見出し画像

忘れていた遠い過去(これぞフラッシュバックの第一次パニック障害)その3

 すっかり安心した私は、少しウキウキしながら教室に戻った。
 教室に、たった1人。魔が刺す瞬間だ。この時が初めてではなかったように思う。なぜなら、まるで日課のように、ある行動を始めたから。
 それは。
 友達の席をまわって、机の中をあさり消しゴムだの鉛筆を盗むこと。
 それらが欲しいわけでも、その友達が憎たらしいわけでもなんでもなく、ただこっそりと自分の懐に入れる。
 今思えば寂しい子供が起こす典型的なSOSだ。まったく罪悪感はなく、機械的に次々に机の中を覗いていく。その品々をどこに隠したのか、覚えていない。自分の机の中か、鞄の中にまとめて入れていたのかもしれない。
 体育の授業が終わり、皆がぞろぞろと帰って来てほどなく、一番前に座っていた男子が、
「あ、僕の消しゴムがない!」 
 と言い出した。その第一声をきっかけに、他の子も筆箱をチェックし始めた。
「あれ、私の鉛筆も」
「僕の赤鉛筆も」
 と言う具合に声が広がっていく。
 私は、ポーカーフェイスを決めこんでいるけれど、内心は気が気ではない。
 クラスメイトは、
「稀沙ちゃんじゃない? 体育休んで教室にいたから」
 などと言い出してもおかしくないのに、誰もそんなことは言わなかった。言われていたら、私は不登校になっていたかもしれない。
 誰も言い出さなかったことに対して、感謝しかない。そうして、いまさら遅すぎるけれど、あの時文房具を盗んでしまって本当にごめんなさい。
 きっとそれぞれ大切にしていたものだから、すぐに無くなったことに気づいたのだろうから。申し訳なさで、いっぱいになる。
 先生は…。
 皆の慌てぶり見て、ちょっと戸惑っているようだった。
 私は、荷物検査のようなことをされたら、万事休すだと思ったのを覚えているので、自分の持ち物の中に隠していたのだと思う。
 けれども先生は、それをしなかった。絶対に私の仕業だということを知っていたと思う。
 皆をなだめるように、
「いいよ、いいよ、舌を見れば誰がやったかすぐわかるから」
 と言った。
 それを聞いた私は、心も身体も遊園地にあるコーヒーカップに乗った時のように、グルングルンと回ってしまい、明らかに動揺していた。
 端から見たら、どんな態度だったのかはわからないけれど、かつて感じたこともないような、めまいのような感覚だった。
 ああ、もうばれてしまう、と思ったのに、荷物検査はされずに済んだ。
 でも。
 舌って…。
 舌を見ればわかる?
 それはそれで、大変に恐ろしい。ただその場で私の行いが暴かれなかったことに安堵して、少し時間が経てば舌の証拠も消えて、誰が盗ったのかわからなくなっているかもしれない、と虫の良いことを考えていた。
 もっとずうずうしく、
「盗んだって思わなければ大丈夫」
 とまで。
 その後、この件で呼び出されたり叱られたことは、なかったように思う。
 先生は、
「舌を見ればわかる」
 と言ったことで私を諫め、再犯を防止したつもりになっていたのかもしれない。
 その対処は、どうだったのだろうか。1クラス45人程いて、1人1人に手厚い思いなどかけている暇はなかっただろう。その気持ちもわからないではないけれど、やっぱり体育館への渡り廊下での無視は、本当に溺れているのに何も掴むものがないくらいの見離され感を感じた。
 その後も私は体育の時間に恐れおののき、楽しいはずの小学校低学年時代は、真っ暗なままだった。
 私がこんなことばかり繰り返しているものだから、クラスメイトもある程度状況はわかっていたのかもしれない。
 ある時、1人の男子が、
「おしっこー、おしっこー」
 と私のことをからかった。
 その場所が校庭だったことを、覚えている。本当に悲しかった。誰にも言えず悩んでいるのに、こんなふうにはやされる。そのからかいぶりから、いつも私がタイミング悪くトイレに行ったりすることを迷惑と思っていたのかもしれないけれど、私だって行きたくて行っているのではない。毎日針のむしろに座っているような気分。学校から戻っても、保育ママの家で、今度はずっとトイレに行けず我慢我慢とこらえている日々。
 男子の意地悪い声が両耳を占領し、私は泣いてしまった。絶望の涙。
 どこにも助けを求められず、誰にも寄り添ってもらえない。
 ただ近くにいた女子が、
「あーあ、稀沙ちゃん泣いちゃったじゃなーい」
 とその男子に言ってくれたことだけが、救いだった。もちろんその女子だって、私の深い闇になど気づくことはなかったのだけれど。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?