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母の日の苦い思ひ出。(それも実母と義母両方の)その2

 お礼状が来た。
「この度は、母の日に素敵なカーネーションを贈ってくださり、ありがとうございました。また、プルーンは嫌いで食べたことはなかったのですが、我慢して食べてみました。なんとか食べられました」
 とあった。
 がくっっ。
 プルーンのくだり。必要だろうか。もちろん、母がプルーンなど食わず嫌いしているのは折りこみ済み。けれども、それ以外ちょうど良い商品もなく、嫌だったら食べずに捨てるだろう、と思った。
 それを、いちいち。
 こういうところ、受け入れがたい。
「嫌いな食べ物まで食べて(その前に好き嫌いが多すぎる)偉い私」
 をアピールしたのかもしれない。せっかく送った娘の善意を踏みにじっていることには、思いが及ばないのだから、始末が悪い。
 本当に、捨てられたこともあった。
 夫の広大が、千葉で生産された無農薬の甘夏をたくさんもらってきたので、おすそ分けした時だ。太陽の恵みをたっぷり受けたその果実は、とてもジューシーでおいしかった。
 後日、
「あの甘夏、おいしかった?」
 と聞いたら、
「ああ、あれ? 皮が汚れてて汚らしかったから捨てちゃったわ」
 と、いけしゃあしゃあと。
 たしかに無農薬栽培のため、皮はごつごつしていて無骨ではあった。でも、それを理由に食べもせずに捨てるか? 私は、息を呑むほど傷ついて、
「そんなことするんだったら、あげなければ良かった」
 と後悔した。まだ、母と距離を置く前の話だ。
 そう言えば。
 まだ小学生の頃に、無添加のソーセージを食べたことがある。それは中学教師の母が、農芸高校に見学に行って生徒が作った物をお土産にもらって来たもので、当時真っ赤なソーセージが主流だったので、ほぼ白い色のそれは見慣れないだけに、食欲をそそられなかった。
 食べてみても(私は食べてみてからおいしいかまずいか決めるけれど、母は見た目で判断するのでその時も一口も食べなかった)薄味に仕上げてあるので、ほとんど味がしなかった。今食べたら、きっとおいしいと思うだろう。時代が悪かった。
 母は、テーブルに乗せる前から、
「ヘンな色のソーセージもらった」
 というような、ネガティブな前振りをしてきたので、なおさらだった。
 私がまずそうな顔をしたら、
「食べるのやめよう」
 と言って、食卓から撤去。捨ててしまった。
 今でも思い出す。作ってくれた生徒さんたちに、申し訳なかった。細かく切って炒め物に使うとか工夫をしたら食べられたかもしれない。
 母がこのような判断をしたのは、
「こんなものくれて迷惑」
 という気持ちがあったからなのだ。そういう雰囲気が帰宅直後から出ていて、私もそれに飲まれてしまっていた。
 そもそも自分が一口も食べない、というのは本当に失礼。
 まぁ、人がどういう言葉で傷つくか考えもしないのだから、言ったとしても理解はしてもらえないだろう。

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