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「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その15

 また、逆の例も目撃したことがある。何度も書いている保育ママの島谷家でのこと。
 私が小学2年になった頃、突然祖父母が同居することになった。事情は、知らない。保育ママの島谷さんにとっては義理、つまりご主人の両親だった。
 島谷家の息子2人は、珍しさも手伝って、
「おばあちゃん、おばあちゃん」
 と何かにつけて話しかけ、なついていた。
 祖母というものは、年を重ね会話も動きもゆっくりになり、そのペースが子どもたちにとってちょうど良かったりするものだ。ましてや後からやってきたそのおばあさんは、遠慮や感謝のせいで、よりやさしく接していたのだと思う。


 島谷さんは、それが面白くない。
 ある時、
「そんなにおばあちゃんが良いなら、おばあちゃんちの子になりなさい!!」
 と次男の誠二に言っていた。
 流しで洗い物をしていた時に、誠二が島谷さんに寄って行き、
「おばあちゃんが、○○○って言ってた」
 というようなことを口にしたからだと思う。
 言われた誠二は、見るからにしゅんとしてしまった。
 横目で見ていた私は、
「それを言っちゃおしまいよ」
 と思い、島谷さんの子どもじみた嫉妬心を笑っていた。
 私でさえ、あのなつき方は一時的なものであるのに、どうして島谷さんは判らないのだろう、とも思っていた。嫁姑問題も絡んでいるのだろう、とも思っていた。
 なぜなら。
 母の実家でも、似たような状況が起こっていたからだ。
 母方の祖父母は、当時は当たり前だった長男夫婦と同居していた。ところが、島谷家と同じ時期に、次男の家に転居したのだ。
 母の話では長男の嫁がひどくて、追いだされたということだった。真実は、わからない。
 このような話を、私に聞こえるような場所で平気でするので、私はそうとうな耳年増になっていた。


 

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