ピアノだけに狂騒曲(ほとんど恐怖のレッスン日と発表会) その2
部屋の寒さのせいで練習する気にもなれず、全く上達しない小学校時代。
「もうこれ以上できません! ていうくらい練習してみなさいよ」
時々母は私にそんなことを言った。自分が弾けるわけでもなく,音楽にそれほど興味があったわけでもないので、声かけもその程度だった。
ただ隣家に同じ年の女の子がいて、一緒に教室に通っていたので、時折り聞こえてくる練習の音に、
「あの子は、毎日あんなに練習してるのに」
というような、親が一番してはいけない他の子と比べることは、日常的に行っていた。同じ教室に行っていたのは偶然ではなくて、紹介してもらったのかもしれない。だから、彼女の方が熱心だったのかも。 些細なことで彼女と喧嘩をした時、「ピアノもろくに弾けないくせに!」 となじられたから、本当に下手だったのは確かだけれど。
小学校時代のピアノにまつわる苦い思い出。あれは、5年生の頃、音楽は、専科となり授業も防音設備の整った音楽室に移動して行われるようになった。
学芸会などの発表の際は、それぞれの楽器担当を決めるため、オーデションのようなことが催された。音楽の下田先生(仮名)は、まずピアノを習っている児童を集め、一人一人ピアノを弾かせた。やはり、ピアノは花形。1,2人ピアノ担当が、選ばれる。次にアコーディオン、その次は鉄琴というように決められていく。
私は。
ピアノを習っているのは事実なので、素直に手をあげてオーデションに参加した。当然だけれど、選ばれるわけもなく、他の楽器でも試されることになった。確かアコーディオンの時だったと思う。私は身体が小さかったので、重いアコーディオンを持つだけで一苦労、うまく操れずに何回も同じところを弾き直していたら、下田先生がうんざりした表情で、
「もういい、ろくに弾けないんだから」
と手をハラハラと振り、演奏を止めさせた。
なんだか、すごく辛かった。
常に人格否定を受けているので、
「ここでもか…」
と思ったのかもしれないし、そもそもピアノなんか好きじゃないのに、オーデションに出てしまったがために、こんなこと言われるなんて、と逆恨みのようなことを考えたのかもしれない。
私は、めったに人前では泣かないタイプだけれど、この時は悔しくて悲しくて、授業が終わってから泣いてしまった。
下田先生は、今の時代なら「いじめ」の域に入るような言動をしたと思うけれど、昭和40年代では、先生は絶対的に偉い人なので、反論することもできなかった。
さて。
すべてのオーデションに落ちまくった私は、何をやれば良いのか。その指示はもらえなかったので、先生に聞きに行った。
「リコーダー」
ぶっきらぼうに。ほとんどの児童は、リコーダー担当だし、その音色は好きだったので、何も問題はないはず。けれど、下田先生の瞳がなんとなく蔑んでいるようで、心に刺さった。下田先生は、何をしたかったのだろう。
ピアノを習っているのに何もできない無能な少女には、ひどい言葉をかけても良いと思ったのか。
「気にしなくてもいいんだよ。リコーダーだって、なくてはならない大切なパートなんだから」
このような言葉をかけてあげるという発想は、なかったのか。
同じ年の友達にはわからなかったかもしれないけれど、私は母やお手伝いから、いつもひどい言葉を投げつけられているので、そのような言葉の棘を敏感に受け取ってしまったのだと思う。
このような大人が、なぜか私の周りにはたくさんいた。というより、母によってそういう人のターゲットになるよう調教されてしまっていたのかもしれない。じっと下を向いて耐え、泣いたりもせず、罵詈雑言を一手に引き受けていたから、格好の餌食だった可能性もある。泣くのは、人知れず。攻撃してきた本人の前では意地でも涙を見せなかったから。
話を、ピアノに戻そう。
こうして、辞めたいとも言えず、ずるずるとレッスンを受け続けてきた。全然弾けていない、と先生に叱られた。
当然。
前週より全く上達していないのだから。
レッスン日の前に、寒い部屋に一人入ってちょこちょこっと弾くだけで、うまくなるわけがない。とにかくピアノを弾くことが、嫌だった。オルガンの時は、あんなに楽しかったのが、今ではかえって悲しい。
転機が、訪れた。
引っ越すことになったのだ。同じ沿線の30分ほど郊外へ行った場所に土地を購入し家を建てた。
住み慣れた町を離れ、友達とも遠くなり、私にとってはマイナスのことばかりだったけれど、唯一のメリットはピアノを辞められること。沈んでいた私は、そのことに気づくと少しだけ気分が上向きになった。
もう嫌々練習しなくても済む、叱られないでも済む。そう思って、自分の気持ちをアップさせようと思った。それが、中学1年生の終わりごろ。
ところが。
引っ越した2軒先が、なんとピアノ教室をやっていたのだ。
そして母が私に何も言わずに、勝手にレッスンを申し込んでしまった。
愕然とした。え。なんで。
「せっかく今まで続けてきたんだから、ここで辞めちゃもったいないでしょ。趣味程度でも続けていれば将来きっとやっていて良かったと思うわよ」
涼しい顔で、母。
こういう言い方をされると、かえって私の方がわがままを言っている体になり、強く反論できなくなってしまう。せっかく申し込んでくれたのに、など母の気持ちを思いやる健気な面もまだ持っていた。
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