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ダブルバインドに疲れ果て。(毒母と友達の間で揺れる私)その1

 妙子(仮名)ちゃんの話をしようと思う。彼女のことを思う度、胸の奥がちくっと痛み、もう二度と会えない可能性の方が高いのに、
「あの時は、本当にごめんね」
 とあやまりたい気持ちがつのる。
 妙子ちゃんは、小学校の同級生。3年から6年まで同じクラスだった。3月生まれだったので、ちょっと幼い雰囲気でツインテールがトレードマークのかわいい女の子。
 どういう理由かは全くわからないけれど、妙子ちゃんは私のことをとても好いてくれていた。
 時にあまりに独占欲が強く、私が他の子と仲良くすると泣いちゃったり、拗ねちゃったりして、びっくりすることもあったけれど、5年生からは同じ男子を好きになったりして、毎日楽しく過ごしていた。
 いつからそうなったのかは定かではないけれど、気づいたら母は、妙子ちゃんのことを毛嫌いするようになっていた。
 夕食も済んだ午後8時頃、家の電話のベルが鳴る。
「九葉谷でございます」
 母が出る。
「・・・・はい、少々お待ちください」
 あ、妙子ちゃんからだ。母の声色でわかる。
 まず、ものすごく冷たいトーン。10歳かそこらの相手に、慇懃な物言い。つまり、突き放しているのだ。
 そして、もう怒っている。
「原島さん!!」
 やっぱりね。妙子ちゃんの苗字を吐き捨てるように言って、台所仕事へと戻っていく。
 私は、毎度母のこの冷酷な言い方に妙子ちゃんが傷ついていないか、はらはらしながら、受話器を手にする。
 妙子ちゃんは。
 いつもと同じ明るい調子で、
「明日遠足のお菓子一緒に買いに行ける?」
 などと他愛のない用件を口にする。
「良かった」
 傷ついていない。私は、無言で胸を撫でおろす。
 そして心の中で、
「お母さんがひどい言い方して、ごめんね」
 と手を合わせるのだ。
 母が妙子ちゃんを嫌いな理由。それは、ご両親が離婚したから。その時期は、私も詳しくは知らない。
 なぜなら妙子ちゃんは、最初そのことをひた隠しにしていたから。おそらく小学4年の終わり頃だったのではないだろうか。 
 ある日、妙子ちゃんが引っ越したと言う。電車で一駅離れた場所で、転校はしなかったので毎日の通学には電車を使うしかないけれど、究極は歩けるし、自転車なら3~40分ほど離れていただけだった。
 理由を知られたくない妙子ちゃんは、
「お母さんの仕事に便利だから」
 とか、別の理由を口にしていたと思う。
   1,2度遊びに行ったことがあるけれどおばあちゃんがいたので、別れた後に母方の実家に戻ったのだろう。
 クラスには、他にも同じ境遇の女子がいた。彼女は、苗字が変わったりもして、全くオープンにしていたけれど、私たちはなんとなく妙子ちゃんも同じ理由なんだろうとは思っていたけれど、本人が言わないので、あえて尋ねることはしなかった。
 そのことは、日々の関係になんら影響を及ぼすものではなかったから。

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