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満を持して書く弟のこと。(ある意味私より被害者)その40

「ツアーで行かないからさ」
 と厚顔で言ってしまうのは、やはり考えが浅いとしか思えないので、そういう人はやはりすべてを段どってくれるコーディネーターがそばにいて、トラブルになったら助けてくれないと無理だろう。
 また、夫の広大や私は、旅先で何か困ったことが起こっても、それを笑い飛ばしてしまう陽気さがあるけれど、晴信だったら、そちらに引っ張られて旅行全体をつまらないものにしてしまうと思う。
 いつもの思考回路なら、そうなるに決まっているのだ。
 
 それと。
 家族なら、何を言っても良いと思っているのも、不思議でしかたがない。
 そもそも、私は父母と晴信のことを自分の家族とは思っていない。それは結婚したからではなく、おそらく10歳くらいの頃から距離を置いてきたのだ。


 寄り添ってくれず、けなしてばかりくる父と母にはうんざりだった。晴信に関しては、20歳くらいまではそこまで違和感を覚えてはいなかった。その頃、とにかく普通に話していても、なんだか常にどんよりしてしまうので話していても楽しくなかった。
 逆に言えば。
 晴信は人の気持ちを考えずに色々言えるほどに、天真爛漫に育ったということなのだ。
 
 さて、一向に同居しない状況に、私と広大は心配になって、ある時実家でその話題を切りだしてみた。
 そこにいたのは、母、晴信と私たち夫婦。子どもたちも大きくなってきて、一族で集まる機会も減ってしまった時期だった。この時も、何かの用事で実家に寄り、たまたま晴信も来た、という状況だった。
 直美さんはいなかった。母は、もう85歳になっていたのではないか。
 広大が口火を切った。
「お義母さん、もう80過ぎているんですから、一人暮らしも心配ですよ。晴信くんと住むのはどうですか?」
 これは、他人である広大だからこそ言えたと思う。言ってくれたことには、本当に感謝だ。
「そりゃ私も一緒にテレビ見て、感想言ったり、お茶飲んだりしてみたいわよ」
 母が答えた。
 すると晴信は。
「え、そんなこと考えてんの? 初めて知った!」
 と素っ頓狂な驚きを口にした。

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