだって」
という話を。

「だって、
私は平日がいいもの。
平日はずっとお得なのよ。
あなたたち平日は無理でしょ。
土日というだけで
料金が高いのは勿体なくて
お母さん嫌なの。
だからいいのいいの」
母は気を遣って
そう言ってくれました。

こんな感じで
お花を贈った以外は
いつもと変わらない母と娘。
いつもと変わらない会話。

私はいつものように
「じゃあまたね」
そう言って家を出ました。


その夜。
珍しく父から電話が
ありました。

私はてっきり
お花のお礼だろうと思いました。

ところが
電話に出るなり
鹿肉の話。

鹿肉?!

「知り合いに
たくさん貰ったんだけど、
お前たち鹿肉食べるか?」

母と同様に
父も一方的に喋り倒して
電話を切りました。

ちょうど
我が家では
誕生会の最中でした。

電話を切った後
電話の内容を話すと
息子が言いました。

「お花の話じゃなかったの?!
誕生日のことも、
何も言われなかったの?
おめでとうとか」

「あっ、何も言われなかった。
花のこともまだ知らないみたい」

自分でそう言いながら
笑ってしまいました。

そう言えば
あの日母からも
『おめでとう』とは
言われなかったんじゃなかったかな。

それでも
私はそんなこと
どうでも良かったのです。

恐らくですが、
父も母も
誕生日を祝ったり
祝って貰ったりという経験が
ほとんどなかったのではないかと
思います。

だから、
誰かの誕生日を祝うと言うことが
父と母にとって
それ程重要なことではないのでしょう。

思えば
母は子どもの頃に
父親を病気で亡くし、
30代に母親も
同じく病気で亡くしました。

だから
母には、
30代の頃から、
「お帰り」と言って
自分を迎えてくれる家族は
いなかったのです。

嫁ぎ先での生活が
どんなに辛くても
母の帰る場所は
もうそこしかなかったのです。

私には
こうして誕生日を祝ってくれる
主人と息子がいて、
実家に帰れば
迎えてくれる両親がいる。

父と母が元気に生きている
それだけで十分幸せ…
そう思いました。


さて、
誕生日の2日後
父が突然我が家に来ました。

市場に行った帰り道、
ステーキ用の肉など
高価な牛肉を
たくさん届けてくれました。

時々こんな風に
市場に行った帰りに
家に寄ってくれるのですが
今回はかなり高級なお肉が
たくさんでしたから、
きっと
誕生日プレゼントなのだろうと
思いました。

ただ、
父は最後まで
誕生日のことには
触れませんでした。

私もいつものように
「ありがとう」
と言って受け取り父を見送りました。

父が帰ってしばらくして
母から電話がありました。

「この間はありがとう。
お父さん、
誕生日のこと
何も言って来なかったって言うから。
今日のは
お誕生日プレゼントだからね。
お父さんは、
そういうの頭にないから」

母は、
呆れたように言いました。

はいはい。
分かってます。

「ということで
おめでとうございます」

母は、そう言いました。


こんな風に
父と母の言動には
孫である息子も
時々驚いているようですが、
それでも息子は、
そんな父母を心から愛しています。

それは、
父も母も、
孫である息子には
分かりやすい形で愛を
表現しているからです。

そして、
父と母が息子を
愛してくれることは
私への愛だとも感じています。

でも本当は
父と母が、
息子を愛しているかどうか
そういうことさえも
関係なくて
いつだってそこに愛はある。

それを私が受け取るかどうか
それだけなのだということに
気が付きました。

そこかしこに
愛は溢れている…

私は今
父と母から
たくさんの愛を
受け取っています。

私が生まれてきた訳は
父と母とに出会うため。
私が生まれてきた訳は
きょうだいたちに出会うため
私が生まれてきた訳は
友達みんなに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため

春来れば 花自ずから咲くように
秋来れば 葉は自ずから散るように
しあわせになるために
誰もが生まれてきたんだよ
悲しみの花の後からは
喜びの実が実るように

私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを傷つけて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに傷ついて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに救われて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを救うため

夜が来て 闇自ずから染みるよう
朝が来て 光自ずから照らすよう
しあわせになるために
誰もが生きているんだよ
悲しみの海の向こうから
喜びが満ちて来るように

私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
私が生まれてきた訳は
いとしいあなたを護るため

誕生日の前の日に
突然、
さだまさしさんの
『いのちの理由』
を思い出し
無性に聞きたくなりました。

それで、
それから毎日聞いています。

毎日何度も聞いて
毎日何度も涙しています。

いい歌です。

私は、
ずっと思っていました。

お父さんなんか
この世からいなくなればいい。

お母さんは
私のことを愛していないと。

でも、
今、私は、
父と母の愛を感じることが
出来ます。

目の前には
護りたい家族がいます。

私のいのちの理由は
日々の生活の中に
たくさん溢れていて…
私は、どんな時も
いのちの輝きの中にいる…

私は幸せになるために生まれてきた

46歳の私は
心からそう思います。

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