見出し画像

子ども時代に子ども時間を過ごせた子どもは、幸せだと思う。

1日24時間で
1時間は60分で
1分は60秒。

それは
誰にも平等にあるもので
ずっと変わらないもの。

ところで、
時間には、
クロノス時間、カイロス時間
というものがあるそうで。

クロノス時間は
時計が刻む時のことで、
物理的な時間を指し、
カイロス時間は
主観的な時間、
内的に感じる時間のことを指すようです。

楽しい時間は
あっという間に過ぎ
苦痛な時間は
やたらと長く感じる…

こんな風に
カイロス時間は
人間が感じる時間で、
その長さは
感じる人によって
自由に伸び縮みするのですね。

クロノス、カイロスと言う呼び名は
ギリシャ神話の神の名から
きているとのこと。

さて、
物理的な時間
クロノス時間で
子どもを動かそうとしても
うまくいきませんよね。

小さな子どもは
おそらく
全ての時間を
カイロス時間で生きているのでは
ないでしょうか。

クロノス時間が
感覚として身に付くのは
就学前後でしょうか。
人によっては
もっと先かもしれませんね。

そんなことからも、
小さな子どもを
物理的な時間で管理しようとしても
うまくいかないのですね。

例えば、朝の身支度。
「30分で支度しようね」
「長い針がここに来るまでにね」
と言っても
30分という時間が
一体どれくらいの長さなのか
分からないのですね。

だから、30分後に
「どうして何もしていないの!」
と叱っても、意味がないのですね。

子どもは戸惑うことでしょう。
お母さんは
なぜそんなに怒っているのだろうと。

こんな風に
大人と子どもは
全く違う時間を生きているのですね。

少し話はそれますが
ある一定のリズムで
毎日生活していると
小さな子どもであっても、
身の回りの事など
言われなくても
進んでやるようになります。

同じリズムというものが
子どもの心を安心させるのですね。

ただ、そうなるまでには
何度も何度も時間をかけて
繰り返し丁寧に
教えていく必要があって…。

途方もなく長い道のり
と言えばそうなのですが…。

また、例えば
包丁であったり
フライパンで調理をすることに
小さな子どもが興味をもったら…

その時はもう
何というか、ある種、
覚悟のようなものを
決めるしかないですね。

一体どれだけの時間がかかるのか…
一体どんなことが起こり得るのか…
皆目見当がつきませんし、
最初のうちは
兎にも角にも
子どもから目が離せません。

ふわふわのホットケーキは
ひっくり返して
ぐちゃぐちゃになるかもしれませんし、
テーブルや床は
信じられないほど
ベタベタでドロドロになるかもしれません。

包丁で指を切ったり
熱いフライパンに
うっかり触ってしまうことも
あるかもしれません。

それでも…
それでもきっと
やりたいことをやっている
その時の子どもの目は
キラキラ輝いているに
違いありません。

大人がやってしまった方が
ずっと早いですし、
楽なのですけれど。

でも…
時間がないから。
危ないから。
いつもいつも
大人が全てやってしまったら
そこでせっかく芽生えた
好奇心や可能性が
摘まれて無くなってしまいます。

私は小さい頃
祖母や母が
編み物や縫物、
料理をする姿に憧れて
何度か
「やってみたい!」
と言ったことがありました。

でも、
「なおみには難しいから」
「まだ出来ないよ」
「今は忙しいから」
そう言って
やらせてもらえませんでした。

やがて
やりたいという興味は薄れ、
私には出来ない、
私は不器用
という思いだけが残りました。

そして
やるからには
上手にやらなければならない…
そんな思い込みも
残ってしまいました。

やりたいことをやる
ということを
私はいつも難しく考えてしまい
やる前から諦めたり、
やったらやったで
完璧を目指して
頑張り過ぎてしまったりして
心から楽しむことが
なかなか出来ませんでした。

