無題

てくてくてっく ~のんびり ゆっくり 生きるために~

皆さん、こんにちは。久保家です。

久保家のリビングにはホワイトボードがありまして、毎朝、そこに夫が考えたことを描いて、朝ごはんを食べながら夫婦でディスカッションをしているのですが、その内容をコンテンツとしてまとめてみようというのが、今回の試みです。

本日のテーマは「てくてくてっく ~のんびり ゆっくり 生きるために~」です。先日、関係人口のお話を書きましたら、皆さまから様々なフィードバックを頂きました。ご意見ありがとうございます。空間や時間にとらわれないインターネットの良さを改めて実感しました。

○地方のしがらみ

さて、本日のお話は都市と地方に関することです。夫は地方出身なので、幼い頃から、地方には「しがらみ」というものがあるのだと聞いて育ちました。「しがらみ」と聞くと、なにやらしつこく纏わりつくようなマイナスイメージが湧きます。ところが、最近では地方創生が叫ばれ、地方に行けば「つながり」があると言うのです。同じような意味なのに、なにやらグッときます。日本語って、おもしろいですね。

興味を持って「しがらみ」について調べてみたら、かなり古い言葉で万葉集にも出てくるそうです。「明日香川 しがらみ渡し 塞かませば 流るる水も のどにかあらまし」歌意は、「明日香川に、しがらみをかけ渡してせき止めていたら、流れる水もゆったりとしていたであろう」らしいです。あれ? 随分と素敵な感じに聞こえますね(笑)

「都市の空気は自由にする(ドイツ語: Stadtluft macht frei)」という諺があります。封建社会の時代に、自由の認められていなかった農奴や奴隷身分の人が、都市に移り住めば、自由民となることができたことから生まれた言葉です。日本でも、地方にいると何かネチネチしたしがらみで身動きが取れなくなりそうなので、自由を求めて都会に出るのが自然な流れではないかと思います。

都市の空気は自由にする

作家の堺屋太一さんのお話で面白かったのは、日本では都市は住む場所で、地方は働く場所だと言うのですね。逆じゃないかと思うのですけど、日本の昔話を読むと、地方で悪者を退治して、英雄になって、きれいなお嫁さんをもらって、街で仲良く暮らしましたとさ、めでたしめでたし、となるらしいのです(笑)街へ向かうのが、日本では、自然な流れと言うのです。これがドイツの昔話だと、森から賢者が出てきて、街で悪者を退治して、また森に戻っていく。流れる方向が逆なのですね。

日本では、街へ向かうのが自然の流れ。

○都市がカオスになり過ぎた

先日、朝の勉強会で奥さんと話をしていましたら、自然のままにしておくと、カオスになって「のっぺら坊」になる話はよくわかる、と褒めてもらいました。久保家は、褒めて伸ばす方針と叱って正す方針のハイブリッド方式です(笑)

都市へ向かうのが自然の流れとしたら、なぜ若い人が逆の流れで地方に向かうのか?夫は「都市がカオスになり過ぎた」からではないかという仮説を立てました。

都会がカオスになり過ぎた。

地方のしがらみが嫌になって都市に出てきたけど、都市にいても「じぶん」という存在がわからないほどカオスな状態になっている。なんとか自分のアイデンティティを確立しようと頑張るが、競争社会になっていて差別化するのは難しい。右へならえで育ったオッサン・オバさんは現状維持で逃げ切れるかもしれないけど、小さい頃から「これからは多様性」と言われて育ってきた自分たちは違う。でも、テクノロジーを駆使すればするほど、ほかの人との差異がわからなくなる。みんな「のっぺら坊」に見えてくる。じぶん
には、存在価値がないのか?

