平成は「運」で出来ていた

平成も残りわずか、、平成に生まれ、平成で生きてきた。
良いこともあったし、悪いこともあったけど胸を張って言えること
運だけは良い!!

平成7年に誕生

私が生まれたのは平成7年、1995年です。阪神淡路大震災、サリン事件など多くのニュースに包まれた年でした。幼少期のことを遡ると長くなるので割愛しますが、生まれた時、足が脱臼していて歩けるようになったのは皆よりだいぶ遅かった。歩けるようになったのは、神様が最初にくれた運だった。

夢は常に社長だった

物心ついた時から、抱いた夢は社長だった。なぜかは定かではないのでなぜ社長になりたかったの?ってよく取材で聞かれますがそれだけは答えられません!本当に生まれた時から社長になりたかった!!

夢が本格化したのは高校生の時

高校は、あまりにも個性的な人の集まりでした。一切クラスに馴染めず、学校にも馴染めず。一言も会話をしない日もありました。協調性がないにも関わらず、一人は嫌いなので本当に辛かった。修学旅行も体育祭も校外学習も参加したことはありません。そんな退屈な毎日を過ごす中で常に思っていたことはこの3年間無駄にしたらただの大人になってしまう!というのも通っていた高校は、自分を貫く人が多かったから!芸能で頑張っている人、音楽で頑張っている人、絵で頑張っている人。今考えると可能性に溢れた学校だったと思うけど10代の自分がそれに気づいたのは最近だけど、、、
どうしたら自分を貫けるかなと思った時、皆が夢に向かって頑張っていることに気づいた!芸能だって音楽だって夢のために高校生の時から頑張っている人が周りにたくさんいてそういえば社長になるのに年齢なんて関係ないよなということに気づいたのです!そこからは社長になるためにひたすら頑張った!

ほっともっとで100万を貯めることに成功

社長になるには100万を貯めよう!とのことでひたすらほっともっとでバイトをしました!時給850円という当時の最低賃金でひたすら働いた!欠勤も遅刻も一切したことがないし、今考えると休めよ!って思うけど39度の熱でもバイトに行きました。(これは休みますという勇気がなかっただけ)のり弁作ったり、からあげ揚げたり、玉ねぎスライスは切りすぎて今ではプロ並みに早く切れるし(笑)ここでも協調性がないのを発揮してたから2年間連絡先を交換したこともないし、友達もできたことない!ただ仕事だけはできたので嫌われてはなかったはず!!!1年半経ったころ貯金が100万に!100万が貯まったので、やめようとしていたところ働いていたほっともっとが閉店!

撮影会モデルに出会う

ほっともっとを辞める少し前、撮影会モデルという職業に出会いました。撮影してもらえて、お金ももらえるなんてラッキー!との思いでバイト感覚ではじめた撮影会でした。

【出演した撮影会】
・モデルメーカー撮影会
・プルクラ撮影会
・フレッシュ撮影会
・うずらフォト撮影会
・MGRA撮影会

今考えると色々な撮影会に出ていたなという感じですが、プルクラでの出会いがほとんどのカメラマンさんとの出会いかな。色々な撮影会に出演していたんですが、ポージングがうまいわけでもなく、どんどん予約は減るばかり、、今考えると撮りたいと思えるモデルじゃなかった!

株式会社TopPlanを設立

撮影会モデルをやりつつ、念願の100万円が貯まったので、会計士さんのところに駆け込みました!「会社をつくります!!!!!」
会計士さんは丁寧に私に質問してくれたのを覚えています。
①会社をつくって達成したいこと
②事業内容
③資本の問題
④今やる必要があるか

今考えるとあまりにも的を得たことを言ってるなという感じですが、当時はそもそも社長になるのが夢で事業内容???状態だったのでこの質問の意味が本当にわからなかった、、、笑
当時の私の答えはこんな感じだったと思います!
①社長になる!!!!
②モデルのなんかか、すごい発明をする!
③100万円あるよー!
④今やらないでいつやるの!!!

私が今失ってしまったもの「勢いと過剰な自信」だけは認めてあげたい!

