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てのひらの50円玉(突き返せた憐れみのコイン)その3

 さて。
 これで、この話が終わったわけではない。
 運転手は、来月も来るだろう。その時、大きな人形を抱えていたら? 今度は、そちらの心配で頭がいっぱいになった。先の先まで考えて、うろたえる。人形をもらって家に持って帰ったら、母に怒られるだろう。
「知らない人になんか、もらっちゃダメじゃないの!!」
 この時、
「かわいいお人形ね、良いわね~、そんなのもらってねぇ」
 というようなポジティブな予想は、全く浮かばない。そのような展開になったことは、一度もないから。
 私は一人悩み、人形を渡されてしまった場合のことを、色々と考えた。50円玉の時のように、返すと言う選択肢はなかったのだろう、お金はまた他に使えるけれど、人形はおじさんにとっては無用の長物、せっかく買ってきてくれたのに、それでは申し訳ないと思ったのだと思う。どうして、そこまで気を回すのか。
 自分でも、呆れる。疲れる。10歳にも満たないのに、相手のことばかり気使って・・・・。
 それは。
 私がアダルトチルドレンだから。
 私のせいで、誰かが嫌な思いをしないように、最大限の気を使う。それは、母がいつも私のせいで不機嫌なのだと思いこまされていたから、自分は悪くないと心のどこかで思いつつも、もし私が原因ならば、少しでも相手の気を悪くしないように、と気を配ってしまうのだった。
 本当に子供らしくない子供。未発達の脳みそで、よくもまぁここまで気を回していたものだ、と今さらながら驚く。
 結局。
 出した結論は、前もって母に伝えておいて、人形を渡された時の対応を委ねよう、というもの。それが、一番良い解決策だと思った。 
 50円玉をもらった日か、もっと後だったかは忘れてしまったけれど、夜母に打ちあけた。
 私にとっては大問題。母が台所仕事を終え、座って落ち着いている時を狙った。その時母は、何か裁縫のようなことをしていた。
 話しかけても、目はずっと縫い物の布の上。全部伝え終えて、母の反応を待った。
 次の瞬間。
「そんなもの返しなさいよ」
 ・・・・・・。たった、これだけ。しかも、若干怒った口調で。その間母は、一度も縫い物から目を離さず、私の目も見なかった。
「ダメだ、このヒト」
 絶望した。人が意を決して相談しているというのに、この態度。全く頼りにならない。
 だいたい話の全容を理解しているのか? 子供だと思って、適当に流しているのではないか。
 それで私は、もし本当に運転手が人形を持ってきてしまった場合は、自分で何とかしなければいけないな、と悟った。悲しい悲しい悟りである。
 その運転手は、結局人形は持ってこなかった。私が50円玉を返したことで気を悪くしたのか、それともその日のただの思いつきだったのか、今となってはわからない。
 ただ一つ残っているのは、涙で滲んだ50円玉の残像。揺れる銀色の物体だった。

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