大人になって児童文学『モモ』を読む①

先日、ある方とお金の話をした際に、「児童文学『モモ』に出てくる『灰色の男たち』とは金利のことである、と作者エンデ自身が語っている」というお話を聞きました。

私自身『モモ』は小学生の頃に読んだ覚えがあり、あらすじこそ覚えていないものの、当時お気に入りの作品だったので、「面白い、改めて読み返してみよう」と、メルカリで買い求めました。

読み返してみると、「モモ」「居酒屋の店主ニノ」「左官屋の二コラ」「道路掃除夫ベッポ」「観光ガイドのジジ」「能無しは、酒場のおやじにしかなれず」と見覚えのあるフレーズがたくさん出てきて懐かしい気持ちにさせられるのと同時に、大人になってもなお引き込まれてしまう世界観に新鮮な気持ちになりました。

ただし、今回はただストーリーを楽しむのではなく、物語の裏テーマを探るつもりで、作中で登場人物が語る物語などは斜め読みしながら、3時間半ほどで一気に読み切りました。

結論としては、エンデが経済について深く研究していたことを念頭においてもなお、「みんな自分の時間を生きることを愛していたはずなのに、気付くと時間を節約しなくてはならないような強迫観念に襲われ、いつのまにか社会全体から時間を盗まれてしまうシステムが出来上がってしまう」という世界観が完成されすぎて、エンデが裏側に描き込んだはずの「経済」の面影を見つけることは(今の私には)不可能でした。

経済、お金、金利についての勉強が足りていないのかもしれません…

そこで今のところは「大人になって児童文学『モモ』を読む①」としておいて、今後『エンデの遺言-根源からお金を問うこと(講談社)』を読んでから続きを書こうと思います。

さて、せっかく『モモ』を読んだので、そこから得たヒントを備忘録としていくつか…

1.モモは何者か
・身寄りのない、お金のない浮浪児である
・時間をたっぷり持っている
・モモは人の話を注意深く聴くことができる
・モモに話を聴いてもらった人は、いい考えが浮かんだり、解決策がわかったり、自信が湧いてきたりする
・子供たちはモモと遊んでいると、想像力が膨らみ、何もないところからでも楽しい遊びを思いつくことができる

2.ジジとベッポは何者か
・気楽な働き方をしており、モモと話す時間をたっぷり持っている
・灰色の男たちの存在について早くから知らされているが、モモと別れた後、ジジは気づかないうちに灰色の男たちのわなに陥ってしまい、時間倹約による裕福な暮らしを手に入れ、心の中では時間の制約のない暮らしに戻りたいと望んでいるが戻ることができない。ベッポは灰色の男たちの存在を怪しいと警察に訴えるが、気が狂っていると思われて精神病院に入れられてしまう。

3.時間とは何か
・その人が生きる時間そのもの。
・ひとりひとり、一時一時違うかたちをしている

4.マイスターホラは何者か
・時間を司っている。人間の一人一人に、その人の分として定められた時間を配ることがつとめ。時間を作り出してはいない。

5.灰色の男たちは何者か
・ほんとうはいないはずのもの
・人間がそういうものの発生を許す条件をつくりだしているから、それに乗じて生まれて来て、今や人間を支配までしている。
・時間を盗むことができなくなったら、もとの無にかえって、消滅してしまう
・正体を隠しておかなくてはならない。自分たちの存在も、していることも、誰にも知られてはならない。
・時間の逆流に巻き込まれると、盗んだ時間が吸い出され、なにひとつ残らなくなってしまう。

6.時間を倹約するとどうなるのか
・お金をたくさん稼げ、たくさん使えるようになる
・怒りっぽく、落ち着きのない人になる
・自分の家族やペットの世話をする時間や、愛する人と会う時間さえも惜しむようになる。(なんだか現代の保育や介護の姿や、生涯未婚率の低さを予言されているよう)
・仕事において効率を追求するようになり、本当は品質のよくないような商品をそれと知りながら作ったり、自分の仕事に誇りを持つことができなくなる。
・全てのことを「役に立つか立たないか」でしか判断できなくなる。
・子供の遊びさえも「将来役に立つ」遊びしかさせなくなる。
・人々は時間を倹約すると老後倍になって返って来るかのように信じ込まされているが、実際には灰色の男たちに奪われてしまい、人間の手には残らない。

7.モモにとっての時間とは何か
・既に十分に持っており、これ以上欲しいとは思わない
・時間を十分に持っていると、人に作り出されたおもちゃは、デザインされた使い道にしか使えず、退屈なものになる
・一緒に過ごす友達がいなくなった時、時間は長く感じ、価値がなくなる。

つづく…


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