でも、本当は
好きなことや
やってみたいことに
上手も下手もなくて、
誰かの役に立たなくても、
意味なんかなくても、
ただただ楽しむ
それで良いのですね。

この年になってようやく
そのことに気が付きました。

そしてそれが、
自分を生きる
ということでもあって。

息子は、
小さな頃から
お団子を作るのが
とても上手でした。

初めてのお団子つくりは
1歳か2歳の頃だったでしょうか。

その時私は
覚悟を決めたんですね。

そう。
能率や成果よりも
やってみたい
という息子の気持ちを
大切にしたのです。

最初こそ色々ありましたけれど
息子はみるみるうちに
お団子名人になっていきました。

息子の作るお団子は
まん丸になるのです。
それは
私よりもずっときれいなまん丸で。

小さな小さな手のひらの中で
白い塊が
きれいな丸になっていく様子は
まるで魔法でも見ているようで
いつまででも
眺めていられました。

私の作るお団子は、
駒のように先が尖ってしまうんですね。
きっと
力が入り過ぎていたのでしょうね。

そんなこんなで
いつからか
お団子作りは
息子に任せるようになりました。

息子も張り切って
その任務を全うしてくれました。

中学に入ってから
お団子作りから
遠退いていた息子でしたが
今年のお盆に
久しぶりに家族3人で
お団子作りをしました。

「下手になってるかも…」
そう言っていた息子でしたが…。
あの頃の腕は健在で
きれいなまん丸の団子を
作って見せてくれました。


息子は、
やってみたいと思ったことは
すぐにやってみるのですね。

欲しいと思った物も
けっこう潔く買いますしね。

ただ、買う前に
自分で作れないかなと
一度考えるようです。

予算、
強度や機能性、
デザインなど
諸々のことを考えて
買った方が良いか
作った方が良いかを
決めているようです。
(作った後に
 結局高くついてしまった…
 なんてこともありますけれどね)

色んな道具も
器用に使いこなします。

鋸、鉋、ノミ、スコップ、鍬…
電動工具も
私より遥かに上手に
使いこなしています。

私の方が
上手に使えるのは
包丁とミシン、
縫い針ぐらいでしょうか。

さて、
最近息子が作ったもの。
それは、ボッチャのボール。

ボッチャ、ご存じですか。

子どもからお年寄りまで
気軽に楽しめるスポーツで
パラリンピックの
正式種目にもなっているようです。

学校でやったことがきっかけで
欲しいと思ったようですが、
それなりの金額がすることが分かり
それなら自分で作ってみようと
思ったようです。

正式なボールの素材は皮。
手縫いで丸く縫い上げるのが
特徴のようですが、
皮はお高いですからね。
そこは妥協して
布にしたようです。

ミシンと手縫いで
1週間ほどで仕上げました。

重さも出来るだけ
正規の物と同じにしたくて
ボールの中身も工夫したようです。

ちなみに中身は
手芸用のペレット。
ぎっしり詰めると
かなりの重量感があります。

余談ですが…
制作中、
居間のあちこちで
こぼれたペレットを拾いました。

このペレット。
パワーストーンや音叉の
浄化用に使っているさざれ石と
よく似ていて
居間で拾う度に
これ、石?ペレット?どっち?
と目をこらして
見なければなりませんでした。

さて出来上がったボッチャですが…
早速家族で試してみたところ、
これがなかなか楽しくて。
みなさんもぜひお試しあれ。

今は時々、
友達と楽しんでいるようです。

息子はすごいな…

私だったら
考えもしないことを
いとも簡単にやってのける息子が
時々眩しく見えます。

と同時に
小さい頃から
息子がやりたい!
と言ったことを
やらせてあげて良かったなと思います。
(本人に聞いたら、
 やらせてくれなかったことも
 たくさんあったよと
 言われるかもしれませんけれどね…)

子育ては
大人がやってしまえば
すぐに出来てしまうことを
時間をかけて
何度も何度も繰り返しやっていく
そんな気の遠くなるような
長い長い旅です。

でも、
子どもが自分の手を動かし
五感を働かせるということが
どれだけ豊かなことか…

知識はあとからいくらでも
補うことは出来ますが、
好奇心や体を使う時期は
逃してしまうと
後から補うのは
相当に努力がいることです。

小さい頃に
手をかければかけるほど
子育ては
どんどん楽になっていきます。

成長するにつれ
一人で出来ることが増え
自ら考え工夫して
生活するようになっていきますからね。

今、小さなお子さんの子育て
真っ最中のお父さんお母さん。

どうか
お子さんの子ども時間を
そのかけがえのない今を
大切になさってくださいね。

もう小さい時期は
とうに過ぎてしまった
という方もきっと大丈夫。

大人になってから
私のように
悩みながら自身の努力で
乗り越えていくのもまた人生ですから。

大切なことに気付いたその時から
目の前にいる
お子さんを信じて
見守ってあげれば
それで良いのだと
そんな風に思います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?