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手で書くこと

2023年5月11日。今日は神戸市の県庁前というところで、橋梁(きょうりょう、橋のこと)に関する国際会議の同時通訳を担当させて頂きました。

ポスト・コロナを象徴するように、海外各国から橋梁の専門家が神戸に集います。私はアメリカ、オランダ、スペイン、スイス、そして韓国の発表を通訳しましたが、時に同時通訳者泣かせの英語訛りで発表するので大変でした。

そんな会議通訳が入るブースはこんな感じです。

今日の通訳ブース。左側にあるのが通訳機械。

このスペースに紙なりパソコンなり、会議資料を持ち込みます。通訳者の会議準備方法はある意味多様化しているように感じています。紙ベースで臨む方と、デジタル画面で全て準備する方、そして僕のような中間の通訳者。

僕はパワポのような資料はPCで開いて見ますが、自分で作った単語集は紙のノートで手元に持って通訳します。長年通訳ブースでやってみて、このやり方が一番しっくり来るかな、と僕は感じています。

単語集もデジタルにしては?と思われる方もいらっしゃると思います。その方がPC画面に全てまとまっているので、ただでさえ狭い通訳ブースにおいて省スペースが可能になります。ですが僕はどうしても紙に手で書かないと単語も何も覚えられないタイプで、それこそ手間はかかるし嵩張るのですが、なかなかオール・デジタルには移行できそうにありません。

紙の上に自分のシャーペンで書いた時の筆圧とか、手が書いた時の感触を覚えている、といえば大袈裟でしょうか。単語を覚える時は一気に頭に詰め込んでしまえば良いように思われるのですが、少なくとも僕は一度、手を介して情報を処理する昔からの方法が効果的なように思います。

手書きの通訳単語帳。汚くて判読できないかもしれませんが・・・。

そういえば母校神戸市外国語大学の入学試験で、いつかの年に手で書くことの方がデジタル画面を見るだけよりも情報処理が深くできるという研究結果を紹介する長文読解問題が出題されていたのを思い出します。入試というのは大学側のメッセージとも言えますから、外大は手で書くことに価値を認めていると考えて差し支えないでしょう。

考えてみると手で書くというのは、PCで文字をパチパチ打つこととは根本的に違う作業のはずです。まずどこに指を向かわせるか。まずどこに線を引くか。次の字は何か。そこには意外にも多くの認知負荷がかかっていたのだと改めて実感します。

パチパチ打つときは「あ」も「い」も「う」も「え」も「お」も全て、キーボードを叩くだけですから、そこに手で書くほどの認知負荷は課されていないはずです。もちろん、認知負荷を免除されいるからこそ、話す時のように文章を打つことができるのかもしれません。むしろ、タイピングにかかる認知負荷が少ないことが原因で、書かれる文章も認知負荷の低い会話体の文章になってしまうのでしょうか?流石にそれは考えすぎかもしれません。

一方で手で書くことは、多くの集中力を必要とすることが分かります。その証拠に、人に話しかけられた時なんかは、元々書こうと思っていた文字でなく、耳に入ってきた文字を書いてしまっている・・・なんてことは私、しょっちゅうあるのですが皆さんはいかがでしょうか。私だけなのでしょうか。

何も受験生のように英単語を何回も紙に書いて丸暗記する要領で通訳準備をせよ、ということではもちろんありません。しかし紙に書いているとその情報に接する時間が結果的に長くなり、覚えることが多いことはあると思います。どこまで書くのか、というのは個人の問題なのですが、デジタル全盛期にあって、デジタルで情報を処理できることに感謝しつつも、少なくとも手で書くことの価値を忘れないでいたいなと。



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