動的平衡からテクニウムへ。そして、Physis(ピュシス)に戻れ。
皆さん、こんにちは。久保家です。
久保家のリビングにはホワイトボードがありまして、毎朝、そこに夫が考えたことを描いて、朝ごはんを食べながら夫婦でディスカッションをしているのですが、その内容をコンテンツとしてまとめてみようというのが、今回の試みです。
うちの妻は生物学が好きでして、久保家の本棚には生物に関する本がたくさん並んでいます。福岡伸一先生の「動的平衡」だったり、「群れは意識をもつ」という気になるタイトルの本があったり、大型本や図鑑の類の本がところ狭しと並んでいます。その影響もありまして、夫も生物に興味を持つようになりました。一人で生活していたら、おそらく一生読まなかっただろうなと思いながら、不思議なご縁に感謝しております。
さて、本日のテーマは「動的平衡」です。妻の福岡真一先生の「動的平衡」を読みながら、そのモデルの素晴らしさに感動し、思わず「ブラボー!」と叫びたくなったお話をします(笑)←(のだめカンタービレ見過ぎ)
○動的平衡のモデルが素晴らしい
動的平衡(Dynamic Equilibrium)とは、元々は物理学・化学の言葉ですが、ミクロに見ると常に変化しているが、マクロに見ると変化しない状態のことを言います。逆向きの過程が同じ速度で進行しているので、全体としては時間変化せずに平衡しているわけですね。例えば、お鍋の蓋を完璧に閉めて水を沸騰させると、水の蒸発速度と水蒸気の凝縮速度が同じになり、動的平衡になるわけです。
ホワイトボードを見てください。福岡先生の動的平衡のモデルを見ながらご説明します。
このモデルでは、円形の何かが坂を駆け昇っていますね。この坂が宇宙で、円形の部分が生命になります。「エントロピー」という言葉がありますね。荒廃、カオス、無秩序を表す言葉です。エントロピーは、宇宙のあらゆる場所で例外のない唯一の物理法則です。宇宙にあるすべての物は、坂を滑り落ちて、熱平衡と最大エントロピーという究極の均等さに向かっていきます。この図では、坂を下る方向にエントロピーが働いています。
そのエントロピーの坂を、円形の生命が必死で駆け上っていますね。それでは、どうやって上る力が発生するのでしょうか。ここが動的平衡の重要なポイントです。動的平衡のモデルでは、壊すこと(分解)と作ること(生成)が同時に起きているんですけれども、両者は同じ量だけ起きているわけではないのです。
常に壊すことの方が少しだけ多く起きています。その壊すということによって生じる「不安定さ」を利用して、作ることが行われているんです。これが「先回り」という分解です。これは分解が時間的に先に行われているということではなくて、合成することを予定しながら、常により多く分解しているということなのです。分解することを少しだけ多くやらないと、常にエントロピーを捨て続けることはできないのです。同じだけ合成し、同じだけ分解していると、エントロピー増大の法則に追い越されてしまうのです。
このモデルによりますと、常に分解のほうが少しだけ多いので、自分自身を少しずつ少しずつ消費していくわけですね。つまり、自分自身を少しずつ壊してしまっているということなんです。それゆえに生命に有限さがあるわけです。なるほど、これが「生きる」ということなのかと、夫はビビビッときたわけです。思わず、ちょんまげかぶって、「あっぱれじゃ!」と叫びたくなりました(笑)(←時代劇見過ぎ)
○すべてが情報になる。生命の本質は秩序を形成すること。
このエントロピーの坂を駆け上がるモデルを見ますと、生命の本質はエントロピーに対する逆の流れ、つまり秩序を形成することにあるといえます。
しかし、生命というものは有限です。寿命というものが時間的に限定されていますので、もっと下に降りていくと、常に壊すことを一生懸命やっているがゆえに、自分自身が最終的に壊れてしまいます。でも、壊すこと、分解するという行為は、新しいものに引き継ぐことができまして、それが次の世代を見出し、細胞分裂をすることでバトンを常に手渡しているというわけです。つまり、生命の「伝家の宝刀」は「継承」です。
この生命のお話を「遺伝子」から「情報」に置き換えると、「テクニウム」のお話で登場した「エクソトロピー」になります。エクソトロピーは、波動でも粒子でもなく、純粋なエネルギーでも超自然の奇跡でもなく、「情報」によく似た非物質の流れです。
ホワイトボードの右の図を見てください。この数十億年にわたるエクソトロピーは、安定した分子、太陽系、惑星の大気、生命、知性、そしてテクニウムへと増加していきます。それは秩序を持った「情報」の積み重ねとして表現できます。