高校が終わるとひたすら事業内容を考えるという日々が始まります。
事業内容という概念すらよくわからなかったので定款に書く事業内容を決めるという感じ。とりあえず将来やりたいことを全部定款に載せたので、将来を含めた定款用の事業内容をひたすら考えました。
モデルマネジメントやキャスティング、イベント運営などの無難なものから、なぜか保育園経営的なこと飲食店経営など今考えると適当だなとも思いますが、おそらく当時の私は将来保育園を経営したいと思っていて、飲食店を経営したいと思っていたことがわかります(笑)
定款の用意が終わると、役員報酬を決めるために会計士との話し合いが始まります。そもそも何をしようか?じゃないと役員報酬決められないねとのことで撮影会ならできそう!とひらめきます!!普通に撮影会を毎週開催した場合どのくらいのお金が自分に入るだろうと売上予測を作りました。一応簿記の検定は持っているので紙に売上予測を書いて、経費を引いて粗利はいくら位の計算はできたので、ひたすら会計事務所でA4の紙に売上予測を書きました。色々考えた結果役員報酬を20万に設定。今考えると役員報酬は最大3ヶ月間設定しなくて良いので、なんで会社も設立していないのに役員報酬を設定したのかも、20万円の根拠も覚えていません。。笑
そして念願の株式会社TopPlanを2013年の夏に設立しました!

社長になってからの1年間

念願の社長になった私!ここまでの内容を読んでもらえれば、なんとなくわかると思いますが、もちろん社長になったことに満足します!事業なんてやっていないし、そもそも会社=大きなことを成し遂げるという概念があったので、撮影会は事業とは思えなくなってしまったのです。高校を卒業して大学に進学して、気がつけば会社を設立して1年が経っていました。
会計士から「そろそろ決算なので打ち合わせをしましょう」と言われます。特に売上もないし、何も起こらないと思っていた決算ですが衝撃的なことが起こります!売上が0なのに税金を払わないといけないという事実を突き付けられます。。。会社は売上が無くても絶対に地方税というものを支払わなくていけません。TopPlanは東京都八王子市で登記しているので、東京都に2万円、八王子市に5万円。そして決算時に会計士に支払うお金が5万円弱。この1年間で貯めた資本金は底をつきていたし、1ヶ月後に12万円の支払い。絶望で本当に死ぬかと思いました。なんとか12万円の支払いはしましたが、このままではまずい!ということに気づき何か事業をしないと!という焦りが生まれます。

会社2期目に突入

事業事業事業事業、、、、、、
ひたすら自分には何ができるのかを自問自答しました。
本当に追い込まれていたので、早くお金を稼がないといけない。その一心でした。本当に本当に1,000円すら持っていなかったので必死でした。
大学生だったので、定期代は親にもらえていたのと、お弁当と水筒を持たせてもらっていたので、寄り道をしなければお金を使うこともありません。事業中にグミが食べたくても我慢したし、水筒のお茶がなくなって喉が渇いても我慢したし(書いてるだけで涙が出る、、、、)
ひたすらひたすら何ができるかを毎日考えていました。
そんな時、前にスカウトしてもらった事務所(TWIN PLANET)の人から連絡が来てご飯を食べに行くことになります。その人は私が社長になったのかを確かめたくて連絡してくれたみたいで(学生社長で売り出したかったみたい)その時の状況を説明しました。その人は撮影会やってみれば?撮影会モデルやっていたのよね?と提案してくれたのです。私の中で会社は大きいことを成し遂げるもので、1個のクライアントで1,000万円くらい取れる事業みたいなイメージだったので、え?撮影会でいいの?というのが当時の本音でした。そこからは結構モノゴトがうまく進んだかな。撮影会モデルの友達は何人かいたし、カメラマンさんも何人か仲が良い人がいたので、募集ページをアメブロで作って、月島で初めての撮影会を開催しました!モデルは自分を含めて3人、カメラマンさんは7人来てくれたかな。売上は78,000円、粗利は35,000円!あれ?なんか簡単じゃない?そう思ったのが本音だけど本当にお金がなかったので35,000円を手に入れて嬉しかった。その時のカメラマンさんは今でもTopPlan撮影会に来てくれるし、本当に感謝しかありません。
そこから撮影会を定期的に開催するようになります!

撮影会を開催するもどかしさ

撮影会を定期的に開催するようになり、自分の生活もできるようになります。モデルは多い時は所属50人にまで規模が拡大し、それに比例するかのように売上も上がってきましたが、撮影会って本当に会社がやること?この問題が自分の中で解決できないでいました。会社は大きなことを成し遂げるものという概念が変わったのは実はここ半年。どうしても撮影会を会社でやっていることに誇りを持つことができず、会社をやっていることを隠すようになった時もあります。このもどかしさがずっと続き撮影会は上り調子なのに自分の調子が下がる日々に耐えられなくなります。撮影会を2ヶ月に1度くらいのペースに変えて、ITの世界に飛び込もうという考えになり、インフルエンサーマーケティングの会社でインターンを始めます。