ところが、地方に行くと小さなことでも話題になります。趣味のブログも、限界集落にいけば、街に一人の有名ブロガーになります。Skypeで街にいる孫にテレビ電話をつなげてあげたら、おじいさんやおばあさんが本当に嬉しそうに喜んでくれます。じぶんには、存在価値があると実感できる。アイデンティティが生まれ、エネルギーが湧いてくる。実際に、都会から地方に移った若い人達を見ていると、総じて元気です。

自然の秩序のある世界に触れたり、リアルな人間関係のつながりを深めることで、ポテンシャルエネルギーが高まるという仮説が成り立ちそうです。

地方に行けば、ポテンシャルエネルギーが高まる。

○地方が苦手とすること

一方で、地方が苦手としていることがあります。それは、「エネルギーの開放」です。若い人が来てくれるのは嬉しいのだけど、ワイワイ騒がれたり、何かよくわからないことを始められたり、人に迷惑をかけるような行動をされては困るというのです。

地方が苦手とすること → エネルギーの解放

夫も鯖江市の「ゆるい移住」に参加したときに、この問題に直面しました。「オープン団地」という、市営団地の一室を開放して移住者と住民が関わる場をつくりました。地元の有力者や市役所の人、起業家、まちづくりの達人等、多種多様なヒトが集まって、率直な意見をやり取りするイノベーティブな場でした。

鯖江市役所がバックで支えてくれていたときは良かったのですが、移住者だけになったときに、地域社会との間に軋轢のようなものが生まれました。騒がれたりするのは困るとなったわけですね。鯖江のような寛容でゆるい街でも、エネルギーの開放は難しいのです。表向きは、「実証実験の街」として好きなようにやっているように見えるかもしれませんが、その背景には、鯖江市役所の人の多大なる努力と苦労があるのです。

せっかく、地方に行ってポテンシャルエネルギーが高まったのに、そのエネルギーを開放する自由な場がない。この矛盾を解決することが、地方の課題になると思います。

ポテンシャルエネルギーが高まったのに、そのエネルギーを開放する自由な場がない。

○てくてくてっく ~のんびり ゆっくり 生きるために~

夫は、その課題をテクノロジーの観点から解決できないか考えてみました。
それが、「てくてくてっく」という3つのテクノロジーです。

1つ目のテクノロジーは、「ローカルテック」です。田舎に行くと、テクノロジーに関することは、若者に任せるという暗黙のルールがあります。ノートパソコンでも開いて、のんびりお茶でもしておいてください(笑)そしたら、世話好きな人が声をかけてきます。「どのPC買ったらええのん?」「ネットにつながらなくなって困っとる」「鳥獣対策をITで解決できへん?」もし、来なければ、もっと奥地に行けばいい(笑)必ず、テクノロジーを必要としている人に出会えます。あとは、地域に貢献するためにテクノロジーを使えばいい。これが「ローカルテック」です。

地域に貢献するために、テクノロジーを使う。

2つ目のテクノロジーは、「スローテック」です。これは必要最低限のテクノロジーしか身につけないということです。テクノロジーが複雑になりすぎて、それを使いこなすのに必要な能力が人間の限界を超えています。テクノロジーを控えれば控えるほど、じぶんのアイデンティティが見えてきます。自然の秩序のある世界に触れたり、リアルな人間関係のつながりを深めることで、ポテンシャルエネルギーが高まってきます

必要最低限のテクノロジーしか身に着けない。

3つ目はテクノロジーは、「フリーテック」です。こちらはカオスの海から自由になるために、テクノロジーを使うということです。高まったポテンシャルエネルギーを活かし、地方で経験したことをデジタル化して、インターネットに開放してください。そこで経験したことはインターネット上のどこにもデータとして存在しません。

インターネットは自由です。インターネットは、これから作られるものであり、あなたの経験は、そのために必要なデータになります。別に、誰かの役に経つような有益な情報じゃなくていいんです。そんな目的合理的な情報なら、人工知能のほうが上手に組み立てるようになると思いませんか?

楽しかったとか、嬉しかったとか、これが好きという他愛もない言葉のほうが、これからの時代には大切になると思います。いまはまだカタチになっていませんが、将来的には、それらの情報が自己組織化されて秩序を形成することにつながると思うのです。一番いけないのは、何も感じない「のっぺら坊」になって、カオスの海にのみ込まれてしまうことです。

カオスの海から自由になるために、テクノロジーを使う。

いかがだったでしょうか。皆さん(妻)はどう思われますか。

○おすすめ本

もっと自由に生きるための「禅」入門 (知的生きかた文庫)
ひろ さちや (著)
文庫: 272ページ
出版社: 三笠書房 (2010/4/20)


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