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てのひらの50円玉(突き返せた憐れみのコイン)その1

 とにかく専業主婦がスタンダードな時代、母が働いていることで周囲から憐れまれるのが、嫌で嫌でたまらなかった。
「かわいそう」 
 と言われ、それを認めてしまったら、ぎりぎりのところで立っている自分がポキっと折れてしまいそうで。
 なんとかそういう状況にならないよう回避する工夫をすることもあったけれど、まだ小さいうちは無理。そのようなスキルも持ち合わせていないので、どうしても憐れみの視線にさらされることになる。
 家から2,3分の所にお寺があって保育園を経営していた。保育園は、今は入るのが大変だけれど、当時は多分幼稚園の感覚で入園させていた家庭も多かったのではないかと思う。
 なぜなら、何かイベントごとがあると、ふつうにお母さんが来ていたから。働いていると言っても、お店などを手伝っていたりして、時間の融通が利いたのかもしれない。私も年少クラスから、そこに通っていた。
 行事と言えばお寺だけに「甘茶まつり」や「お会式」と言った仏教にまつわるものも多かった。ある年のお会式の時のこと。園児は、みんな着物を着て、近所を練り歩くことになっていた。
 着替えの補助は、親の担当。ほとんどの家庭は、時間をやりくりしたのかお母さんが来ていた。
 我が家は。
 中学教師の母は、当然仕事を休めない。どうしたかと言うと、隣に住む一人暮らしのおばあさんに、その役を託したのだ。そのおばあさんは、私たちきょうだいをとてもかわいがってくれていたけれど、親戚でもないのに、よく来てくれたと思う。
 それでも、私は。
 寂しかった。自分だけ母が来ていない。身支度をする場所は広い所が良いと思ったのか、週に一度月曜日の朝礼の時に行くのさえ怖かったお寺の本堂の薄暗い一隅。しんしんと冷えて、ただでさえ気持ちが沈んでいるのに、このどよ~んとした雰囲気は、私の悲しみに輪をかけてきた。
 みんなお母さんと楽しそうに着替えている。おばあさんは、いつも着物を着ていたので、着付けなど手慣れたもの。きつく縛らなければいけないポイントも心得ていて、時折りぎゅっと締めつけてくる。
「痛い」
 と言いたいけれど、悪くて言えない。
 多分呼吸も苦しいくらいの状況だったと思う。それでも言えないのは、「大人の機嫌を悪くしてはいけない」ということを、すでに学んでしまっていたのだろう。
 それはもちろん、母にいつも気を使っていたせいに他ならない。
 その日は、ずっと寂しくて涙をこらえていたから、その他のことは、お土産に助六寿司の折詰をもらったこと以外覚えていない。
  母親が来られず、血縁でもないおばあさんが来ている私は、先生たち、周囲のお母さんたちに相当憐れまれていたに違いない。                どうしようもない時、子供の心を暗くしないよう心を砕くのが、最優先だと私は思う。                                              たとえば。
  私の次男が幼稚園の時。学芸会直前に、衣装をつけての撮影会があった。当日の朝、長男が突如インフルエンザになって行けなくなったことがある。
 けれども、急遽ママ友に頼んで撮影してもらった。
 行けなかったことを次男に、                     「ごめんね」
 と謝まり、後日写真を2人で見て、ポーズを決めている一枚を、
「かっこい~」
 と思いきり褒めたりした。
 だから次男は、その日のことを嫌な思い出として記憶していないし、おそらく忘れているだろう。 
 それで良いのだけれど、そのように事を運ぶことがそんなに難しいこと? 私にとっては、とても自然で簡単なことだったのだけれど。
 このできごとを母だったらどうするか、想像してみる。
 まずこの日に限ってインフルエンザになった長男を責めるだろう。2人のきょうだいを同じように愛せないので、おそらく自由奔放な長男の方をふだんから疎ましく思うはずで、そうすると、
「あんたは、いつも肝心な時にわずらわせるんだから!」
 というような嫌味も忘れないだろう。
 さんざん罵る姿を次男に見せるものだから、彼は自分のせいで、しかも病気なのに怒られる長男に対して申し訳ない気持ちを持ってしまう。
 写真撮影を代わりに頼めるママ友などいない。他に方法も思いつかないものだから、その日の写真は、なし。そうしていつまで経っても、
「あ~あ、あの日インフルエンザにかかったから、写真がないのよ」
 とことあるごとに言うのである。この流れで、全員が暗い気分になり、誰もが罪悪感を覚えてしまう。
 お会式の時だって、きっと同じ対処のしかたをしていたから、いつまで経っても、もう50年以上前のことなのに、今でもフラッシュバックしてくる嫌な思い出として残っているわけなのだ。
「あの時学年主任の〇〇先生が、早退させてくれなかったから」
「本当は休めたのに、晴信(弟)のために有給使っちゃったので、休めなくて」
「お父さんが行ってくれれば良かったけど、保育園の行事なんか行くの嫌だって言いだして」
 思いつくのは、どれもネガティブな言葉ばかり。
 それ、すべて私に関係ない。
 実際、私の中学の入学式には、自分が中一の担任になってしまったために、勤務先の入学式を優先せざるを得なかった。とりあえず朝は、私の方に来てくれたけれど、式の始まる前に急いで退出、自分の学校に向かって行った。その時は、
「昨年度から何回も何回も、娘が中学に上がるから、このサイクルでの担任ははずしてくれって言ってたのに、聞き入れないで、〇〇先生の奴!」
 と言っていた。そうじゃないだろう。そんなことは、どうでも良いのだ。
「行かれなくて、ごめんね」
 そしてギューッと、抱きしめてくれれば、それで済んだこと。
 無理。
 母は一度も、ただの一度も抱きしめてくれたことはないから。

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