最近のテクノロジーの動向は「非物質化」であり、硬くて重いアトムの世界から、手に触れられないデザイン、柔軟性、イノベーション、スマートさへの転換が進んでいます。この流れこそ、生命の本質であり、銀河、惑星、生命、知性を存在させることになったのと同じ、「自己組織化」という起源を持っているからなのです。
○ロゴス 対 ピュシス
さて、「すべてが情報になる」は夫の好きな言葉なのですが、これには「時間が直線的に流れる」という西洋哲学の世界観が前提条件になっています。東洋哲学では、「時間」に関する概念が異なりますので、そこが噛み合わないと話が平行線を辿る恐れがあります。
福岡先生が西田哲学を研究されている池田善昭さんと「ロゴス対ピュシス」のテーマで対談をされておりまして、これがまたおもしろいのでご紹介したいと思います。
例えば、年輪を調べると、17世紀がどういう気候で太陽の黒点の活動がどうであったかというのがわかります。年輪が時間を刻んでいる、つまり、これまでの時間を包み込んでいるわけですね。そして年輪を詳しく調べると、これから自然がどういうふうに動いて行くかという先々のことが予言できるというわけです。
通常は、時間というものに環境(空間)が限定されるわけですけど、年輪は環境(空間)が時間を限定しているわけですね。逆になっているわけです。全体の中に包まれながら全体を包んでいる。「包まれつつ包む」関係になっているわけです。
ライプニッツの「モナド」も同じような考えでして、小さなモナドという、本当に小さな小さなモナドの中に全宇宙が包まれている。これを「鏡のように」と言いまして、例えば、丸い鏡であれば四方八方を映すわけです。そういう小さな物の中に、宇宙のような巨大なもの、全体が映っている。「包まれながら包んでいる」わけです。
西洋哲学的な時間の考え方は、「利己的遺伝子」ということを言ったリチャード・ドーキンスさんの本『虹の解体』で如実に現われています。それは、懐中電灯みたいなもので、過去と現在と未来をずっと照らし出している、その光の点が時間の流れと考える。「点の集合として、時間がずっとある線上を動いているのが、我々の時間である」という考えで、これがロゴス的な時間の考え方であり、西洋哲学の時間の考え方です。
ところが、西田哲学の時間も、生命が行っている時間もまた違うと福岡先生は言います。
生命における時間というものは、点じゃなくて、厚みというかボリュームの大きさがある
んです。そしてそこにはすでに過去も含まれているし、未来のこれから行われるべきこと
が現在の時点に含まれている。つまり「次の合成を行うために、現在が分解されていると
いうことがすでに予定されている」という意味で、これを「先回り」というふうに私は呼
んでいます。つまり時間というのは空間的な広がりがあって、それが続いているから我々
は、常にこう円環的に進んでいけるわけですね。
時間というのは、時のモデルです。西洋的な時間で考えるか、東洋的な時間で考えるかで世界のとらえかたが変わってきます。西洋哲学の世界観から見れば、東洋哲学はトートロジーに見えますし、東洋哲学の世界観で見れば、西洋哲学は限定的に見えるわけです。アインシュタインとベルクソンの話が噛み合わなかったも、根本として時間の概念が異なっていたからなのです。
自然(ピュシス)の中にもロゴスがあるし、人間が世界をとらえているロゴスの中にもロゴスがある。でも、ピュシスのロゴスは隠れてしまうわけです。まさにヘラクレイトスの「自然は隠れることを好む」です。
西洋哲学が行き詰まってしまって、「脱近代」が盛んに言われていますが、未だに近代の枠組みから新しい時代が生まれてこない。そこで、ピュシスに戻りましょうと言うわけです。
いま、AI自身が人間を凌駕した存在になってしまうという、シンギュラリティがくると騒がれていますね。時間を直線的に考えて、その点と点を結びながら、そこにある種のロジックを作ってアルゴリズムを進めていく、そういうロゴス的なことはAIの得意分野です。必ず人間を凌駕していくので、将棋とか囲碁では負けてしまう。
でも、人間の生命のピュシス的なあり方というのは、いまのコンピュータのアーキテクチャでは実現できないわけです。なぜなら、ピュシスには絶対矛盾的な相反することが同時に起こるということが含まれているからです。もしかしたら、新しいコンピュータのアーキテクチャのカタチが、生物学の世界から出てくるかもしれないですね。
いかがだったでしょうか。皆さん(妻)はどう思われますか。
○本日のおすすめ本
福岡伸一、西田哲学を読む――生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一
池田善昭 (著), 福岡伸一 (著)
単行本: 356ページ
出版社: 明石書店 (2017/7/7)
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