セクシャリティの見立てについて④

カウンセリングでセクシャリティについて触れる場合、自分自身が様々な可能性に開かれていることが重要です。そのためには知識が必要であり、また自身の内なるバイアスを自覚する必要があります。

あえて簡潔に言うのであれば、「わかったつもりにならない」。人間誰しも、わからないことに囲まれながら生きています。普段はそれを自覚しないことで生きやすくもなっています。他人の内面、自然現象、自分自身の事。家電の仕組み一つ取っても同様です。わからなさと共に生きるためには、わからなさに気づかないことや、わからないまま放っておける力が必要になります。

それがいわゆるunconscious biasに繋がる訳ですが、「わからない」に自覚的であることが、(これは別にセクシャリティというテーマに限らずですが)カウンセリングにおいては必須の姿勢であるでしょう。

また、仮にセクシャリティについて話題にするとして、それをどのような意図で話題として上げ、取り扱っていくかということも非常に重要です。

当然ですが、ただ聞けば良いと言うものでもありません。何のために聞き、クライエントにとってどのような利となるか。

これも別にセクシャリティに特化した話ではありませんが、より慎重にその意図や見立てが重要となります。なぜなら、時に非常に侵襲的な質問になり得、尋ねること自体がクライエントを脅かすことにつながりかねないからです。

こうした心構えが、結果的に関わり方や、言葉の選び方えと繋がります。

例えば、セクシャルマイノリティであることは、時にトラウマティックな体験と紐付いていることは少なくなく、またクライエントにとって言語化しにくいテーマである可能性が高いです。乱暴に踏み込まれたくない領域で、傷つきやすいデリケートな話題であることが多くの場合でしょう。恥の感情とも繋がりやすい。

不作法に確かめること自体がセラピストとの信頼関係を大きく損なうリスクもあり、思い込みや誤った知識で確かめる自体が、場合によっては侮辱にもなり得る。(それはセラピストの意図にかかわらず、です)。

そうした意味で、言葉の選び方、伝え方、説明の仕方など、慎重に言葉を選ぶ必要があるでしょう。具体的な言葉かけについては、また改めて整理してみたいと思います。

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