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私は、母の操り人形。(母のせいで親友を失った話)その7

 もちろん、あゆみちゃんにそんなお願いごとをした私が悪い。一番悪い。言い訳のしようがないけれど、私は咲子ちゃんに対して、そこまで嫌う意識もなかったのだ。
 毎日のように、咲子ちゃん一家の悪口を聞かされていたら、事実はどうあれ嫌ってしまうのは当然だろう。
 それにしても母の言葉は、痛かった。あゆみちゃんとの楽しい日々が思い出され、もうあの頃は戻ってこないのだと思うと、さすがに寂しかった。
 他のエッセイ(ヤングケアラー? 私のことだ!)にも書いたけれど、さんざん悪口を言っているくせに、弟の晴信が急に発熱して受診しなければいけなくなった時、私は咲子ちゃんの家に預けられたりもした。
 そんなダブルスタンダードの母。
 その日も、いつものように私を預かってもらおうと、咲子ちゃんの家のドアを叩くと、ちょうど夕食時だった。咲子ちゃんのお母さんは、私にもチャーハンのようなピラフのようなご飯を出してくれた。
 私は、このまま晴信が死んでしまうのでは? という予期不安にかられ、食事が喉を通らなかった。泣きそうな気分を精一杯堪えているので、味も良くわからない。
 死んでしまうのでは? と言うのは、大げさではない。先天性の心臓病で手術をしなければ、20歳まで生きられないと言われていたし、私と晴信がケンカをすると、後に晴信のいない所で、
「そんなケンカばかりして、晴ちゃんは手術をするけど、もしかしたらいなくなっちゃうかもしれないのよ!!!」
 と母が、ものすごく怖い顔で脅してきたし、しょっちゅう具合を悪くしていたので、手術前に死んでしまうかも、と思ったのだ。
 テレビの前に即席のテーブルを作ってくれて、私たち2人だけで食べていたのだけれど、咲子ちゃんが私の尋常でない様子に気づき、何回もちらちらと様子を伺ってきたのを覚えている。
 そんな中でも、私は咲子ちゃんのお母さんと極力口をきかないようにした。急なお願いを聞いてくれ、食事までご馳走してくださるような良い人なのに、母によるバイアスが邪魔をして、素直にふるまうことができなかった。
 おまけにここで、
「咲子ちゃんのお母さんのご飯おいしかった」
 などと言おうものなら、母がヘソを曲げること必至なので、絶対に言わないようにしようと決めていた。
 それ以前に保育ママの島谷さんの手料理を褒めたら拗ねられてえらい目に遭ったし、結婚直前には義母の料理は手が込んでいておいしい、と言ったら、ここでもキッとなり、
「いやらしい子ね!」
 と吐き捨てられた。他の人を褒めることで、自分が下位に落とされたと思うのだろう。面倒くさい思考回路。
 このような複雑な心理が入り混じっていたので、私は咲子ちゃんには直接何かを言うのが難しく、代わりにあゆみちゃんにやってもらおうと思ったのだと思う。
 

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