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教師の心の表と裏(見せつけられた娘の私)その11

 写真を撮りたい気持ちは山々だけれど、背に腹は代えられないので、ママ友に事情を話して代わりに撮ってもらうよう頼んだ。
 まだ携帯電話の写真機能が熟していない時代、気の良いママ友は何枚も湊の写真をデジカメで撮り、紙で渡してくれた。
 データのやり取りも普及していない頃だったのだと思う。
 湊は。
 恨みつらみを一切言わなかった。
 私は翼の事情を説明して最初に謝ったし、その撮影会の様子を帰宅後に色々聞いて、思いを共有したからだと思う。
 おそらく湊はこの日のことをまったく覚えていないはず。
 私だけが何年かに一度コスプレがとてもかわいい幼い湊の写真を見る度、胸がうずく。私自身が撮ってあげられなかった後悔と共に。


 また、
「こんな大切な時にインフルエンザになんてかかりやがって!!」
 と翼のことを逆恨みすることもない。
 そんなことはしかたのないことで、翼にはまったく罪はないのだから。
 母はこの手の逆恨みを平気で私にぶつけてくるから、わたしはいつまでもその痛みを忘れられないわけなのだ。今でも。
 竹山くんの話に戻そう。
 気づくと母は家で、
「竹山が、竹山が!!」
 とよく彼の話をするようになっていた。呼び捨てだ。
 もちろん問題児としての悪口。同業者である夫(私にとっては父)に報告しているのを、私が小耳に挟んだ、と言うレベルではない。また、父はそういう話を親身に聞くタイプではなかったので、ただ誰に言うともなくうっぷんをぶちまけていただけだと思う。
 それをまともに受けていたのは、いつも私。母も、無意識に私に聞かせようとしていたのだと思う。
 よくもまぁ、生徒の悪口を家に持ち帰り、自分の子どもにぶつけていたものだ。
 私が、姿かたちはまったくわからない12~13歳の男子のことを良く思わなくなるのも、時間の問題だった。
 つまり、こういうことだ。
「あんたのお母さんを学校でさんざん苦しめている竹山って男子生徒を、あんたも嫌いになりなさい」
 そして、
「こんなに苦労してる私ってかわいそうでしょ。労って」
 ということなのだ。

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