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「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その10
夫の広大とは、今でも手を繋いで歩くのが好きだし、一つのベッドで眠っているのでそれほどまでに人肌が恋しいわけではないだろう。なぜ見も知らぬ人の手で、こんなにもやすらぎを覚えるのかが、わからなくて色々と考えているうちに、はっとした。
「それだ!」
それに違いない、と思ったのは。手が女性のそれだったからだ。
つまり。
母にもらえなかったぬくもりが、思わぬところで手に入ったからだ。広大の男の手ではなく、丸味を帯びた女性らしい感触が、私の欠けた部分に作用してきたのだろう。
その看護師さんには、とても感謝しているけれど、その傍らで仕事としてさすってくれているのに、こんなにも感動してしまう私はお手軽だな、よっぽど飢えているんだな、と自嘲する気持ちも芽ばえていた。
このような大人になっても全然埋めることのできない飢餓感は、本当に厄介。
ひょんなところで、顔をのぞかせ、私を混乱させてくる。
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そして他のエッセイで何度か書いている、
「この人ったらね」
で始まる最大の悪口は、一人でパリ旅行に行った時のことなのだった。
伯父と母と私の3人で、伯父の娘である私の従妹がドイツに駐在している時、会いに行ったことがある。私が30歳頃の話。
10日間ほど滞在していたのだけれど、電車でパリまで3時間余りで行けることを知り、従妹にも勧められ、一人旅をすることにした。たった一泊の予定。
それを。
パリに行ったら、悪い人に捕まって殺される、という最悪のケースを妄想して止めに入る母。急に思いついたので、帰国日を考えると日程的に一泊が限度だった。だから、母を連れて行ったら、臨機応変に行動できないと思ったのだ。
それこそ、少しディープな地域に行こうと思っても、
「危ないから、やめなさい!!」
と、ぐいっと腕を掴まれかねない。
そんなことをされるほど、私はもう子どもではないし、むしろそれまで、ライン河下りの段取りをつけたり、朝食を調達したりして、母の面倒を見ていたのは、私の方なのだ。
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