フィニッシュテープを切る時

人生をマラソンのようなものだ。こんな言葉がある。
小学生のころマラソン大会があった。みんなもあっただろう。多分。結果でいうと僕は転んで真ん中以下でゴールする。苦くて、でもいい経験になった小学校最後のマラソン大会の思い出を今日は書いていく。運動は野球を本格的に始めた三年生の時から徐々に自身を持つようになった。何とか記憶にあるのは小学校六年の時のマラソン大会である。僕の小学校では5、6年の男子で一斉に走る。一番早いやつは走る前から大体決まっていて、6年で2位を目標に頑張った。野球を始めていない小学校一年の時は17位。30人ほどしかいないクラスの真ん中。もともと運動は苦手というか嫌い。そんな意識を持っていた。兄が野球で活躍をして両親に褒められているのをいつも同じ食卓で聞いていた。それでも野球に興味は湧かなかった。でも僕はちょっとしたことで野球を始めることになる。この話はまた別の話で書こう。
 さて、マラソン大会に戻るとする。出走の合図を聞き生徒が勢いよく校門を出ていく。どっちかというと僕は最初からペースを上げて走った方が早く走れるタイプであることを知っていた。小学生の時から自分について研究をするのが好きだった。一種のナルシストといってもいいだろう。自分が先行するタイプだと思っていたので序盤からいい位置にいることを意識していた。余力を残し校門前の最後の直線に入った。このとき後ろに二人の足音が聞こえていた。余力があるとちゃんとわかっていたことからある程度近づかれても負けない自信があった。抜かせると思われたところで加速し、突き放す。これが一番効くと分かっていた。しかし、ほぼ並ばれたときにはもう遅かった。ラストスパートをかけてきた一人と足がかかって転んだ。僕だけが転んだ。
 人生はマラソンのようなものだというのは、一生を長いものとして見て、ゴールを目指して一歩ずつ前に進んでいく様子をマラソンに例えた有名な言葉だ。このときのゴールというのは「やりたいことをやって、いい人生だった。」と笑って死ぬことだが、これだと僕はラストスパートで転ぶ。転んだ場合はどんなことが起こるのだろうか、ゴールできなかったらどんな死に方をするのか。いやだ。まだ死ねない。死なない。

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