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指先から憐れみ光線を出す人たち(勝手にさびしくてかわいそうな子供と命名されました) その2

  高校を卒業した年の春先のこと。中3のクラス会が開かれ、久しぶりに懐かしいクラスメイトと再会した。私は、クラス会の会場から家が遠かったのでその夜は、垣田さんの家に泊めていただいた。
 翌朝、朝食をごちそうになり、垣田さんのお母さんも交えて前夜の話になった。
「・・・さんが来てた」
 とか、
「・・・くんが・・・大学に合格したって」
 とか、お母さんも小さい時から知っている友達の近況報告を始める垣田さん。
「ふーん」
  親身に聞き入るお母さんだった。
 私は、黙って聞いているだけだったけれど、そのうちに、
「その子、どこの高校に行ってたの?」
「その子頭いい?」
 というような、詮索するような内容になっていった。
 私が、いるのに。無神経だな。
 こんな話をしていたら、陰で私も言われてるのか、と思われても平気なんだろうか。平気なのである。だからこそ人のことを「さびしい」と勝手にカテゴライズするような垣田さんが出来上がるのだ。なるほどいつも家でこのような会話をしているから、感覚が麻痺してるんだ、と改めて出会った時のあの会話を思い出していた。
 垣田さんは、何の疑問も持たず、お母さんの質問に答える。彼女は、東京で十指に入る高校に通い、そのまま大学へ進学できることになっていたから、お母さんも妬みで尋ねていたのではない。値踏み、の感覚に近いかもしれない。
 そのような会話に嫌悪感を抱きつつ、私は少しだけ羨ましかった。
 まず、娘の話をこんなに時間をかけて聞いてくれること。娘の友達の顔と名前が一致しているからこそ、噂話も成立しているのだ。
 私の場合は。
 まず私の話など、聞かない。テレビが見たいから、話を聞く時間がもったいない。ずっと後になり、結婚してたまに実家に帰っても、それは同じで色々話しかけていたら、
「テレビ見てるんだよ…」
 と言われた。少し控え目ではあったけれど、本当に久しぶりに会ったというのに、これはないだろうとかなりのショックを受けたが、まぁ話を聞かないのはその時に始まったことではないのを、ちゃんと覚えておかなかった私の方が悪いのかもしれない。
 あんまりないことだけれど、本当に気まぐれで話を聞いてくれたとしても、小学校はまだしも中学校の友達のことなど、ほとんど興味がないから覚えているわけもなく、顔と名前が一致することなど、ありえない。それなのに、やっぱり垣田さんのお母さんのように、
「頭いい?」
 とか、
「どこの大学行ってんの?」
 などと尋ねてくると思う。
 垣田さんのお母さんより始末が悪いのは、
「ふーん、あの子がねー」
 と小さい頃のその友人の姿や性格と結びつけることなしに、データとしてしか頭に響かないこと。そうするとおのずから反応もおかしなものになる。
「あんた、負けちゃったじゃないの!」
 そんな感じだ。そもそも競争なんてしていないのに、私の進学先より良い学校へ行っていれば、そのようなことを言い出すのが関の山なのだ。
 だから、垣田母娘の会話にショックを受けつつ、その関係性には羨望感を抱いたのだった。

 さて時は流れて、何十年ぶりかで中学の同期会が開かれることになった。私たちももう50代になろうとしていた。
 垣田さんは、幹事を任され、出来るだけ多くの人を集めるのが任務だったようで、中学時代の名簿を頼りに、私の実家に電話をかけてきた。年賀状のやりとりさえ途切れ、ゆうに30年以上は音信不通だった。けれども少し話せば中学時代のあだ名で呼び合ったりして、突如時空を飛び越えて、違和感など感じずに近況などを報告しあった。私も連絡先のわかっている友達に知らせ、強力することを約束して電話を切った。
 同期会当日は、全体の3分の1ほどの人数である100人ほどが集まり、幹事の苦労がしのばれ、大盛況だった。あちこちで懐かしい再会があり、1人の人とじっくり話すというのが難しかったので、垣田さんとは後日ゆっくりランチでも、ということになった。
 この数十年間で、夫という強い味方を得、子供たちに囲まれ、以前のふてくされ、ひねくれていた私はすっかり影をひそめていた。自分の努力もあるけれど、やはりいつも前向きな人たちに囲まれたお蔭だと思う。
 垣田さんは、大学を卒業後、教授の口利きで大企業に就職、寿退社をして、海の好きなご主人たっての夢だった湘南に家を建てて暮らしているという。二人の息子さんも、すくすく育ってもう成人している。
 話を聞いていて、そんな人生もあるんだな、と思った。どこにもつまずかず、何も悪いことも起きずに、幸せがあふれている家庭。
 自分の人生と比べる気は、全くなかった。人のことを妬まないのが人生を楽しくするコツだということを学びつくしていたので、本当に素直に喜びの気持ちを表わした。
「それは良かったねー、人生順風満帆だねー」
 というふうに。
 嫌味でもなんでもなく、そう言った時のこと。
「順風満帆すぎて、怖い」
 と垣田さんが、返してきた。
 ふうん。
 そんな風に、思うのか。新鮮だった。確かに、ここまで何も起こらないと、対処のしかたがわからないかも、とは思った。
 ただ、ちょっとだけ、垣田さん変わらないな、と思ってしまった。
 どこか一つ、何か一つ、人の気持ちに寄り添うことができない。私は、心の遠い所で、中学3年のあの会話を思い出していたのかもしれない。
 ご長男は、有名大学に行ったのでエントリーシートは基本的に必ず通り、選べる立場で希望の会社に就職できたのだそうだ。それは、いい。とっても、おめでたい。けれども、ご次男の話で、私はまた違和感を感じてしまった。彼がまさに就活の時期で、母校の中高一貫校の先生になりたい、と言っているそうだ。彼は今付属の大学に通っているので、おそらくそちらも順調にいけば、夢は叶うだろう。
「やりたい職業が見つかって良かったと思うの。それが一番」
 垣田さんは、微笑む。私も、そう思う。
 でも。
 その後のセリフが、もう・・・。
「長男の学校とは、偏差値がこーーんなに違うけど」
 そう言って、両手で30センチほどの高さを示して、笑った。
 絶句。
 そんな言い方、ご次男に失礼じゃないの? それぞれの良いところを、認めてあげるのが親じゃないの? この発想は、私の中に全くなかったものなので、驚くと同時に、泊めてもらった時の垣田さんのお母さんの言葉が蘇ってきた。いつもこう言われていたら、それがどんなにひどいことか、わからなくなってしまうもの。仕方のないことなのかもしれないけれど、それにしても、ご次男が気の毒になってしまった。

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