セクシャリティの見立てについて①

カウンセリングを行うときに、1つアセスメントの視点として持たなければならないものがあります。それはセクシャリティという観点です。これはいくつかのポイントがあります。

1つは、誰しもがこのセクシャリティの、グラデーション状の広がりの中に位置すると言うことです。

例えばセクシャリティについて具体的にアセスメントする際、性的指向、性自認、生物学的性、性表現といった、アセスメントの軸があります。

性的指向はどのような対象に性的欲求や関心を抱くか。性自認は自分がどのような性別だと自覚するか。生物学的性は、遺伝的・身体的特徴からどのような性のあり方になるか。性表現はどのような性として自分を表現したいか。

これらは決して自明なものではありません。例えば性的指向についても、男女と明確に分かれるものではなく、バイセクシャル、パンセクシャルといったような様々なカテゴライズがなされています。

それはつまり、本来連続体であるものを無理矢理にカテゴリー分けしている故なのでしょう。例えば8割は男性が好き、2割が女性が好き、あるいは人生の時期によって変化する、と言うことも、自然なこととしてあり得ます。

性自認についてもやはり同様で、スペクトラム状のものだと理解した方が適切です。男性か女性かと言う認識ではなく、クエスチョニング、つまり今はまだわからない無理に決めないと言う判断。またXジェンダーと言う、あえて決めない、あえて決めない方が自然に感じる、と言う感覚でしょうか。そうしたあり方もあり得ます。

そして生物学的性についても同様です。身体がシンプルに男性女性と分かれているとは限らず、性分化疾患と言う、様々な生物学的性、つまり身体構造のあり方があります。これは性別適合手術に限らず、身体的な性と言うものも、きれいに2つに分かれるものではないと言うことを示唆します。

そして性表現。もはや言わずもがなですが、どのように自分を表現したいかと言う事は、男性女性と言うカテゴリー分かれるとは決して限らず、様々なあり方が本来ならばあるものです。

このように書くと、とても特殊なことについて話をしているようですが、むしろそれは逆で、これは「ありふれたものについての話」です。ただし、ありふれてはいるけれど、なかなか目には見えない。
そして、多くの場合、セクシャリティはその人の自己イメージや、体験されてきた感情のわだかまりが伴う、非常にデリケートで複雑なものです。

また、当事者であったとしても、専門家であったとしても、時に無自覚に踏み込み、傷つけるような、危うさを秘めたものでもあります。

今あなたが日常の中で会っている人々や、また仕事で携わる同僚、あるいは支援を提供している利用者さんやクライエント。当然ですが、彼らも例外ではありません。もちろんあなた自身も。

クライエントが10人いたとするなら、そのうち1人ぐらいは何らかのセクシャルマイノリティに位置づけられる方だと、統計的には考えた方が良いでしょう。そう考えたとき、あなたならどのように、セクシャリティについて捉えますか?

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