IT業界に入って人生が変わった

週2でインターン、週3で大学という日々に変わり、自分がどれだけ小さい世界で生きていたかを気づくことになります。それと同時に自分もインフルエンサーマーケティングで起業をしたいと思い、インターンの出来事は割愛しますが、インフルエンサーマーケティングを主軸としたRealiser社を2017年に創業。それまで不定期で開催していた撮影会を全て辞めて、インフルエンサーマーケティングにかけようと決意します。創業してからは見ている世界が180度変わりました。クライアントも今までは個人だったものが企業になり、綺麗なオフィスでの打ち合わせ、知らない言葉、会社のメンバーがたくさん出来て。全てが未知で全てが自信に繋がった。インフルエンサーのことで登壇してほしい、取材をしたいそんな依頼も来るようになって、資金調達も行い、IT最高\\\\٩( 'ω' )و ////こんな気持ちだったかな。自信を持って会社をやっていますと言えるようになったし、この世界に入っていなければ知れなかったことがたくさんありました。ただもどかしかった事もあって、インフルエンサーマーケティング会社は世の中に増える一方。自分にしか出来ない事業ではなくて、価格勝負になってしまったことが悔しかったし、自分がやる意味を常に考えていたけど、答えは出ませんでした。そんな時に久々に撮影会を開催したら、50枚のチケットが3秒ほどで完売したのです!
本当にびっくりしました。今までも完売は何度もありましたが、3秒ではけるというのは異例の事態!撮影会当日。カメラマンさんに言われたのはこんな言葉でした。
・待ってたよ!
・開催してくれてありがとう
・やっぱりTopPlanじゃなきゃダメだよ

そしてモデルも同時に私にこんな言葉をかけてくれました。
・他の撮影会も出てみたけどTopPlanじゃないと嫌だから辞めました
・やっぱりTopPlanはファミリーですね
何気なく皆言ってくれた言葉だとは思いますが、嬉しかった。自分が必要とされていること、自分の感性がこの結果に繋がったこと。そこから不定期ではありますが、撮影会を開催するようになります。毎回10秒でチケットは完売するそんなすごい撮影会が出来上がっていました!

自分の感性で仕事をしたい

その頃から私が常に思っていたこと、会社は大きなことを成し遂げるものという概念は変わりつつありました。Realiser社は私だけの資本で経営していたわけではないのでどうしてもイグジットが求められます。確かにIPOするのはすごいことだし、M&Aすることもすごい。ただ自分がそれをできる人間かと問いかけた時、私には不可能だと思いました。これが本音。
周りにはすごい人がたくさんいて、追いつきたくて勉強しても勉強してもどんどん世界は変わっていく。私が理解した時にはもう新しい何かが生まれていて。私にはそのスピードについていくことは不可能と判断しました。自分だけの何かを見つけられていれば、おそらく考えは変わっていたと思いますが、23歳の私は、あまりにも現実的主義になってしまい、可能か不可能かをやる前から判断するように変わっていました。イグジットも求められなくて、自分が本当に必要とされていることをやりたい。毎日自分の好きなことを考えて、自分の感性が仕事に活かせて、自分にしか出来ない仕事をしたいと強く思うようになり、TopPlanで一からスタートしようと決意します。

市場規模なんて関係ない

TopPlanでやり直すと決めてからの自分はすごく強かった。何も怖くなくなったし、毎日どうしようどうしようどうしようだった日々が、楽しい!早くやりたい!幸せ!最高!に変わりました。TopPlanは自分の資本が100%の会社なので、イグジットする必要もなければ、自分の思ったことが全てできます。一番最初に考えたことは撮影会の市場規模でしたが、そんなんことも今は考えなくなりました!私にとって市場規模なんて関係なくて、自分が楽しく仕事をするのが一番だからです。楽しければ人とお金はついてくる。本来私はこういう考えなのを忘れていました!TopPlanでは今やりたいことがたくさんあります。もちろん全て私の思いが詰まったものでニッチなことだったり、オタクビジネスだったり、私が一番力を発揮できること。今はその新規事業に向けて、事業計画を練ったり人に会ったり準備段階ですが、準備段階から楽しくてワクワクする感覚が久々なので、今の私は最強なはず!

令和の私は一味違う

平成も残り1日となりますが、平成に生まれ平成で生きてきて、ここまでのことを振り返ると私は運が良い人間だと思いました。全て運だけで乗り越えてきている人生のような気もします。大事な時に風邪をひいたり天気が悪かったりそういう運は全くないですが、人生の運だけは良い!

5月1日から令和がスタートします。初めての新元号。そしてTopPlanも新しく生まれ変わります。今までは撮影会事業を行なっていましたが、夏に向けて新規事業を仕込んでいます!今までは自分が現実的にできることをやろうと思っていましたが、もう現実主義はやめました!23歳はまだ夢を追いかけるべきだと思ったので、令和はオタクビジネスを確立させます。
令和の私は何のしがらみもない何でもできる23歳。強く生きれるそんな人間になりたい!自分のペースでオタク最強な世の中を作ります!

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