見出し画像

指先から憐れみ光線を出す人たち(勝手にさびしくてかわいそうな子供と命名されました) その1

 ひねくれた子供だったかもしれない。だけど、そうでもしていないと生きていかれなかった。今回は、大人たちの裏と表を執拗に見せつけられ、人を信頼できなくなってしまったお話・・・・。

 小学校1、2年生の頃、昼下がり。私は屋外に一人でいた。預けられた保育ママの家の中にもいづらいし、まだ友達と遊ぶ約束ができるような年齢でもなかったからだと思う。本当にやることがなくて、道端の草をむしっていた。
 3メートルくらい先に、4、5人のおばさんが輪になって井戸端会議をしていた。
「ほら、あの子よ」 
 私のことだ。
「お母さん働いていて、弟さんが心臓が悪いっていう・・・」
「あー、あの子」
 そんな会話がとぎれとぎれに聞こえてくる。
「かわいそうねぇ」
 私は、気づかないふりをして、遊びの続きをしていた。そして、深く傷ついた。
 その中の1人は、同級生のお母さんだった。他の日にはやさしく接してくれたりもしたのに、今は一緒になって噂話に興じている。
 なんだろう、この人たち。
 子供だと思って理解できないと高をくくり、こんな話を。
 子供を見くびってはいけない。あれから50年以上経っても、やられたことは悲しみとなって、心の奥に沈殿しているのだから。
 忘れちゃえばいい、と思うかもしれない。けれども、誰も味方がいないのに、追いうちをかけるように、こんなことを言われたら、人生最初のステージで、
「人間には表と裏の顔がある。そう簡単に人を信じてはいけない」
 ということを、学ばざるを得ないではないか。忘れるどころか、焼印のように心に焼きつけられてしまった。
 それまでも味方がいないことで本心を見せる機会が少なかった私は、このできごとにより、完全に心を閉じてしまった。
 その輪の中の誰一人として、
「聞こえちゃうから、止めよう」
 と提案しなかったのが、そもそも悲しい人間の性。
 私の心は二枚貝のように、こじあけられないほどの強い力で固く蓋を閉めた。

 私は、親の職業を聞かれるのがとても嫌だった。なぜなら、答えることによって、頼んでもいない憐れみを投げつけられることになるから。
 一番呆れたのが中学3年の時の1学期の会話。
 クラス替えがあり、初めて言葉をかわす友達もたくさんいた。そのうちになんとなくグループができ始める。プライベートな質問が飛びかうようになる。もちろん、まったく自然な流れで。
「お父さん何してる人?」
 来た。嫌だなと思いつつ、正直に答える。
「…中学の先生」
 友達の顔が、パッと輝く。なぜだろうと考える間もなく次の質問。
「あ、じゃお母さんも先生?」
 何が嬉しいのか。たぶん父が先生だと母も同じ職業であるというパターンが多いことをそれまでの経験から学び、そこで名探偵よろしく推理したつもりだったのだろう。ここでも嘘をつく選択はなく、
「うん」
 と認める。
 そうしたら。急に切ない表情を作り、
「じゃぁ、お母さん昼間いなくって、さびしかったでしょうー」
 と言った。その時の私たちの位置は、私が教室の椅子に腰かけ、彼女垣田さん(仮名)は、しゃがんでいて私の机に顎を乗せ、私の顔を見上げている、という構図。
 その瞳と言ったら。
 どうして同じ年の子に、こんな憐れみの光線を投げつけても良いと判断したのだろう。
 少し大きめの目いっぱいに、
「かわいそう」
 と描かれている。
 私は、即座に答える。
「さびしくなんかないもんね。親がいなくて好きなことできて自由だよ」 
 何回も使ったセリフ。
 勝手にさびしいって、決めつけるな。
 もし私がここで、
「うん、さびしいの」
 と言ったら、どうなるのだろう。 そのさびしさを代わりに背負ってくれるとでも? 垣田さんは、私が声を荒げたから少しびっくりしただろう。でも、最初に無邪気に攻撃してきたのは、垣田さんの方。そうして、それくらい強く反論しないと、みじめでみじめで倒れそうになってしまう私の気持ちなんか、全然想像することもせず・・・。
 まだ母親が働いている家庭など、本当に少なくて、クラスに四、五人いたかどうか。その中でも、家が商売をしていてその手伝いをしているというパターンが殆どで、外で働いている母親など、本当に稀だった。
 垣田さんは、お店に出ているお母さんの娘にも、同じように声をかけていたのだろうか。
「でも、お店暇な時は家の方に戻ってくるし、学校から帰る時はお店から中入るから、必ずお帰りーって迎えてくれるから大丈夫だよ」
 飲食店の友達がこんなふうに切り返していたのを聞いたことがある。垣田さんとの会話ではなかったけれど、私は羨ましかった。私は、どうやってもそんな方便は使えない。
 母親は、一日の殆どの時間を他の子供に心を砕き、疲れ果てて帰宅する。私のことを、気づかう余裕などない。
 私は、警戒した。今後垣田さんと仲良くなっても大丈夫だろうか。このような序盤戦においても、深く考えずに人を傷つける人は、危険だ。極力傷つきたくない私は、いきおい注意深くなった。
 母親やお手伝いから執拗ないじめ、虐待を受けていた私は、もうずたずたに傷ついていたので、予防線を張って生きなければ倒れて起き上がることができないかもしれない、という恐れを抱いていた。
 垣田さんとは、自然とできた6人グループの一人としてつきあい、それほど深い関係にはならなかったと私は思っていた。でも、そこに温度差があったようで、垣田さんは私とすごく仲良いと思っていたような感じがした。高校は別々だったので、私から連絡することもなかったけれど、折にふれて垣田さんからは手紙や電話が来た。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?