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ピアノだけに狂騒曲(ほとんど恐怖のレッスン日と発表会) その1

 母は、「欲しい」と言った物は、理由も説明せずに買い与えてはくれなかった。例えば、それまで乗っていた自転車が小さくなったので、流行りのミニサイクルを買ってくれ、と頼んだ時は、頑として買ってくれなかったので、毎日泣いて訴えたのを覚えている。そうして、漸く買ってくれても、
「こんな物欲しがって、イヤな子ね!」
 みたいなことを言ってくるので、こちらも喜ぶ気持ちが失せる。
 箱入りのクリネックスティッシュが出始めの頃も、友達の家で見て便利だなと思ったので頼んだら、
「そんなもの必要ない!」
 と拒否。今は。
「安かったから」
 と沢山買い置きしている。おそらく、私が言い出すから気に入らないのだろう。溺愛している弟からのリクエストだったら、買ったのかもしれない。
 そのくせ。
 頼んでもいないのに、年不相応の物を突如買い与えてくる。机が良い例。3歳くらいの時に、すでに家にあった。とてもシンプルな木製のもので、でも小学校入学時にはちょうどキャラクターがついていたりする新しいタイプの学習机が売り出された。
 私は、そういうのが欲しかったけれど、絶対に買ってくれはしないだろうと端から諦め、その何の変哲もない木の机を好きになろうと努力した。
 小学校入学前に、こんな諦めの気持ちを持っていたことに、今さらながら驚く。
 それから、ピアノ。
 すでにオルガンが家にあって、保育園時代にはアフタースクールの習い事としてレッスンを受けていた。オルガンの音色が好きだったので、自主的に練習をしていた記憶がある。オルガンの先生には、
「稀沙ちゃんは、まだ習っていない曲を弾いちゃうのが好きね」
 と言われていたので、先に先にと勝手に弾いていたのだろう。オルガンが置いてある部屋は居間のような所で、思い立った時蓋を開けて気ままに弾いていた。
 それを見ていた母は、何を思ったのかピアノを買ったのである。
 小学校入学と同時に住み込みのお手伝いがいなくなり、部屋が一つ空いた。そこは元から父の本が大量にあって、そんなに広くはなかったが無理をしてスペースを作り設置した。居間に置くには、ピアノは大きすぎた。
 その部屋は。
 寒かった。南向きの窓は、本棚でふさがれ日光が入ってこないし、残る窓は東向きなので、夏でもひんやりとしていた。
 だから、練習のためにその部屋に行くのは、とても苦痛だった。もとよりオルガンが好きだった私は、どうにもピアノに馴染めなかった。
 母に勝手に申し込まれたピアノレッスン。日曜日の午前中に、家から15分ほど歩いた所まで通っていた。オルガンと違い、指使いなどたくさんの厳しいルールがあって、全然楽しくない。
 手の中にテニスボールを一つ入れたような感じで、とか指の腹の部分で弾けとか、色々言われ、レッスンの最中でもそれらができていないと、途中で止められたりとした。唯一の楽しい日曜日が、地獄になってしまった。
 それだけなら、まだしも。
 母が家の事情を言ったのだろう、先生の家が私のことを憐れんで、一日預かってくれると言い出した。その頃は、学校が終わったら母が迎えに来るまで保育ママの家に預かられていた。だからこそ、何の束縛も受けない日曜日は自由にできる貴重な一日でもあったわけで。
「水曜日に、ピアノの先生んとこに行きなさい。先生の妹さんが遊んでくれるってよ」  
 命令。頼んでもいないのに、勝手に決めてくるのは、毒親が得意とすること。
 ピアノの先生は、20代半ばだったと思うけれど、平日は図書館の司書をしていて留守。私とは初対面の妹さんとボードゲームのようなことをして遊ぶことになった。20歳くらいだったのか、短大を卒業して家事手伝いだったのかもしれない。働いてはいないようだった。
 私は、「指先から憐れみ光線を出す人たち」にも書いたように、人からかけられる憐れみに極端に嫌悪感を感じてしまい、そのような視線を向けられるだけで心を閉じてしまう。
 だから、ニコリともせずにゲームのコマを動かす私に妹さんも面食らっただろう。あどけなく天真爛漫な女の子がやって来て、ゲームを一緒に楽しむという予定は崩れ、気まずい雰囲気がずっと流れる。
 こたつに入って遊んでいたけれど、先生のお母さんも同席していた。お母さんも、どうして良いか戸惑っているようだった。とにかく早く帰りたかった。帰る、と言ってもどちらにしても人の家、保育ママの家ではあったけれど、こんなに手厚く憐れまれるのはどうにもこうにも耐えられなかった。
 この企画は長くは続かなかった、と記憶している。私が、嫌だと言ったのかもしれない。もしそうであったなら、
「何よ、せっかく預かって遊んでくれるってのに、天邪鬼ね!」
 くらいの文句を母に言われたかもしれないけれど、あんな息のつまるような時間は、もう経験したくなかった。


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